185 結婚準備2
「ねぇ、ペッド、結婚式のことだけど」
イリスはお茶を入れたコップを、二人分テーブルに並べてから切り出す。
テーブルから下げた食器を、2人で並んで洗った後である。
この部屋は賃貸だが生活魔導具も充実した良い物件だ。ただ、2人とも魔力がないので定期的に魔術師に魔力を補充してもらわないといけないのだが。ドレシア帝国はアスロック王国と違い、生活魔導具に魔力を補充する術師も充実していた。そこまで法外な料金は取られない。
(ペッドの稼ぎだけでも、二人で暮らしていくには十分そうだものね)
最初の段階で雇用主シオンとも、ペイドランの給金についてはしっかり話をつけてある。イリス自身もセニアの従者をしていたときの蓄えがまだ残っているので、差し迫った金銭的問題はない。
「うん」
ペイドランが身を乗り出してきた。2人の大事な話であり、仕事後の疲れた状態でも応じてくれるのが、イリスには嬉しかった。
「本当の本当に、シオン殿下、費用を援助してくれるの?」
イリスは神聖教会で貰ってきた資料を卓上に並べて尋ねる。
どれぐらいの規模だとどれぐらいの費用がかかるのか、見積もりを貰ってきておいたのだ。本当に規模の大きなものだと、イリスとペイドランの現在の収入では軽く十年はかかる。御祝儀を貰えるにしても当てにし過ぎては駄目だろう。
「うん、その話すると、俺のこと、殿下が、ものすんごくからかうから、あまり言わないようにしてたんだけど。でも、そう言ってたよ、お金は一切、心配するなって」
言いながら、ペイドランが一番高い結婚式の見積もりを見て固まった。無駄遣いどころか買い物自体滅多にしないペイドランにとっては、想像を絶する額だったのだろう。
「明日、聞いてみるね」
気を取り直したのか、真面目な顔に戻ってペイドランが言う。
(高いのダメだよ、って言わないのが大好き)
イリスはつい嬉しくなってしまう。
神聖教会の御神体の前で結婚の誓いを行い、その後、披露宴を行うのだが。高いものは2人の衣装を借りるところからして高いのである。更には魔導写真の職人を呼ぶのにも、いちいちお金がかかるのだ。
(せっかく、ちゃんとした国に来れたんだもの)
お金を節約して記念の写真もなし、などとはイリスには考えられなかった。衣装も自分で選んだ可愛いものを身に着けたい。
「そっか、でも、大事なことだから、ごめんね、お願い」
イリスは頭を下げる。一生に一度の結婚式だから、一切の後悔も妥協もしたくない。もちろん、自費で、となれば折り合いをつけるしかないのだが。
「イリスちゃん、嫌じゃない?その、2人の結婚式なのに、シオン殿下のお金で式をしようっていうの。俺、ついお願いします、しちゃったけど」
2人の結婚式だから2人のお金で、というのはペイドランの言う通り、確かに理想だ、とイリスは思う。
(やっぱり、どうしても、少し考え方、私とペッドでも違うところあるんだ)
ただ、嫌なズレではない、とイリスには思えるのだった。ペイドランがペイドランなりに、それだけ大事に結婚式のことを考えている、と分かるからだ。
「うーん、私は、ペッドと心置きなく、思ったとおりの結婚式して、できるだけたくさんの人から、おめでとうって言ってもらいたいの」
イリスは照れ臭くなり、俯いてしまう。少し言葉を切って、考えを纏める。
「私にとっては、結婚式をするのって、こんな素敵な人と結婚するのよ、って自慢もあるから。私、みんなに、格好良いペッドを見てもらいたいの」
今度はペイドランが、真っ赤になって俯いた。格好良いと言われて照れる可愛らしさも見てもらいたいのである。
「だから、ペッドが嫌じゃないなら、私、シオン殿下の申し出、とてもありがたいな、って思うの」
イリスは、はっきりと自分の意志を表明した。見つめれば見つめるほど素敵な旦那様にペイドランはなるだろう、と思ってしまう。
「そう、だね。お金出す理由、殿下、無いはずなんだ。ものすんごいからかわれるから、俺、照れ臭くて忘れてたけど」
ペイドランもウンウンと頷いて腕組みする。
