215 クリフォードの憂鬱
なぜ、こんなことになっているのか。
和やかにシェルダンと語らうセニアとメイスンを遠目に眺めて、クリフォードは思う。対する自分は独りぼっちなのだ。ここは自分の離宮だというのに。
(くっ、お似合いの主従に見えてしまう)
クリフォードは肩を落とした。
黒い質素なドレスを着てなお、美しさの際立つセニアと、姿勢正しく執事の姿をしつつ、いかにも武人然としたメイスンとを見比べる。
(あの2人は恋仲なのか?なら、私が行くのは無粋か?)
自分も混ぜてほしい。今までなら気軽に言えて、出来ていたことが、出来ない。今、身につけている赤いローブすらも場違いに思える。
「シェルダンも、セニア殿も」
庭園の隅にいる自分を誰も気遣ってなどくれない。
ひどく惨めな心持ちであった。メイスン・ブランダードの立っている位置が、本来、自分のいるべき場所だ。知らず、奪われている。それとも最初からそう、思い込んでいただけなのか。
(この間の茶会だって、そうだった)
セニアと久しぶりに二人きりで話をしたかった。親しみの意味でも実務的な意味でも。だが、なぜかメイスンが一緒だった上、セニアが熱のこもる目でそちらばかりを見つめていて。
焦りと危機感がただ募る。
「戦いのことしか頭にないのなら、戦いの話をして少しでも理解を深め合い、距離を縮めたかった」
ポツリとクリフォードは呟いた。セニアの耳がこの思いを拾ってはくれないだろうか。
ゲルングルン地方の魔塔最上階。魔塔の主であった鋼骨竜を、セニアの神聖術で動きを封じ、そこへクリフォードが大規模炎魔術を叩き込むことによって倒している。
(味をしめた、というわけではない。ただ、あの手応え。必ず今後、さらに厄介な魔塔と強敵が待っているのなら。私とセニア殿の連携が勝負を分けることもあるかもしれない)
話をしてから、さらに今後の鍛錬を一緒に積まないか、と打診したかったのだ。
クリフォードは深くため息をついた。
「クリフォード殿下、なんでこんな遠くに?」
いつの間に近づいていたのか。セニア付きの侍女シエラが声をかけてくる。兄のペイドラン同様、気配を消すのが上手いのだ。
雇い始めた当初は知らなかったが、兄ともども、ゴドヴァンとルフィナの密偵だったらしい。今は本当にただ、セニア付きの侍女なのだが。
ちらりとクリフォードはセニアらの顔を見るが、まるで気づいている様子はない。シェルダンが何やら真剣な顔で伝えている。よほど重要な話なのだ。
「お一人、ダメです。アスロック王国の、刺客とかがいたら、とっても危ないです」
分別くさい顔で、シエラが言う。言葉を細かく切る話し方もまた、兄のペイドランとそっくりだった。
(襲撃者など焼き尽くしてやる、と言いたいところだが)
確かに炎魔術以外からきしで、武術には疎い。単独で不意を打たれれば、ひとたまりもないだろう。
「あ、あぁ、シエラ、ありがとう」
辛うじてクリフォードは言った。だが、どこを目指すのが正解なのか。あの3人の中に入れずにいるのだ。
シエラが、首を傾げて訝しげな顔をする。
「メイスン様がセニア様と仲が良いの、ご親戚だから、ですよ?」
言葉を考え考え、シエラが言う。
弱冠13歳だが、既に恋人もいるおませさんだ。恋人もシェルダンの部下であり、リュッグという大人しげな軽装歩兵の少年だった。
「本当に、そうだろうか」
思わず、年端も行かぬ少女に不安を吐露してしまう。
昨日、セニアの見せていた、メイスンへの恥じらいに赤らむ頬も、メイスンへむける、熱を帯びた眼差しも、すべて自分の勘違いだ、とでもいうのだろうか。
「セニア様は親離れする前にお父様も亡くしてしまって。それに親子仲も良かったから、メイスンさんをお父様の代わりぐらいに思ってるんだろうって、イリスさんが」
思わぬ名前が出てきた。
セニアと付き合いの長かったイリスが言うのなら間違い無いのかもしれない。
「ご本人は、初心だから、恋心と勘違いしてるかもって。私からもただの甘えん坊さんにしか見えません」
真面目くさった顔のままシエラが言う。弱冠13歳から言われ放題のセニアである。
「恋って、もっと、どうしようもなくて、自分を抑えられなくなるようなものじゃないですか」
もじもじしながらシエラが言う。
(それは人によるだろう)
クリフォードは苦笑してしまった。
おそらくリュッグというシェルダンの部下とシエラ本人の馴れ初めが、そんな感じだったのだろう、と。ペイドランとイリスの結婚式で紹介された、カチコチに緊張していた、大人しく真面目そうな少年兵を、クリフォードは思い出す。おそらく交際を申し出たのはシエラの方だ。
(まぁ、あの兄にして、この妹、ということか)
クリフォードは、シエラの兄ペイドランが槍のように真っ直ぐイリスへ突き進んでいった姿もあわせて思い返した。
だが、そのままの勢いで結婚にまで行き着いている。恋愛というのは熱情が必要な時も多いのだろう。
(正直、羨ましい)
自分たちよりも年少の2人が見事、結びついて今もどこかで仲睦まじく暮らしているのだ。
シエラがじっと自分を見上げている。
「御身の安全のためだけじゃなくて、もっとセニア様に、前みたいに遠慮なく近付けばいいんです。ダメなことは私達でちゃんと止めます」
シエラが胸を張って言う。
「セニア様、言っても分かんないけど、言わないと、もう絶対、ずっと分かんないですよ」
どうやらシエラが来てくれたのは自分の背中を押す目的もあったらしい。
「だが、私は」
クリフォードは口ごもる。
上手くセニアと距離を縮められているようには思えない。
ドレシアの魔塔攻略前は空回りし、攻略後は相手のためを思ってのものとはいえ、厳しいことを言って嫌われた。挙げ句には自分でもペイドランやイリスのことで失敗していて、尻拭いをしてもらっている。
今更ながら恋愛どころではない気もしていた。
「じゃあ、セニア様がこのままメイスンさんとくっつこうとしていいんですか?」
シエラが業を煮やしたように尋ねてくる。
良い訳がない。それでもすぐには踏ん切りがつかず、立ちすくんでしまう。
シェルダンの語りが終わった。なぜか項垂れているセニア。ついにはシェルダンが厳しい顔でセニアの頭に拳骨を振り下ろす。
(なっ、どうしたんだ?)
