207 困った女主人2
翌日、昼食を終えたあとの時間。メイスンは練兵場で剣を振っていたところ、セニアに呼び出されてしまう。使いに来たのは侍女のシエラだ。クリフォードとのお茶に同席してほしいという。
「なぜ、私が?」
当然の疑問をメイスンは口にする。どれだけの時間、集中していたかも分からない。久しぶりの鍛錬で流れる汗を布で拭う。
ただでさえ、ここ3日間、何かと理由をつけてはルベント散策につきあわされていたのだ。
「本当はセニア様だけでって話だったんですけど。セニア様が強引に。メイスン様も一緒じゃないと付き合わないって。クリフォード殿下に」
離宮庭園にある四阿へ向かう道中にて、困り顔でシエラが耳打ちしてくれた。なかなか無茶な要求だ。クリフォードも困ったであろうことが、容易に想像できた。
「おじ様っ!」
庭園にて姿を見るなり、嬉しそうにセニアが駆け寄ってくる。黒い質素なドレス姿だ。背後にはクリフォードの苦虫を噛み潰したような顔も見えた。
目があったのでメイスンは黙礼をする。
順調に若い男女で距離を縮めようかというところ、間違いなくクリフォードにとって自分は邪魔者だ。なぜ保護者まで来るのかと。
「あぁー、メイスン、すまない。忙しいだろうに、セニア殿がどうしてもと」
きまり悪そうにクリフォードが言う。
「おじ様が忙しいはずはないわ。屋敷を出たら、お仕事なんて、無いはずだもの」
セニアがうきうきとして言う。ルーシャスからの手紙と添削を見せてやりたい。困った女主人である。
クライン家を、つまり聖騎士の家系を、ドレシア帝国において再興するにあたり、セニアの結婚相手というのは非常に重要だ。能力の面でも人柄の面でも家柄の面でも、申し分ない相手と交際し、結ばれてほしいとメイスンは思っている。
「殿下、申し訳ありません。私のようなものが同席などと」
丁重にメイスンはクリフォードに頭を下げる。
理想としては次期皇帝の第1皇子シオンが望ましい。が、弟のクリフォードもまた、炎魔術の遣い手にして確固とした領地を持つ、見目麗しい有力者である。
(何より、セニア様一筋で一途なところが素晴らしい)
結婚後に幸せな生活を送れるかどうか、ということもまた、重要な要素だ。
問題はセニアのほうがまだ少女のようであり、恋愛の機微に疎いところである。
(このままでは、クリフォード殿下はおろか、まともな結婚が出来るかどうか)
親戚のおじ様としては大いに心配になってしまうところであった。
故に本来は、神聖術の訓練に励むべきところ、クリフォードとのデートなど、交際に費やす時間だけはメイスンも優遇することとしている。
クリフォードが惚れ込んでいる内にとっとと恋仲になって自分を安心させてほしい。2人とも美男美女であり、並べば絵になる上、もともとの仲も悪くないのだから。
(そもそも一度は婚約という噂もあったのだが)
あくまで噂だったらしい、ということは、当人たちを、特にセニアを見ているとよく分かる。
「おじ様、このお菓子を」
自分などに菓子を取り分けている場合ではない。クリフォードへの照れ隠しのつもりなのだろうが。
(ほら、セニア様、あの殿下の悲しそうなお顔を。すぐに謝って、身を寄せるのです)
直接、言葉にするわけにもいかず、メイスンとしては気が気ではなかった。もっと上手く同席を断ることが出来たのではないか、と忸怩たる思いだ。おそらく、セニアのことだから、レナートが存命であれば、恋人との密会に父親であるレナートの方を同席させていただろう。
いつもなら味わう、お茶の香りもまるで分からない。
(出来れば、独りで同じ茶を楽しみたかったものだ)
茶の香りをかいでから、メイスンは一口含む。
無論、クリフォードにも問題はある。
セニアを普通の貴族令嬢と思って扱ってはならないのだ。何せ頭の中には魔塔と剣のことしかない。魔塔を倒した後の人生などまるで考えていないように見える。
「セニア様、私はあくまで立会人です。この場の主役はクリフォード殿下とあなたなのです」
意を決してメイスンはハッキリと告げる。
何とかクリフォードの方をメイスンとしては向かせたい。
クライン侯爵家の今後を占う大事なことなのだ。
アスロック王国の不敬な王子と破談になったものの、より素晴らしい隣国の第2皇子と添わせられればレナートも喜んでくれるというもの。
「いやだわ、私はおじ様と」
こちらの気も知らず、口を尖らせる困ったセニアである。
眼の前で言い争いになるだけでも、クリフォードとしては不快だろう。
(あぁ、おいたわしや)
しかし、ちらりと見たクリフォードは怒るよりもただただ悲しそうである。
深くセニアを愛してくれている気持ちに、嘘偽りは一片たりとてないのだ。ドレシア帝国の臣民としても、一人の男としても不憫に思えてならなかった。
「セニア殿、すまないね。君がお茶など楽しめるわけもなかった」
とうとうクリフォードが切り出した。相手によっては失礼な物言いだが、セニアが相手では仕方がないとメイスンも思う。
「クリフォード殿下?」
セニアがいぶかしげな顔をする。キョトンと無邪気に首を傾げる所作がなんとも言えない可憐さを醸す。
メイスンは、クッと顔を背けた。
「次の魔塔攻略について、和やかに話し合えれば、と思ってこの場を設けたのだけどね。やはり私と君の連携を、ゴドヴァン殿、ルフィナ殿に支えてもらう、という戦型が一番安定したように、先の魔塔の最上階で感じたんだ」
苦笑いしてクリフォードか言う。魔塔での戦いの話をしよう、などとはセニアの心情、性格に寄せてくれている。
物の道理が解っていないのはセニアのほうだというのに、大いに譲歩してくれるクリフォード。メイスンは涙を流したくなるほどに感動してしまう。
「かえって、失敗だったかな。普通に執務室でゴドヴァン殿やルフィナ殿も呼んだ上で話すべきだったかな」
痛ましい程にセニアへの思いを滲ませてクリフォードが言う。男女としての距離を縮めたいなら、親しくなりたいのならば、むしろ茶にでも呼ぶのが正解だ、とメイスンは思う。
通常、いきなり執務室に呼び出して殺伐とした話をするほうが不躾だ。
だというのにセニアがウンウン、と頷くのである。
「そう、ですね。それならそう、と仰ってくだされば良かったのに。ごめんなさい、私、普通にお茶をおじ様と楽しもうと思ってしまいました」
なぜ自分が出てくるのだ。敬愛する主君でなければ軍にいた頃のように一喝している。
(これは、あの、ガードナーよりもたちが悪い)
明後日の方向への謝罪にメイスンもクリフォードも返しに困ってしまう。
2人の困惑にセニアが悄気げてしまう。しょげた顔も美しく可憐なのだが。あまりにクリフォードの気持ちを踏みにじるのならば、手遅れになる前に説教の1つでもしなくてはならないかもしれない。
「いや、いいんだ」
良いわけがないだろうに言うクリフォードがまた、メイスンにとってはいじらしい。
せめて一時でも、このクリフォードをセニアと二人きりにしてやりたくなった。
「セニア様」
ついとメイスンは立ち上がる。
「用事を思い出したので失礼します」
非礼に当たるが、このまま滞在している方がクリフォードに悪い。
呼び止める間もセニアには与えず、メイスンはとりあえずルベントの離宮を後にするのであった。




