208 困った女主人3
メイスンはセニアとクリフォードを置いて、ルベントの町中へと出た。せっかく外出した機会なので有効に活用したい。目的地は1箇所しかない。
変わらない街並みにどこか安堵する。まだルベントを出てからさほど時間が経ったわけではないというのに。
そのままかつての職場であるルベントの軍営へと向かう。
第3ブリッツ軍団による、隣国アスロック王国のガラク地方への遠征が近い。ラルランドル地方での戦いに快勝し、国は湧き立ち、軍も勢いづいているのだ。
(いい身体をしているなぁ)
遠征前で訓練も休みなのだろう。練兵場に人影はほとんどなく、小柄な筋肉質の男が、上半身裸になって黙々と筋力強化訓練に打ち込んでいる。隆起する筋肉の力強さが尋常ではない。
(あんな強者がいたか?)
思いつつも練兵場を抜けてシェルダンの執務室へと至る。
開け放たれたドアをメイスンはノックした。
「うん?メイスンか、なんでまた」
くつろいだ様子で椅子に座り、ゴシップ誌を眺めていたシェルダンが顔を上げる。
相変わらず書棚の中はゴシップ誌が整然と並んでいた。
部屋の主であるシェルダンが開いているのは最新刊だ。メイスンもこの1冊は持っている。
『特集!聖騎士と皇帝!従者同士の結婚式!そこにはいかなるロマンスが!?』
安っぽい見出しで、先日のペイドランとイリスの結婚式が扱われていた。皇族2人にセニアまで出席したことで嫌でも注目を引いてしまったのであった。
記事の内容はともかくとして。魔導写真の主役2人が初々しくも絵になるので、なかなか売れ行きが好調だという。もう、ペイドランに密偵は不可能だろう、と思えるほど。
ちなみに同雑誌社の編集部による独占突撃取材においては、お互いに惚気話を披露している。
「どうしたんだ?仕事はいいのか?」
シェルダンが訝しげに尋ねてくる。考えは手に取るように分かった。シェルダンにとっては、神聖術の訓練をセニアにメイスンがつけているべきであって、離れて動いている時間も無いだろう、と。
仕事、というのは神聖術の訓練のことだ。人目を気にして直接に言わないあたりが、いかにもシェルダンらしい。
「屋敷を出て、少し時間を持て余しているのですよ」
笑ってメイスンは誰かさんに言われた言葉をそのまま使う。
「そうか。あの人はまだルベントにいるのか。あまり良い気持ちはしないな」
シェルダンが嫌な顔をする。
元部下だった、というのが大きいのか。自分には気を許してくれている、と思う。
(ペイドラン君に対しても似たようなところがあったな)
ノコノコと結婚式に顔を出したのはシェルダンにしては迂闊な失敗であった。まさか元部下のペイドランが意にそぐわぬことはしないだろう、と無条件で思っていた節がある。
(だから、部下にも好かれるのだろうが)
イリスもいる以上、セニアやクリフォードがいないわけはない、とシェルダンの頭ならすぐに分かるだろうに。
それでも第1皇子シオンを巻き込んでおいたのは流石だった。シオンの一声でセニアもクリフォード、ゴドヴァンらも何も言えなくなったのだから。
「どうせ、言うほど気にはしてないのでしょう?今日は私も暇なので1杯やりませんか、とお誘いにあがったのですよ」
笑ってメイスンは告げる。年下であり、あくまで元上司なので砕けた口調を使ってもシェルダンは怒らないだろうが、丁重な口調を使ってしまう。変えてもらった、という感謝があるからだ。
感謝と親しみが相まって、まだお互いにルベントへいるうちに一度くらいは、と思ったのだ。無論、今日の用件は他にもあるが。
シェルダンが複雑な顔をする。
「急だな。少し考えさせてくれ」
例のごとく考えの読めない顔でシェルダンが言う。
おや、とメイスンは思った。以前であれば誘われれば気兼ねなく飲みに出ていた印象だが。特にハンターなどとはしょっちゅうだった。
「何かあるのですか?」
なにか厄介ごとでも生じているのか、と気になってメイスンは尋ねる。
「デレクのやつと飲む約束をしている」
端的にシェルダンが答えた。
デレクというのは自分と入れ替わりに入隊した男だろう。酒を呑もう、などとは随分、仲も良いようだ。
「カティアとの話し合いもあって、以前みたいにはなかなか呑めん。ハンターの苦労がよく分かるよ」
苦笑いするシェルダン。
曖昧にメイスンは頷いた。30歳の手前までその手のことにはわずらわされなかったメイスンである。ハンターやシェルダンの苦労については想像するしかなかった。
ノックの音が響く。
小柄な男が汗を拭きながら、シェルダンの許可を待たずに入ってくる。先程、練兵場にいた筋肉質の男だ。この男がデレクだろう、とメイスンは察した。
「ん、あんたは?」
男が自分を睨む。服装と腰に差した剣を見て、ニタァッと笑う。
「メイスン、って人だな?シェルダン隊長から聞いてるぜ」
筋肉質だが背は低い。好戦的な表情で、男が見上げてくる。
(なるほどな)
自分と入れ違いであり、シェルダンと気が合うだけのことはある。活き活きとした、力強い軍人なのだろう。
「やめとけよ、デレク。場合によっては俺よりヤバい相手だ」
苦笑してシェルダンが間に入ってくれた。多少、悪く言われている気もするのだが。
(ヤバい、とはどういうことですかな?)
失敬な、と言ってやりたいのをメイスンはこらえた。
「ははっ、隊長が言うんなら間違いねぇや」
闊達に笑い声を上げて、デレクが手を差し出してきた。
友好の証に握手でもしようというのか。
「まぁ、これもなにかの縁だ。仲良くやろうぜ。で、もっと腕を上げたら相手してくれ」
随分、上から物を言ってくれるものだ。今すぐにでもデレクの腕前を見てやろうか、とメイスンは思う。そもそも見たところ、デレクの年齢はシェルダンと同じくらいだ。自分よりも一回りは若いというのに砕けた口調で話してくる。
「あ、紛らわしかったな。あんたの方が強いってのぐらいは分かるさ。俺が、腕を上げたら、だ」
苦笑いして言い直すデレク。率直な物言いに人柄があらわれているようで、メイスンも憎めなくなった。
「そうとは限らないさ」
メイスンも手を差し出した。
なぜだかシェルダンが面白がるような顔をする。
なにかも分からぬまま、メイスンは手を握った。
「ぐおっ」
恐ろしいほどの力で握りつぶされそうになった。右手に激痛が走る。
「ハッハッハ、だが、握力は俺のほうがあんたより強いようだな」
高笑いするデレクが、憎たらしい。
シェルダンも机をバンバン、と叩いて声を出さずに爆笑している。
「あぁ、メイスン、デレク、今日は3人で呑むぞ」
シェルダンが目から涙を滲ませて告げる。
自分が軍に残っていたらどうなっただろうか。ふと、メイスンは思ってしまう。今の状況に不満はなく、やり甲斐すら感じるものの。
「まったく。仕返しに酔い潰してやりますから、そのおつもりで」
郷愁のようなものを抑え込んで、メイスンはシェルダンに告げるのであった。




