206 困った女主人1
開け放った窓から吹き込む夜風が懐かしい。自分も長く、ルベントで暮らしていたのである。
読み物をしていたメイスンは顔を上げた。少し気を紛らわせて、今、読んでいるものと、関係のないことを考えたくなる。
すべて丸く収まったのだろうか。
ルベントにあるクリフォードの離宮にて、客人の格で招かれている。主君であるセニアも同様だ。ペイドランとイリスの結婚式場での一幕を思い出すにつけ、ついつい笑みをこぼしてしまうのであった。
結ばれたばかりでありながら、粋な計らいをする2人だと思う。
(シェルダン殿にとっても悪いことばかりではないでしょうに)
現場でも爆笑してしまった自分を、恨めしげに睨んでいたシェルダンの姿に、心の内でメイスンは返した。
既に3日も前のことだ。
結婚式への出席も終わり、イリスともしっかり話をしたのだが、セニアがまだ、皇都グルーンへ帰りたがらない。
「まったく、困ったお人だ」
日中のセニアとイリスのやり取りを思い出して、メイスンは苦笑いする。
明確にイリスからセニアの従者を辞めるという話が来ていなかったものの。新郎のペイドランは第1皇子にして次期皇帝シオンの従者となったのだ。
(イリス嬢は自分の元へは戻れないと、分かりそうなものだが)
メイスンとしては、そう思いつつも女主人のことを悪くは思えないのであった。
(分かりたくなかったのかな。情の深いお人でもあるからな)
結婚式場では泣きながら手放しで祝福していた姿と、式が終わって離宮に戻った直後に『イリスったらどうするつもりなのかしら?』とキョトンとしていた姿を思い出すにつけて、つい、メイスンは笑みをこぼしてしまう。
はたから見ていると、闇を見つめてニヤけている自分は少々不気味な姿かもしれない。
「で、何の用かな、ペイドラン君?」
見ている当人にメイスンは尋ねる。
メイスンは机に向かい、ルーシャスからの手紙に目を通しているところだった。屋敷の収支や報告書についてのもので、判断を仰ぐ形式である。
だが、ルーシャスが判断に困ることなどない。メイスンからの返事を添削したものも添えられていて、遠隔地に出た場合の判断力を鍛える、いわば訓練なのである。
「私が手紙とにらめっこしている姿など何も面白くないだろう?」
開け放った窓の向こう、まるでそのためにあるかのように大木が立っていて、枝の上に黒髪青瞳の少年が潜んでいた。挨拶代わりに微弱な気配を発して存在を知らせてきたので、気付けたが。
「メイスンさん、はじめまして」
初対面の緊張で強張った顔のまま、ペイドランが言う。
元密偵だが、シェルダンに利用され、セニアやクリフォードに苦労させられた少年だ。直接の親交こそ無かったが、紆余曲折の末、幸せを掴めたことをメイスンも嬉しく思う。
「はじめまして。そんなところでは難だから、入りなさい」
メイスンは折り目正しく挨拶してくるペイドランに微笑みを向けて告げた。
「じゃあ、失礼します」
猫のように軽い身のこなしで、ペイドランが音もなく入ってくる。青を基調とした従者の制服に今日も身を包んでいた。仕事帰りなのかもしれない。いつの間にか、律儀に靴まで脱いでいる。
「あの、まず、用件より。イリスちゃんを助けてくれたこと、本当にありがとうございます」
ペコリと頭を下げる姿を見て、メイスンはますますペイドランに好感を抱いた。
結婚式の場でも両名からは礼を言われている。
(本当に、助けられて良かった)
特にイリスについては、活き活きとした花嫁姿は本当に可愛らしくも美しく。死にかけていた姿からは想像もできないほどで。2人で幸せを手にしてほしい、とメイスンも心から思ったものだ。
「そうか、礼だけではない、か。これは心して話を聞かないといかんね?」
冗談めかしてメイスンは告げる。
緊張していた様子のペイドランの頬が緩む。
「そんな、すごい大した用件じゃないかもですけど。ただ、恩返しになればって。イリスちゃんとも話し合って、来ました」
ずいっと数冊の冊子をペイドランが差し出してくる。
メイスンは無題のそれと、ペイドランとを見比べた。
「何かな?これは」
すぐには受け取らずにメイスンは尋ねた。受け取ると説明もせずに、ペイドランが去ってしまいそうな気がしたからだ。