(あんな危険な魔塔攻略に付き合って、弟を助けてるんだから、お金はいくら貰ってもいいと思うけどね)
そうでないならば、もしかすると、あまりにからかい過ぎているから侘びのつもりなのではないか、とイリスは勘繰ってしまう。
1つだけ、心配なことがあった。
「ペッド、何か嫌なこと、引き換えにさせられる、とかそういう心配はないの?」
イリスはペイドランの端正な顔を正面から見つめる。
それこそ魔塔攻略にまた参加させられるなど。ペイドラン自身の意志で手助けするのならともかく、自分をダシに無理強いされるなど、もうあってはならないことだ。
「それが、本当に無償みたい。そういう話も全然ないけど。なんかね、報いるんだ、とかご褒美とか言ってた」
ペイドランが自信なさげに言う。嘘をついているのでも適当を言っているようにも見えないが。
「とにかく、いっぱいからかうから、話が紛れて俺も覚えきれてないんだ」
困った顔でペイドランが言う。大事な話が紛れるほどにからかわれるとは、余っ程だ。
(いったい、どんな話してるんだろ)
なまじ話題が自分とのことだとわかっているだけに、イリスも漠然と不安になってきた。かなり恥ずかしいことまでペイドランは喋ってしまっているのではないか。
「からかうって、まさか、助平な話じゃないわよね?」
イリスはじとりとした視線をペイドランに向ける。
ペイドランがとんでもない、と首を横に振った。
「そういうのはないけど、どれだけ仲良いか聞き出そうとしてきて、兎に角しつこいんだ。寝る前とか仕事行く前とかに、どういうことを話すのか、とかだよ」
ペイドランが申し訳無さそうに言う。おそらくペイドランのことだから口が滑っているのに違いない。
「もうっ、ペッド。あんまり外で恥ずかしい話はしないでよ」
イリスは憮然とした顔で言う。あまりイチャイチャしているのが知れ渡ると外を歩くときに恥ずかしい。
「うん、気をつけるね」
ペイドランが頷く。本人にも話そうという気がないのだから、余計にたちが悪い。
「それじゃ明日、殿下にちゃんと式の援助のこと、相談してくるね」
重ねてペイドランが告げる。
果たして、翌日、ペイドランがいつもより早く帰宅した。
手には何やら分厚い冊子を困った顔で握っている。
「おかえり、早かったのね」
意外に思いつつもイリスは早い帰宅を素直に喜んだ。
いつも通り着替えを手伝おうとする。
「うん、例の、式の援助のこと話したら、早く帰れって」
ペイドランが戸惑いもあらわに言う。
思わぬ物言いで、イリスも不安になった。
「お金、やっぱだめって?」
浅ましいかもしれないが、イリスのほうは期待していたのであった。
ペイドランが首を横に振る。
「ううん。でも、なんかこの冊子、渡されて。イリスちゃんと目を通して話し合った上で、私の援助を受けるか決めなさいって」
言いながら、ペイドランが冊子を渡してくる。
イリスは受け取り、パラパラとめくった。
「え、何?まず絶対にシオン殿下を招待して、雇用主だから席は一番前にしてほしい?あとは」
冊子に書いてあるのは自分とペイドランの結婚式に対するシオンからの要望や提案だった。
忙しいはずの人が空き時間で何をしていたのか、他人の結婚式の計画をああでもないこうでもない、とあの細面で練っていたのだろうか。
「その、全部、言う通りにしなくていいけど。受けられるのと嫌なのを選別してほしいって」
困った顔でペイドランが言う。
つまり、シオンからの援助に対する条件というのは、自分もちょっと過剰なくらいに干渉したい、というものだった。
「うーーん、分かった」
イリスは渋々頷いた。
「まぁ、別にいいやってのも正直あるし、衣装の候補とかいい加減にしてって腹立つのもあるから」
ペイドランがコクコクと頷く。
「それを全部分けて。突っ返してみてシオン殿下がどう出るかね」
それでもなお、多額の援助をしてもらえるのは捨てがたい。イリスは思い、シオンからの冊子にペイドランと額を合わせるようにして目を通していくのであった。




