21 第7分隊〜副官カディス4
カディスは軍務を終えて、私服に着替えてからクリフォード第2皇子の離宮へと向かう。
いつもどおりに裏門へ回ると、茶色のロングスカートと同色のブラウスを身に纏い、カティアが門の前に立っている。
(ヤバいな)
カディスはカティアに近づきながら思う。
茶色の衣装を来たカティアは町娘のように見える。地味な装いだが、これも機嫌の悪いときによくする格好なのだ。
「お酒を飲みたいの。個室で。どこか案内してちょうだい」
前置きもなしに、カティアが一方的に用件を告げる。化粧で隠しており、灯りも弱くてよく見えないのだが、泣き腫らしたような跡のあることが気になった。
「姉さん、一体、何があったのさ」
カディスはさすがに心配で尋ねた。半分は何を聞かされるか分からない、という姉への恐怖なのだが。昨日、あのあと何があったのだろうか。
「いいから。どこか知ってるでしょ?そこで話すわ」
カティアがツンと横を向いてしまう。
話しながら考えていて、『サヌール』しかないかとカディスは思っていた。軍営から遠いので知り合いに会う心配も少ない。少し値は張るものの、個室で良い酒が飲める。つまみも美味い。
「多少、高くてもいいわ。奢るから。早く行きましょ」
カティアが急かしてくる。奢ってでも飲みたいとはどういう心境の悪化なのだろうか。
(それが怖いんだってば)
カディスは思いつつも、カティアを連れてサヌールへ向かう。
「仕事は大丈夫なの?酒なんか飲んで」
侍女の仕事がどれほどのものか分からない。いつも大変そうにしていて夜も遅くまで働いているようだった。
「大丈夫よ。今晩は時間休暇を貰ったから」
そっけなくカティアが言う。尚、怖い。仕事にならないほど呑もうというのだから。
夜道である。ルベントの街では、他にも仕事を終えて家路を急ぐ人、途中で一杯引っ掛けてから帰ろうとする者で賑わっている。
サヌールは、ルベント中央区の閑静な住宅街付近にある。一見して豪勢な民家のような造りだが、中は細かく個室で、分厚い壁によって区切られており、密会などにもよく使われる店だ。
よく知られていて、部屋を借りられるか微妙な時間帯だが、一部屋だけ空きがあるということで通してもらえた。調度から何から高価であり、カディス一人ならまず懐が心配で来られない店だ。
(姉さん、金はあるもんな。貯め込んでるし)
個室の中央に椅子と円卓が据えられている。無言のまま、向かい合って椅子に座った。店員が来たときだけ、麦酒を2瓶とツマミを数種類だけ注文した。飲むと決まればカティアはかなり飲む。1瓶では絶対に足りないだろう。
一貫してカティアが口を開かない。酒が入らない限りは話をしたくないようだ。酔わないと出来ない話をしようということで、一体、昨日、幸せの絶頂にいたはずの姉に何があったのか、カディスは怖くてたまらなかった。
果たして、麦酒を店員が置いて立ち去るや、カティアが自分のコップに麦酒を注ぎ、ぐいと一息で一気にコップを空けた。姉は酒に強いのである。
「あぁー、もうっ、あの女聖騎士、死なないかしら」
とんでもない一言が第一声で飛び出してきた。
女聖騎士というのは、今、仕えている元アスロック王国聖騎士であるセニアのことだろう。クリフォード第2皇子のところへ身を寄せて以来、カティアが付いて面倒を見ているのだと聞く。
「何か、あったの?」
カディスは恐る恐る尋ねた。国外から亡命してきた要人に『死なないかしら』などとは穏やかではない。まして自身の主人なのだ。
自分の方は酒を飲むどころではなかった。
「まったく、男どもはどいつもこいつもセニア、セニアって。そりゃ、アスロック王国からも追放されるわよ」
カティアが吐き捨てるように言う。厳密には追放されたのではなく、脱出してきたらしいのだが、今はもうどちらでも良いのだろう。
瓶からカティアが自ら手酌で麦酒をコップに注いで、あおるように飲んでいる。
「あーっと、姉さん?」
大体、話が見えてきた。
「あの恋文、私にじゃ、なかった」
カティアがふと目から涙を溢れさせた。
また酒をあおる。
「布ほどいて、丁寧に封を開けて見たら、セニア様に渡してほしいって。中身はくれぐれも見ないでほしいって」
カティアが一気にまくし立てると、コップに残っていた麦酒を飲み干した。
よくよく聞いてみれば、シェルダンからの封筒は二重になっていて、外側にあった薄桃色の封筒を開けると、今度は1通の手紙と分厚い黒い封筒が出てきたらしい。
