198 第三次第7分隊〜リュッグ3
軍から支給された紺色のシャツとズボンに着替えて、ガードナーは軍営の入り口でシェルダンと落ち合った。
「ひっ」
先に来ていたシェルダンを見て、ガードナーは悲鳴を呑み込んだ。
夕日を背後に伸びる影と相まって、シェルダンがまるで黄昏時の怪物に思えたからである。当然、実際のところは怪物ではない。恩義ある上官なのだった。
「まったく。もっと怖そうなやつがうちの軍にはもっと幾らでもいるだろう」
挨拶もなしにシェルダンが愚痴を言い始めた。
失礼だが自分も挨拶も抜きに、悲鳴をあげようとしたのだから文句は言えない。
「す、すいません」
ガードナーはションボリとして頭を下げた。
「ト、トト、トサンヌのお代はお、俺が出します」
日頃の感謝と謝罪の念からガードナーは言う。魔術講義などでは、比較にならないほどのお金を援助されている。
それでも、せめてもの恩返しがしたかった。
「馬鹿、部下に払わせたら、上官として、こっちが恥ずかしいことだ。こういうときは上官に甘えて、俺の面目を保たせろ」
軽くシェルダンに叱責されてしまった。苦笑いを浮かべている。
そもそも上司はおろか同僚・先輩とも食事をしたことがないのであった。自分の人生を思えば無理もないのたが。世間を知らない自分がガードナーは恥ずかしくなる。
「す、すいません」
つい、縮こまりながらガードナーはまた謝った。
「まぁ、気持ちは嬉しいがな。俺はすっかり怖がられているのかと思っていたよ」
シェルダンが笑顔のまま告げる。
怖がっているのは間違いない。嫌っていない、感謝、尊敬している、というのが本音で正確だ。それぞれの要素が別個に存在しているのである。
2人でトサンヌに向かう。
シェルダンが煮込んだ卵料理と麦酒を、ガードナーはほぼ初めて来るので無難に、煮込み魚料理であり店名にもなっているトサンヌを注文した。
2人で黙々と食事をする。
(俺が飲めて、酔っ払えば、もっと気軽に喋れるのかな)
思いつつガードナーは食事を進めていた。
向かいに座るシェルダンのほうも黙々と卵料理をつついている。ガードナーが話し出すのを待っているようだ。
(でも、どう話そう)
ガードナーもまた決して話が上手くない。
沈黙が続く。
「で、どうした?珍しいし、随分、思い切ったじゃないか」
結局、シェルダンのほうが先に話の水を向けてくれた。
怖い生き物だが優しい人なのである。
「何か重い話でもしたいのか?」
自分が複雑な家庭環境に育ったことは当然にシェルダンも人事資料で知っているのだろう。魔力持ちであることも知っていたのだから。
「す、すいません。た、大したことじゃ、ないかも、しれませんけど」
ガードナーは俯いて切り出した。
「隊長は、魔塔の上まで行ってきたんですよね?」
どうしても気になっている話をガードナーは聞かずにはいられなかった。
「ん?あぁ、まぁ」
シェルダンが嫌そうな顔をする。早速、禁句を発してしまったらしい。
怒らせたら、どうしようとも思いつつ、ガードナーは我慢できずに続ける。
「ど、どんな場所だか、俺、すごい知りたくて。それに俺はた、隊長のおかげで、せ、せっかく魔術を習わせてもらえたなら、も、もっと役に」
ガードナーは、自分でも何を言っているのだと思った。
使える魔術は1属性だけ。多少、体力もついてきてはいるが、まだ分隊の中でも貧弱な方だというのに。魔塔の勇者が上るような世界を気にしている。
(お、怒られるのかな)
ガードナーはシェルダンの顔色を窺って思う。険しい、剣呑な気配をシェルダンから感じた。
「そういう、気の使い方はするな、ガードナー」
シェルダンが難しい顔をして言う。怒っているのとは違うように見えた。
「別に魔塔上層へ上らせたいから、魔力講義の援助をしているんじゃあない。あくまで分隊の戦力を向上させるためだ」
シェルダンが言葉を切って麦酒をあおった。少し苛立たせてしまったのかもしれない。いつもの落ち着きとは違う荒々しさが見られた。
「その意味では、お前はとてもよくやっている。雷魔術が飛んでくる軽装歩兵の分隊なぞ他にどこにもないだろう」
期せずして褒められてしまった。生まれて初めての経験にガードナーは固まる。
「この調子で着々とレンドック先生の指導を受けて実力をつけてくれればいい。魔塔なんて余計ごとは気にするな」
