20 第7分隊〜副官カディス3
封筒の色合いと話の流れからして、カティアへの恋文だろう、とは察しがつく。ただ、随分と分厚い。
やはりシェルダンもカティアとのことは満更ではなくて、かと言って好意を寄せた女性の、その弟本人には照れ臭く、姉への想いを恋文として書き溜めてくれていたのだろう。
(しかし、こんなにもたくさん。隊長らしいというか、なんというか。姉さんは幸せものだなあ)
カディスはまじまじと封筒を眺めて思う。封筒の分厚さがそのままカティアへの愛情に思えてきた。
「そうか、なら、もう姉がどうでしたか、とは訊いてくれるなよ?」
冗談めかしてシェルダンが言う。見るからに安心した様子だ。自分で恋文を渡す踏ん切りがつかなかったのだろう。
「ええ、もう、訊く必要もありませんから。この書面については私が責任を持って、姉に渡してまいります」
カディスは直立し、可能な限りの誠意を込めて答えた。
このままいけばシェルダンが自分の義兄となる。尊敬できる相手が義理の兄となることは、カディスとしても喜ばしいことだ。ただ、近縁の者同士で同じ部隊には置いておけないという軍の方針もあるので、自分が異動となるのだろうが。
(まぁ、異動ぐらい。それに散々な目に合わされたけど。たった1人の姉さんだ。幸せになってほしいしな)
いずれ、可愛い甥か姪にでも会わせてくれればいいと思う。良い手土産を持って遊びに行こうとも。
「本当に宜しく頼む。くれぐれもカティア殿以外には中身を見られないようにな」
シェルダンが念を押すように言葉を重ねた。口説いのも御愛敬だ。姉への恋文を他人に見せるわけもない。
「お前のように信頼できる副官がいて、ましてやカティア殿の弟でいてくれて本当に良かった。お前以上に適任者はいない」
最上の褒め言葉をもらい、カディスは姉の言うことなど聞かず、もっと早くに反抗を決断して、質問責めを中断しておけば良かったと思った。
(姉さん、押してだめなら引いて見ろ、なんだよ)
自分が質問を止めたことが功を奏したのは明白だ。
奥手のシェルダンにとって、事ある毎に気持ちを訊かれるのは相当な重荷であり、解放された今となって、ようやく恋文をカディスに届けさせる踏ん切りがついたのだろう。
カディスはシェルダンの前を辞すと、弾む足取りで真っ直ぐに、クリフォード第2皇子の離宮へと向かう。いつも報告を求められていた時間帯だ。
果たして、古びた裏門の前で、カティアが両手を腰に当てて仁王立ちしている。街灯の薄明かりの下で伸びた影にはなかなかの迫力があった
「どの面下げてここに現れたのかしら?」
カティアがカディスを睨みつけて言う。
どう見ても待っていたのであろうに。でなければ、いつも自分の訪れていた時間帯に、おまけに、いつも待ち合わせていた場所で、わざわざ待ち構えて仁王立ちしているわけがない。
「実家の父さんと母さんまで巻き込むなよ」
さすがに腹が立って、カディスは言い返した。せっかくの休日を台無しにされた恨みは深いのである。部屋で寝るか美味いものでも食っていたはずの時間なのだ。
「だって、あんまりにも辛いから。ついついお父様とお母様から優しい言葉をもらっているうちにね。泣き出してしまって。情けない姉でごめんなさいね」
皮肉たっぷりにカティアも返してくる。実際はカディスの非協力的な姿勢を、無いこと無いこと告げ口していたのは知っているのだ。
似た顔同士で睨み合った。見れば見るほどに憎たらしい。
(ちくしょう、このまま帰ってやろうか)
思いつつも、カディスの手は逆に、黒い布に包んだ薄桃色の封筒を差し出していた。たとえ、いろいろと間違えてはいても、カティアが本気でシェルダンに想いを寄せているのはよく分かる。シェルダンのことも上官として尊敬ができると思っていた。弟としては、2人の仲を取り持ってやりたいのであった。