「どれだけ見た目が良いにしたって、ただ剣を振り回してるだけよ、あの女」
とうとう『あの女』呼ばわりである。
いくら腹が立つにしても、自分の主人を人前で悪し様には言えない。だからカディスに案内させて、他人に聞かれずに愚痴を言える店を選んだのだろう。
「ぐすっ、それにしてもシェルダン様まで、虜になって。この間はそんな感じじゃなかったのに。私、一人で浮かれて、何だったのかしら」
自分で並々と注いだ麦酒を見つめて、カティアが涙ぐむ。
「姉さん、シェルダン隊長がセニア様に渡せって言ったのは恋文で間違いないの?」
嫌な気がしつつもカディスは確認することとした。ふと、封筒の色が特に気になってしまったのだ。
自分もカティアも直接、封筒の中身を見たわけではない。
「だって、あんな薄桃色の可愛らしい封筒に入っていたのよ?恋文よ」
カティアが据わった目つきで睨んでくる。嫌なことを思い出させるな、と言わんばかりだ。
「でも、セニア様に渡す方は黒かったんだろ?恋文としたら変じゃないか」
カディスはことさらに怒らせないよう配慮しながら指摘する。いくらシェルダンでも恋文として渡すのなら、色として黒は選ばないのではないか。
「それも、そうね」
酔っ払っていながらも、カティアが考えるような顔をする。
「それにさ、あの隊長が、身分にうるさい人が、元、とはいえ侯爵令嬢だった人で、しかも第2皇子がご執心の人を好きになるかな」
ここから先は難しいところである。素面のカティア相手であれば、間違いなく、先に恋文と勘違いしたカディス自身に怒りの矛先が向いてしまう。
「確かに、平伏してばかりで恋愛どころじゃないわね」
酔いのせいか、カティアがコロコロと楽しそうに笑い始めた。セニアにシェルダンが恋文を送ったわけではなさそうだという喜びが勝っているようだ。
「だから、隊長が渡したのは、恋文じゃないと思うし。むしろ、薄桃色の封筒でわざわざ包んで渡したぐらいだから、姉さんの方に気を使ってるんじゃないか?」
カディスは断言した。
「そ、そうかしら?良かった、じゃあ、あの封筒は大事に取っとかなきゃ。燃やして灰にしなくて良かったわ」
カティアがしなをつくって言う。
そもそもカディスは、シェルダンが分厚い恋文を書く、ということからして、今更ながら、ありえない気がしてきた。
(しかし、個人的な、って今思えばどういうことだったんだ?質問責めのことは、そのまま普通に止めてくれってことだったんだろうけど)
すっかり機嫌を直して今度は『祝い酒だ』とのたまうカティアを尻目に、カディスは考えを巡らせる。
元アスロック王国人同士ということで、なにかあるのだろうか。ここ数カ年で、ドレシア帝国内におけるアスロック王国出身者は随分と増えた。独自の連絡網でもあるのかもしれない。
目の前ではカティアが一人、おいしそうにツマミの揚げ物を頬張り、酒を楽しんでいる。
姉の良いところの1つは、他人に酒を強要しないところだ。どれだけ酔っても一人酌で飲み進めてしまう。
「姉さん、黒い封筒の中身は本当に分からない?」
見ていれば、こんなざまにはなっていないのだが。一応、カディスは確認する。
「そんな、シェルダン様を裏切るようなこと、出来るわけないじゃない」
したたかなくせに、妙なところでカティアは健気なのであった。
「あ、でも、触った感じ、冊子みたいだったのよね。あのときは頭に血が上って、日記形式の恋文なのかと思ってたけど。みっともないわ、私ったら、ヤキモチやいちゃって」
カティアが恥ずかしそうに思い出して言う。
結局、いくらここで話し、考えても結論は出そうにない。
カディスはすっかり酔いの回ったカティアを連れて、クリフォードの離宮へと向かう。
ブツブツと幸せそうに独り言を呟いていたカティアも、裏門を見るなり、姿勢をシャンと整える。酒の臭いこそ消せないが。
「いろいろ、ありがとね、カディス」
カティアがいきなり微笑んで礼を言う。
「弟のあなたがシェルダン様の副官で、私は幸運だったわ。手間ばかりかけさせてごめんなさいね」
しっかりとした足取りでカティアが屋敷の中へと入る。
不意をつかれてカディスは反応に窮した。
(はぁ、まぁ、隊長みたいな凄い人が義兄になるチャンスだからな)
カディスは真っ直ぐに帰宅し、また翌日からの軍務に備えるのだった。