184 結婚準備1
イリスはペイドランと賃貸で暮らしている集合住宅にて、テーブルの上に並べた手紙を満足気に眺める。
「ペッド、今日も遅いな」
ちらりと時計を見て、イリスは一人呟いた。既に夜もかなり遅い時間になっている。空もすっかり暗くなっており、カーテンの合間から仄かに魔導街灯の光が差し込んでいた。
(ペッドったら)
テーブルに並んでいるのは、明日発送予定の、自分とペイドランの結婚式の招待状だ。出来るだけ多くの知り合いをイリスとしては呼びたいのだった。
(そりゃ、全部、私達だけで出来たら嬉しいけどさ)
ペイドランにもイリスにも、現在、頼れる両親がいない。家庭にもよるのだろうが、両親などから当座、援助をしてもらって結婚する若いカップルも少なくないのだという。
それを考えるとシオンの援助を受けるのも悪くない気がする。
(私はあんたといて幸せだし、楽しいし。早く一緒になれるならそのほうがいいよ)
少なくともイリスとしては、ドレシア帝国第1皇子シオンからの結婚式を費用の面で援助してくれる、という提案は渡りに船、であった。
お金のことを気にせず、ペイドランとの式が出来るのなら素直に嬉しい。神聖教会での結婚式と手続きの費用はかなり重たい。
(魔物への対策の経費にしてるって話だから、あまり不満も言われないのよね)
結婚後の生活のことも、ついイリスは考えてしまうのであった。
ラルランドル地方での戦もドレシア帝国軍が勝利したそうだ。ドレシア帝国の旧土では祝勝の祭りが各地を賑わしている。
ゴドヴァンとルフィナも皇都グルーンへ凱旋するのだ、という。
「いずれにせよ、ペッドは今、お仕事忙しいから、一人でも出来ることは私がやらないとね」
イリスは自分に言い聞かせる。神聖教会への申し出や披露宴の会場選びは2人でしたかった。ただ、招待状などの細々とした準備は自分一人でも出来る。
「ただいま」
深夜近くなって、ようやくペイドランが帰宅してきた。
イリスの顔を見るなり、嬉しそうにして抱きしめてくれる。
勤め始めてからもう10日以上経っていた。毎日、朝早く出ては夜遅くに帰る。
離れているのが耐えられないとばかりに、示してくれる親愛の情が、イリスには、こそばゆくも嬉しいのであった。
「おかえり、遅かったわね、大変だった?」
制服から着替えるペイドランを手助けしつつ、イリスは尋ねた。
「うん」
ペイドランが頷く。
「殿下、すごい喋るんだもん」
ここ数日、返事がいつも同じだ。
細い、怖い、鋭い印象のシオンがよく喋る、というのがイリスには意外だった。ペイドランが話しやすい相手なのかもしれない。
だからわざわざ従者にしたのだろう。そうすると、イリスにとって心配なのは周囲からのやっかみだ。
着替え終わるやまたペイドランが抱きついてくる。
「そっか。誰からも嫌なこと、されてない?」
イリスはポンポン、と抱き合ったままペイドランの背中を叩いて尋ねる。
出勤が早いのも帰りが遅いのも、誰かに仕事を押しつけられているからなのではないか。
「それが」
ペイドランが困った顔をして言い淀む。そっと身を離す。
不安が当たったのかとイリスは身構えた。必要とあらば食って掛かりに、シオンの離宮へ行かなくてはならない。
(ペッドは私が守るんだから)
心の中で握り拳をイリスは作った。
「護衛の人も文官の人も皆、優しいんだけど、俺、新参なのに。ただ、何かと皆してイリスちゃんとどうなのかって聞き出そうとするんだ。シオン殿下の前でもお構いなしなんだよ」
本当に困っているようだ。自分とのことを思い出しては恥ずかしったり、惚気たりしているであろうペイドランの姿が目に浮かぶ。
「あぁ、そう」
イリスは遠い目をした。可愛げの塊のようなペイドランが嫌われて虐められるわけもなかった、とつい惚気けたことを考えてしまう。