「メイスンさんも元軽装歩兵で、隊長の元部下で。隊長の差し金でセニア様のところへ送り込まれたんだって、聞きました」
言葉を選んでペイドランなりに順序立てて話をしようとしているようだ。『隊長』というのはシェルダン・ビーズリーのことだろう。
メイスンは首を横に振った。厳密には状況が少し違う。
「私は、聖騎士セニア様の遠縁の親戚にあたる血筋でね。この度、爵位を得られたセニア様を手助けしたくて志願した。口添えこそしてもらえたようだが、シェルダン殿の差し金か、と言われると少し違うかもしれないね」
微笑んでメイスンは告げた。嫌嫌ながら手助けをしよう、ということではないのだ。だからむしろ、手引きしてもらった、と表現するほうが自分の経緯には正確かもしれない。
「え、っと、すいません。とりあえず、次、俺も隊長もいなくって。メイスンさんが代わりみたいに、魔塔へ上らされちゃう、あ、違う。上るんならって」
困った顔でペイドランが言う。かえって混乱させてしまったようだ。
「昼間、イリスちゃんもそんなこと言われたよ、って教えてくれたから」
更に付け加えられたペイドランの言葉。まだ16歳という年齢を感じさせる話し方だ。外向けにも自分の妻を『ちゃん』付けで呼んでしまうところに、なんとも言えない愛嬌がある。
なお、帰宅途中ではなく、帰宅してからすぐに来てくれたらしい。
(皇子2人が配下に欲しがって取り合うわけだ)
結婚式場でもかなり激しくシオンとクリフォードがやり合っていたことを思い出す。他の話題になると親しげなのだが。
成長を見守りたい、と思わせられるような少年だ。
「あぁ、私は自ら志願して、自らの意志で聖騎士セニア様をお助けしようと思っている」
深く頷いてメイスンは告げた。
だから安心して心置きなくイリスとの新婚生活をペイドランは楽しんてくれればいい。
「シェルダン殿や君ほどには働けないかもしれないが、私なりに全力を尽くすつもりだ」
2人とも特別に有能だった。
シェルダンには先祖代々の経験と冷静さが、ペイドランには天賦の才と鋭い直感がある。
「そういうのは、多分、分かんないことです。魔塔は怖くて、行ってみないとどうなるか、分かんないから」
分別くさい顔でペイドランが首を横に振った。
やはり2度も上って魔塔攻略に立ち会っているだけあって、怖さをよく知っている物言いだ。下手に謙遜するのとも違う。
「でも、そういう分からない怖さを、少しでも軽く出来るように、ってこの冊子。シェルダン隊長のお父さんの、レイダンさんから貰ったものなんです」
ペイドランがもじもじと居心地悪そうにして言い淀む。
思わずメイスンは笑ってしまった。
「本当は、人に見せるな、と釘を差されていたのではないかい?」
目に浮かぶようだ。会ったこともないが、あのシェルダンの父親らしい。本人も、人助けをしようとするくせに、よくわからない条件をつけたがるのだから。
「門外不出って言われたんですけど。でも、メイスンさんには必要なものです」
決意をにじませてペイドランが言う。
自分やセニアのために思い切ってくれたのだ。無碍には出来ない。
「分かった、ありがとう。しっかりと活かすとしよう」
素直にメイスンは受け取ることとした。
セニアのためにも、魔塔の前情報はどんなものであれ、しっかりと得ておきたい。
「でも、セニア様たちには内緒にしてください」
決まり悪げにペイドランがもじもじして告げる。
おそらく必要性こそないものの、受け取る際にシェルダンの親から口止めされていたから、そこまで約束を破りたくないのだろう。
「分かったよ、私の頭にだけしっかり入れておいて。役に立てるとする」
断言してやると、安心した顔でペコリと頭を下げて、窓の外へとペイドランが姿を消した。まるで最初からいなかったかのようだ。
「1000年続く家柄の残してきた情報、か」
有り難く使うことにしよう、とメイスンは思った。
シェルダン自身の戦いぶりや判断力を思い出すと、必ず役に立つはずだ、と思えた。
「本当は、どうせ生存がバレたのだから、一緒に戦いたい気持ちも、あるのですがね」
ここにはまったく来たがらない年下の友人に向けて、メイスンは呟くのであった。