「なに?これ?」
いぶかしげに布包みを見つめてカティアが尋ねてくる。何を用心しているのか、手に取ろうとはしない。
「シェルダン隊長から、姉さんに渡せって」
カディスの言葉が終わらないうちに、カティアが布包みを引ったくる。
更に包みをほどいて、薄桃色の封筒を見つめた。
無言である。言葉が出ないようだ。
「やっぱり」
カティアが胸から絞り出すように小さく呟いた。
「なに?」
言葉の先が予想できず、カディスは尋ねた。『やっぱり』から始まる反応を予測してはいなかったのである。
「やっぱりあの対応で良かったんだわ。考えに考え抜いた甲斐があった。弟のカディスに質問させて、弟に嫌がられてもくじけず、父さん母さんを使って嫌がらせして」
うっとりとした表情で、シェルダンからの恋文をギュッと抱きしめてカティアが言う。
見た目は恋する乙女のようだが、口から出る言葉は無礼の極みである。自らの悪事について、語るに落ちているではないか。
「いや、姉さん、その部分は失敗、大失敗で。しかも自分の親に使う、なんて言い方はちょっと」
成功体験だと思い込まれてはたまらない。確信をもって同じことをカティアが繰り返してしまう。
今後、どんな目に合わされるかも分からず、カディスは説得を試みる。
「だって、その甲斐あって、こんな素敵な結果にたどり着いたじゃないの」
邪気のない、キョトンとした顔でカティアが言う。
口では言えないほどの想いを、文面に詰め込んだであろうシェルダンからの恋文に、心躍らせているカティアの耳には弟からの説教などまるで入らない。
「俺がいろいろと苦心したおかげだと思うんだよ」
カディスとしても、苦労が苦労なので主張をせずにはいられない。
「とりあえず、今日はじっくりこれを読ませてもらうわ。じゃあね」
カディスの主張には一切耳を傾けず、カティアが屋敷の中へと戻ろうとする。
「ちょっと待って。姉さん、ありがとうは?」
身を翻したカティアが走り出す前に、カディスはそのお仕着せのスカート部の端を掴んだ。勝手に満足して帰られては困るのである。
さすがに一言もなし、では許されない。
「ええ、運んできてくれてありがとう。また、お願いね」
首を傾げてから、とてつもなくどうでもいいところだけをねぎらって、カティアが告げる。
呆れてものも言えないカディスの手を振り払って屋敷の中へと帰っていく。日が暮れて点き始めた屋敷の照明を背に細身のカティアが走る。
(いや、ルンルン、じゃないんだよ)
途中、くるりと一回転したカティアを見て、カディスは思った。
げんなりしながら、寮の自室へと戻る。結局、姉に振り回されただけだった、と思いながら寝台に横たわった。
眠りについても、どっさりとカティアの書いた恋文の返事を、運搬させられる悪夢を見た。一往復では足りなくて、何往復もして、しかもカティアのもとを訪れるたびに増えていくのだ。
「あぁ、夢、か」
カディスは気だるさを覚えつつ翌日も軍務をこなしていく。父母に詰問されたときほどには辛くはなかった。
「カディスさん、カティアさんが今日の夕刻、お屋敷へ来るようにって」
シェルダンからの恋文を渡した翌日、訓練中であるにもかかわらず、カティアからの伝言を届けに、離宮の下働きをしている少年が訪ねてきた。まだ10歳くらいの小柄な坊やである。
とてつもなく嫌な予感がした。カティアがこの少年を寄越す、というのは確実に来い、ということだ。カディスにとって、だいたいろくな事にならないのである。
「分かった、ありがとう。定時に行くと姉に伝えておいてくれ」
シェルダン始め他の隊員の目もあるので、カディスは答えて少年を離宮へと返した。姉から小遣いくらいは貰えるのだろう、ご機嫌で少年が帰っていく。
(はぁ、この後に及んで、なんだっていうんだ)
嘆息してカディスは訓練に戻った。