197 第三次第7分隊〜リュッグ2
しかし、ただ充実しているだけではないように、ガードナーには思えた。
「な、なんかすごい嬉しそうだけど、良いことが?」
嬉しそうにニコニコしているリュッグに、ガードナーは尋ねた。
「あぁ、実はペイドラン君とイリスさんの結婚式に招待されてるのは、シエラちゃんもで。何せペイドラン君の妹で、イリスさんの同僚なんだ。明日にはルベントに着くっていうから」
恋人のシエラと久しぶりに会えるらしい。
我がことのようにガードナーも嬉しくなった。
「良かったね」
ただ、気の利いた、上手い返しが自分から出てくるわけもない。ガードナーにはこれが精一杯だった。
「うん。でも、恥ずかしくないように勉強も訓練もしっかりやらないと。会ってる暇ない、なんてことになったら悲しいからね」
身体を苛め抜いた後に、更に勉強もいつもどおり頑張るつもりのようだ。
いつも寮で見ていても、遅くまでリュッグの部屋からは灯りが漏れている。体を壊さないか、ガードナーは心配になってしまうほどの頑張りだった。
「じゃ」
リュッグが通信具の倉庫へと戻っていく。そういえば自分のせいで仕事を中断させてしまったのであった。
(隊長は心配するなって言ってたけど)
ガードナー自身も読書が趣味であり、夜更かしをする傾向にはあるのだが。趣味と勉強では疲労の度合いがまるで違う。
今まで頑張ることも、ろくな楽しみもない人生だったガードナーである。リュッグの苦労は想像するしかない。だが試験に対しての、落ちるかもしれない、という重圧に耐えながらの勉強は苦しいだろうと理解は出来る。
(落ちたらどうしようとか、い、嫌だな、とか思わないのかな)
自身の魔術訓練は師匠のレンドックこそ短気で怖いものの、落ちる、失敗する、という重圧はない。
ふと、ガードナーは思い出した。
迫りくる馬体。1つは白い魔槍を持つ重装騎兵隊隊長ハイネルという人だ。もう1つはジュバ。紫の瘴気を身に纏う巨体である。
「じ、実戦でしくじれば、俺は死ぬんだ」
ガードナーは呟く。
ハイネルのときにはサンダーボルトを、ジュバのときにはサンダーウィンドを放った。いずれのときも自分が魔術をしくじっていたら殺されていたかもしれない。
(きっと此の後も戦い続けていれば、俺は)
自分だけではない。シェルダンもハンターもリュッグも、他の仲間たちも、戦場で自分がしくじれば死ぬかもしれないのだ。
部屋に戻って寝台で横になる。読書をしようという気分になれなかった。
力を得て信頼されれば仕事を任される。任された仕事には責任が生じるのだ。当たり前のことだが、自分は知らなかった。
「いま、知った」
ポツリと呟いた。
気づいた、と言ったほうが言葉は正確かもしれない、と遅れてガードナーは思う。
いろいろなものを得たからだ。せっかく得たものは当然失いたくない。失わないためにはどうすればいいのか。
夜中までガードナーはボンヤリと考え続けていた。
「ひ、ひええぇっ」
翌日、自分なりにガードナーは結論を出して、悲鳴を上げに行った。
厳密にはシェルダンに声をかけに行ったのだが。
さすがに怒ったシェルダンに頭を小突かれる。
「ガードナー、上官に声をかける時は『失礼します』だ」
全くもってそのとおりである。ガードナーも頭では分かっていた。
「お前に声をかけられると、まるで自分が 魔物にでもなったような気がする」
ブツブツとシェルダンが文句を言う。
「そんなに怖いか?いやむしろ、余っ程優しくしてるつもりだが、何が悪いんだ」
自分の頬や手を見て深刻に悩み始めている。どうやら会うたびに悲鳴をあげられることで、何やら不満を溜め込んでいたらしい。
「た、隊長、し、失礼します」
いつまでも話を向けてくれないので、ためらいながらもガードナーは言い直した。
「あ、あぁ、いつもどおり、このまま悲鳴をあげられて終わりかと思ったぞ。声をかけてきたのはそっちだっていうのにな」
気を悪くしたままの顔でシェルダンが言う。
自分と話すときだけ弱くなってくれればいいのである。ガードナーは思ったが無理なことにつき、さすがに口には出さなかった。
「で、どうした?何の用だ?」
魔術訓練の関係だろう、とシェルダンには思われているかもしれない。
ガードナーがしたいのは、もっと曖昧な話だ。
「あ、あの、此の後、お時間がよろしければ、ト、トサンヌで」
ガードナーは喋れなくなった。ここまで言えただけでも勇気を出せたと思う。
「どうした?珍しいし、初めてだし。お前、まだ、酒を飲める年齢じゃないだろ」
訝しげな顔でシェルダンが言う。
ハンターなどとは以前からよく仕事帰りに飲んでいるのをガードナーは知っていた。最近ではデレクとよく飲んでいるようだ。筋肉談義でもしているのだろう。
(お、俺だって、仕事終わりに、じょ、上官と食事して、悩みを聞いてもらってもいいんだ)
ガードナーはシェルダンの膝あたりに視線を落としたまま考えていた。直接、目を見るのは怖い。サーペントにでも睨まれた気分になってしまう。
「まぁ、今日はカティア殿と会う約束もないし、昨日会ったばかりだし、出征前でもない。大丈夫だろう」
シェルダンが言い、更に手帳でも確認している。
「うん、特別な記念日でもない。本当に、大丈夫だろう。構わんぞ」
顔を上げてシェルダンが了解してくれる。どうやら気軽に飲みに行っているようで、厳しい条件が、本当はいろいろあるらしい。
(ていうか、今、カティア殿って)
普通は陰では悪口で呼び捨てにして、本人の前では敬称つきで呼ぶのではないだろうか。ガードナーは首を傾げた。つくづくシェルダン・ビーズリーというのは不思議な人だと思う。
ものの小説などを読むと、危険な魔物に挑む勇者は名剣を遣う。風変わりな鎖鎌などは使わない。
(そもそも軽装歩兵なんて低い身分の人はいないのに)
だが、シェルダンは間違いなく強くて恐ろしい。ゲルングルン地方での戦いを見るだけでも。デレクなどとは違い、どういう間合いの取り方をしても、勝てる想定が出来なかった。
「おい、ガードナー」
考え事からシェルダンに呼びかけられて我に返る。
「はいぃぃっ」
辛うじてガードナーは悲鳴の返事をした。あくまで返事だ。悲鳴ではない。
「まったく。着替えて軍営の正門前だ。真面目な相談らしいからハンターもデレクも呼ばない。それでいいな?」
ため息をついてからシェルダンが言う。
「は、はい、すいません、ご迷惑を」
ガードナーは申し訳なくなって、謝罪する。
嫌いなのではない。怖いだけだ。感謝も尊敬もしているのに、口をついて出るのは、悲鳴なのであった。
「むしろ、相談事があるならある、と言えるようになったみたいで、そこは嬉しい」
怖い微笑みを浮かべてシェルダンが言う。
ガードナーは黙って頭を下げた。そして、心の内で『笑顔にまで怯えてすいません』と謝罪するのであった。