ただ、結局、魔塔上層のことはまるで教えてくれていない。
余計ごとだ、と言っているのであまり好意的には捉えていないのだけが分かる。
「お、俺は隊長のおかげで、す、少し働けるようになりました」
ガードナーは考えつつ言葉を紡ぎ出そうとする。
「た、隊長が魔塔の上へ、と、特命で行ってきた、っていうから、も、もしかしたら、俺たちもそういうことがって」
憧れていた魔塔上層で戦う勇者たちだ。その手助けが出来るならもっと張り切れる。先日のようにデレクとの諍いに無駄な力を使うこともない。
「そんなことは俺がさせん」
思いの外、強い言葉がシェルダンから発せられた。まるで半ば叫ぶかのような鋭い物言いだ。
「ひぇっ」
ガードナーはつい仰け反ってしまう。おかげで魚の煮汁が少し溢れてしまった。
シェルダンが苦笑いを浮かべる。
「すまない。魔塔上層など、本来、軽装歩兵の身で上るようなもんじゃない。いくら強くなったって、足りない。命を落とすかもしれん、そんな環境だ」
どうやらとても過酷らしいということだけが、ガードナーにはよく分かった。
「そうだ、メイスンやペイドランみたいな奴らならともかく、ガードナーは駄目だ。俺はそんなことのために、こいつに金を出したんじゃない。実力だって、人柄だって。魔塔に関わる?いや、あんなもん、ロクなもんじゃない」
ブツブツとシェルダンが卵料理を睨みつけながら独り言を始めた。
魔塔に関わらせたくない、と拒まれた格好だが不思議と嫌な気持ちはしない。
「お、俺、何も出来ない人間でした」
ガードナーは切り出した。本当はもう少し違う話がしたいのである。
シェルダンが視線を向けてきた。
「でも、少しマシになってきたら、今度は失敗したら死ぬんだって。責任みたいなの、あるぞって分かりました」
ガードナーは纏まらない考えをなんとか伝えようとする。考えていると不思議とどもらない。
シェルダンが感心したように頷いてくれた。
「最初はただの無気力な問題児だと思っていたからな。成長したもんだ」
シェルダンがニヤリと笑う。少し酔っているようだ。
「だから、責任重そうな、大変そうな場所はどうなのか、気になって」
本当は魔塔に限ったことではない。でも気になるのであった。
自分の身近で魔塔を知るのはシェルダンだけだ。
「気持ちはわかった。前向きに頑張ろうとなったなら嬉しい。だが、魔塔はだめだ」
重ねて言い切られてしまった。なぜだかシェルダンは自分を魔塔から遠ざけたいらしい。
つい、意図が見えると気になってしまうのだが、ガードナーは抑えた。あまりしつこいと、この怖い上官を怒らせてしまう。
結局、あとは自分の魔術講義がどこまで進捗し、どう分隊の中で連携するかの話に終始する。シェルダンとしては、自分の魔術とデレクの怪力・重装備を併せればいろいろ出来ると思っているようだ。
(やだなぁ)
デレクについて、ガードナーは思ったが、支払いもシェルダンに済ませてもらう手前、何も言えなかった。申し訳なく思いつつもガードナーは帰宅する。かなり遅い時間だがまだ、リュッグの部屋には灯りが点いていた。
翌日、リュッグが訓練を休んだ。体調不良ではなく、試験に向けて休みをシェルダンが取らせたのだという。
2日間、リュッグの姿を見ることはなかった。
「全く、リュッグはすげえよな」
2日目の訓練終了後、ハンスがロウエンに話しているのが聞こえた。
「技師の資格とって、恋人も可愛い子がいて、だとよ」
軍営でシエラを見た、という者がいたらしい。リュッグと親しげに話しているところも見られている。
「1日余分に休んで、試験翌日にデートするって噂だ」
ロウエンもどこで仕入れたのか、噂を披露している。
結局、試験当日は自分も魔術の講義を受けていて、ガードナーはリュッグと会うことはなかった。
(うまく出来たのかな、リュッグ君。頑張ってたし、大丈夫だよな)
レンドックの元から軍営に戻る途中、おとなしい友人のことを心配しながらガードナーはルベントの商店街を歩いていた。
果たして、リュッグが黒髪の美少女と並んで歩いている。
(羨ましいなぁ)
結果はまだ出ていないだろうが、手応えがあったようだ。
幸せそうな充実した顔のリュッグを見るにつけて、ガードナーは友人の幸せに安堵するのであった。




