19 第7分隊〜副官カディス2
翌日の仕事中、次の労休日に生家へ顔を出すように、との手紙が父と母の連名で届いた。つまり2日後だ。穏やかではなく、何のことかも分からない。しかも連名で貴族としての家紋まで印押しされている。
(一体何事だろ、正規の呼び出しじゃないか)
カディスは首を傾げつつも、軍務自体はカティア絡みの質問から解放されたことですごぶる快調だった。朝の問が無くなった段階でシェルダンが安心し、つつがなく話しかけてくるようになったからだ。
(まぁ、隊長も満更じゃないはずだよ。嫌いなら身分が違うって、この人、言い出すから)
機嫌が良くなったカディスは姉のために、シェルダンの予定を確認しておいてやった。ほとぼりが冷めたら、姉に予定を聞いてデートの日程を詰める手伝いくらいはしてやろうと思ったのだが。
平穏に数日を過ごした後、カディスは生家を訪れる。
「カディス、姉さんと何かあったのか?」
労休日の午前中、訪れた生家にて開口一番に父が訪ねてきた。場所は日当たりの良い居間である。すぐに父母と向かい合って、座り心地のいいソファに腰掛けた。
ルベントの街、クリフォード第2皇子の離宮近くにある、小ぢんまりとした一軒家が今の実家だ。失った領地にある屋敷のことはもう忘れた。父母も今の住居で心安く過ごしている。
「え?」
ただ、訊き返すカディスに向けられる両親からの眼差しは険しい。ともに40代の半ばを過ぎ、品の良い顔立ちをしている。いつもは娘だけではなく息子の自分にも優しく温厚な両親だ。
(姉さんに、何か吹き込まれたな)
カディスは内心で寒気を感じていた。
毎月の仕送りも、この家を購入したときの資金も、姉の方が多く出している。一介の軍人である自分と、第2皇子付きの侍女をしている姉とでは収入にかなりの差があった。
訪れる回数も、ここが離宮に近い関係で姉の方が圧倒的に多い。よって、いざ揉めると、両親からの心象ではカディスのほうが不利だ。
「カティアが涙ながらに駆け込んできたぞ。聞けば好きな人が出来たそうじゃないか、カティアは。それもカディスの上司なんだろう、なんで応援してやらない?」
腕を組んで父が言う。
やはりカティアの悪巧みだ。直接の口論で負けたから両親を使ってきた。
「あー、でも父さんはいいの?姉さんは大事な一人娘で、よく、ほら、娘はやらんみたいに渋る父親が世間では多いみたいだけど」
良い返答が思いつかず、カディスは疑問に思ったことをそのまま口にしてしまう。
「何を言うんだ、お前は。あのカティアだぞ?仕事ばかりで結婚どころか恋愛にも興味を示さない、あのカティアに好きな人ができて、父さんが喜ばないわけないだろう」
ぐうの音も出ない正論を当たり前に返されてしまった。父の隣に座る母も咎めるような顔である。愚かなことを言ったのは自分の方となった。
「でも、相手の人は俺の上司とはいえ、つまり軽装歩兵で下級の軍人で。子爵令嬢の姉さんとは」
シェルダン自身が言いそうなことを、ついカディスも口にしてしまう。
「さっきからお前は本当に何を言ってるんだ?そんな古臭い、見当違いな考えで姉さんの邪魔をしているのか?馬に蹴られて死んでしまうぞ」
いよいよ呆れ果てて父が言う。母も隣でウンウンと頷いている。
「カティアとその人が幸せに暮らせるかどうかの問題だ」
全くもってそのとおりなのである。
そもそも邪魔をしていない上に、すでにだいぶ協力してきたのだ。
(でも何から言えばこの誤解は解けるんだ?)