「きっと、イリスちゃんが可愛いから知りたがるんだ」
一人、憮然とした顔で納得するペイドラン。まじまじとイリスの顔を見つめてくる。
「もう、きっと、そんなんじゃないわよ」
イリスはくすぐったくなって視線を逸らした。
最初から一貫して自分だけを可愛い、と言ってくれたのはペイドラン唯一人だ。
(いつも皆、セニア、セニアだったからね)
セニアに言い寄る男を蹴散らすのが仕事だった。結果、男勝りの生意気な従者と称されたのである。だから口説かれたことはおろか、直接可愛いと言ってくれる男など皆無であったのだ。
「他人の恋って、話題としては面白いから詮索したがるものなのよ」
イリスは笑ってペイドランに言う。
(多分、護衛の人も文官も、恥ずかしがるあんたが面白くて聞きたがるのよ)
密偵であった、という割にはあまりに純朴なペイドランである。第1皇子シオンも腕前だけでなく、人柄も見た上で雇いたがったようだ。
(あぁ、つまりシオン殿下もこれ、面白がってるわね)
紺色の上下に着替えたペイドランを見て、イリスは思う。
自分ももし、友人だったならペイドランをからかって遊ぶのではないか。
(あ、でもそれって、ペッドが別の誰かと付き合ってるってこと?そしたら本当に腹立つわ。私、馬鹿なのかしら)
勝手に想像して勝手にムッとしてしまった自分にイリスは呆れながら、台所へと向かう。
「お夕飯、作ってあるよ。あっためて一緒に食べよ」
かなりもう遅い時間だが、イリスは待っていたのであった。
「イリスちゃん、食べてなかったんだ」
申し訳無さそうにペイドランが言う。
「そりゃ、頑張って働いているペッドより先に食べたくないもん。一緒が私も嬉しいの」
自分でも頬が真っ赤だろう、とイリスは思う。
「そっか、ありがとう」
言いながら手伝おうとするペイドランを座らせて。
イリスは招待状を片付けて、夕飯を並べる。
「やった!鶏肉のスープだ」
嬉しそうにペイドランが声を上げる。
素直なペイドランだが、魚より肉を好む。
(そういえば狩人の家だったって、言ってたもんね)
微笑ましく思いつつイリスはスープの横にパンを載せた皿を置く。
狩人の家だったとしても魚を好む人もいるだろうに、なぜだかイリスは一人納得してしまう。
「ちゃんと野菜も食べてよ、葉物も一緒に煮込んでるんだから」
軽く注意してから、イリスも座って食事を開始する。
いつも、信じられない気持ちになるのだった。
(夢じゃないよね)
イリスはパンを齧るたびに思う。
セニアが王太子エヴァンズに断罪されて処刑されかけてから、ここまで幸せな時間が訪れるとは想像もしていなかった。
(更には魔塔では死にかけるし。本当にこんなの、奇跡みたい)
しみじみと思いながら、一心不乱に食べるペイドランを見つめる。食べ方はあまり、ペイドランは上品ではない。少しこぼしたり、音を立てたりしてしまう。
(あーあ、私、ペイドランのこれ、お仕事がお仕事だから、注意して直すべきなんだけど)
幸せすぎてつい、後回しにイリスもしてしまう。
なんなら多少マナーがなってなくとも、自分で引き抜いて雇ったのだから、シオンのほうが目を瞑るべきではないかと思うときもある。
「ご馳走さま、とっても美味しかった、俺、幸せだよ」
ペイドランが無邪気に言う。口元にパン屑がついているので、イリスは身を乗り出して拭いてやる。
「あ、ごめん、またいつもの食べ方しちゃった」
食べ終えたあとの自分の皿周りとイリスの皿周りとを見比べて、ペイドランが悄気げてしまう。いつもではない食べ方があるのだろうか、とイリスは可笑しくなった。
「いいのよ。美味しいって言って貰えてそれが嬉しいよ」
甘やかしすぎだろうか。
思いつつもイリスは、当座は別の話をしたいのであった。