更に厳しい顔で何事かを言い捨てて、シェルダンが去っていく。
シェルダンが離れるのに比例するように、なんとなくクリフォードはセニアたちの方へと歩み寄っていた。ペイドランのような直感はないが、近付くべき時であると思えたからだ。
「殿下」
真っ先に気付いてくれたのはメイスンだ。恭しく拝礼する。なんとも皮肉なことにメイスン本人からは自分を力づけてくれるような眼差しが向けられているのだった。
「シェルダンから、何か為になる話が?」
いざ口を開くと自然に言葉が出て来てくれた。
そのままシェルダンのいた席に腰掛ける。
「えぇ、はい、とても。父の、レナートの、昔話でした。私などとはまるで違った、と」
項垂れたままセニアが言う。
水色の頭を見つめてクリフォードは考えていた。自分は自分でどう話すのが正解なのだろうか、と。おそらくは改めて父親と比べて、いかに未熟かを思い知らされたのだろう。
「だが、君は君で、まだ伸びしろがある身で魔塔を減らしたじゃないか」
クリフォードはガラにもなく頭を回転させて切り出した。たとえ間違えてもなんだ、というのだ。もうセニアも自分に炎魔術以外期待はしていないだろうから、思い切れば良いのだ。
「さらに今、兄上がガラク地方の魔塔攻略に向けて世論を盛り上げている。あそこを得ればドレシア帝国はさらに潤う。鉱山資源まであるからね。そして当然、魔物の脅威からアスロック王国の人々を救うことにもなる。兄上はやることが徹底しているから、いずれ世論も纏まるだろう」
クリフォードは一気に告げて言葉を切った。結局、政治的なところはすべて兄にしてもらっているということだが。
「君が来てくれたから、我が国はここまで思い切って動けるんだよ。そこは誇って良いと思う」
何事もなければ、兄もただなんとなく、帝位を継いでいたのではないか。今ならば新たな領土の運営という本人にとって、楽しい課題に取り組めている。
セニアが顔を上げる。紫がかった瞳が頼りなく揺らぐ。
「私、また頑張らないと、ですよね。それなのに、殿下、私は甘えていますか?おじ様に、シェルダン殿に、それにゴドヴァン殿たちも、殿下にも」
相当、キツイことをシェルダンからは言われたのかもしれない。
ちらりとメイスンを見る。おそらく直近で甘やかしていたであろう本人だ。きまり悪げな顔をしている。
「もし、甘えが見られる、もっと頑張れ、というのなら、それは期待の裏返し、と取るべきじゃないかな」
微笑んでクリフォードは返した。
かつて、自分がペイドラン、イリスへの対応で失敗したときのことを思い返す。対して、今のセニアはメイスンに甘えてはいるのだろう、とクリフォードも想像に難くない。
「私は前にも言ったとおり、君を支え、ともに戦う。たとえ憎まれ役になろうとも。誰かに甘えを指摘されたなら、一緒に奮起して、次の戦いに備えよう」
セニアが戦う人間であり続けるならば、自分は隣で戦い続けるだけだ。
(そして、ともに生き延びたその時には、添い遂げたいと改めて伝えよう)
クリフォードは決意した。
「もし、シェルダンが言ったのなら間違ってはいないのだろうが、彼は今思うと素っ気ない。死んだふりまでして、今になると腹が立つ。落ち込むんじゃなくて、見返してやろう」
力づけたくて思いつくだけの言葉をクリフォードは紡ぐ。
セニアが微笑んだ。見る相手を蕩かすような、魅力的な笑顔である。
「いつも、気にかけてくださって、ありがとうございます。殿下と話せて、少し元気が出ました。仰るとおりですね。私、もっと強くなって、期待に応えたいです」
愛しい聖騎士の役に立てたなら無上の喜びだ、とクリフォードは思うのであった。