カディスは首をひねってなんとかこの場を凌ぐ言葉を絞り出そうとする。
絞り出す前に父がまた口を開いた。
「カディスの上司でカティアが好きになるくらいの人だ。間違いのない人なんだろう?」
話が進んでしまった。思考が置き去りである。
「ええ、まぁ、はい。千年以上続く由緒正しい軍人の家系で、本人も優秀な軍人で。人柄も誠実で」
さすがにシェルダンの悪口は言えず、カディスは答えざるを得なかった。話がどんどん逸れていくことに焦りながら。
「ほら見ろ、そんな人なら良いじゃないか。私だって会ってみたいぐらいだ。お前が非協力的だから、父さんに会わせてあげられない、とカティアは泣いてまでくれたんだぞ」
父が立ち上がって見下ろしてくる。ひょろりと背が高く、いつもはニコニコと優しい紳士なのだが。
(それ、絶対嘘泣きだよ)
いつまでこの茶番は続くのか。
せっかくの労休日がどんどんと消化されていく。
「いや、俺のせいじゃ」
困惑しつつもカディスはなんとか弁明を試みる。
「カディス、いい加減になさい!」
いつもは優しい母までピシャリと言葉を遮ってきた。
「なんでいつも私達のために頑張っているカティアを応援してあげられないの?今までだって、侍女のお仕事を頑張っていて、恋をする間もなかったのよ?せっかく応援してあげられる立場にいるんだから、弟でしょ、助けてあげなさい!」
母には、いかに軍務が命懸けで大変なものかということから説明すべきだ。とんでもないことを口走っている。
軍人として頑張り、給与から少なくない額を渡しているカディスのことはすべて棚上げだ。
「そもそも姉さんなら、もっと玉の輿を」
言いかけたカディスを、父母が睨みつけて黙らせてくる。
「お前は姉に、金目当ての結婚をしろというのかっ!」
理不尽すぎる一喝だ。
もう、何を言っても無駄だ、とカディスは悟った。
(もうダメだ、石になろう)
カディスは心に決め、姉と果てしのない言い合いを繰り広げてきた日々の中、不利が続いたときに体得した技術を両親にも使う。
ただ座って、どんな言葉もただの音だと割り切る。心には一切残さない。
一度、昼飯時に解放されるかもしれないと思い、一時的に戻ってきたが、食べていくようにと言う。
改めてもう一度、石になり、二人の言葉をやり過ごす。
反動で凄まじい徒労感を感じたとき、ようやく解放された。
(夕飯も食べさせられたり、泊まってけってなったりしてたら危なかったな)
すでに日も暮れている。寮の自室へと帰りつつ、せっかくの休日を台無しにされたことに怒りを覚えた。
怒りのあまり、まんじりとも眠れぬまま、翌朝を迎える。
寝不足で重たく気だるい身体のせいで、何時になく辛い訓練をこなす。軍務や出動であればかなり不味かったかもしれない。夕刻、訓練終了後にシェルダンからの呼び出しを受けた。
執務室に行くと、険しい顔をシェルダンがしている。腕を組んで机上をにらみつけていた。
いつもの訓練よりも動きの悪かった自覚はあるので、叱責かとカディスは身構える。
が、よく見ると机上には薄桃色の分厚い封筒があり、シェルダンの視線は封筒に釘付けなのだった。カディスの来訪にすら気づかないほど。これもまた、シェルダンにはひどく珍しいことである。
「隊長」
カディスは遠慮がちに声をかける。
シェルダンが顔を上げた。
「カディス、お前にしか頼めないことがある」
開口一番にシェルダンが低い声で言う。
「ただ、軍令でも、上官としての命令でもない。きわめて個人的なことだが受けてくれるか?」
カディスは驚いていた。副官を務めてから個人的な頼み事など初めてのことだからだ。
「内容を伺っても宜しいですか?」
全く見当もつかないので、心持ち慎重にカディスはシェルダンに尋ねた。
「これをカティア殿に渡してほしい」
シェルダンが見せてきたのは、机上にあり、先程から睨みつけていた封筒だ。
「そ、それを姉に、ですか?もちろん、大丈夫です、はい」
カディスは表情を取り繕うことができないほど驚いていた。いつもならば努めて冷静な顔でシェルダンとは接するようにしている。