182 聖騎士と執事1
『アスロック王国の惰弱さは目を覆いたくなるほどのものだ』
吐き捨てるように言うメイスンをセニアは意外に思う。アスロック王国軍の軍人というもののありように腹を立てているようだった。
今はもう、夕方に近い時間帯だ。日は既にだいぶ前から傾き始めている。
「おじ様も軍人なのですね」
自然、セニアは顔をほころばせてしまう。
慣れない仕事ばかりであるのに、いつも一生懸命に執事であろうとしてくれていた。それでも執事の顔にはなりきれていないのだ。
「さてと、どういう意味ですかな?」
メイスンも笑い返して尋ねてくる。
広大な屋敷の裏手にある、砂を固めて作った訓練用の広場に2人はいた。周りに生えた木の陰にはシエラが座っている。
「軍のこととなると厳しい顔つきになってます」
笑顔のままでセニアは告げる。
自分の顔を触って困り果てるメイスン。腰には軽装歩兵の時から使っているという片刃剣を吊っていた。
今は2人とも木剣を手にしている。剣の稽古に付き合ってもらって、今は小休止なのだ。忙しい仕事の合間を縫って、セニアが頼めば必ず付き合ってくれる。
メイスンの実力は、下級兵士であったとは信じられないほどのものだった。
(それに神聖術まで)
セニアと同等以上の実力をメイスンは神聖術でも有していた。セニアが現在覚えようとしている、光集束と快癒まで既に使えるという。
どこで法力の使い方を学んだのかを聞くと、笑って『独学ですよ』と言われてしまった。腑に落ちない気もするが、ブランダード家にも神聖術の使い方が伝わっていたのかもしれない。自分をセニアは納得させることとした。
「そんなつもりはなかったのですが。厳しい顔になっておりましたか」
苦笑してメイスンが言う。
どうなることかと思った新たな生活だが、今のところ、セニアにとっては実に居心地の良いものだ。一緒に屋敷入りしたシエラも伸び伸びと仕事をしているように見える。
不慣れながらも、要所要所で軍人らしく締めるところは締めるメイスンのおかげだ、とセニアは思っていた。
(領地の運営もロドニーという人が現場で監督してくれているようだけど)
まだ自分の目では何も確認していないことに、セニアは忸怩たる思いを抱いていた。
本気で取り組むなら、帳簿の見方から勉強しなくてはならないのだが、『聖騎士であらせられるからには、魔塔攻略に専念すべきです』と代わりにメイスンが猛勉強をしている。
その甲斐もあって、クリフォードの元にいたときよりもセニアは腕前を上げることに専念できていた。
「ええ、戦う人の面構えでした。執事だなんて冗談みたいでした」
笑ってセニアは告げた。
慣れない仕事に、新しい知識の勉強、自分との稽古など多忙を極めるメイスンである。いつか倒れるのではないかと心配になるときもあるが、現に目の前にいるメイスンは変わらず溌溂としていた。
「さて、では休憩終了としましょう」
メイスンが木剣を構える。
セニアも自らの木剣を手に対峙した。あくまで剣の稽古なので盾などは持たない。
メイスンと自分の動きはまるで違う。
剣と一体となり、流れる水のように動くのがメイスンである。
「くっ」
セニアは全力で踏み込むも、あえなくメイスンに身を躱されてしまう。更に足をかけられていることに気付くも、止まることができず、転ばされてしまう。
起き上がろうとすると、額に木剣を突きつけられていた。
「まるでだめだわ。剣の腕には自信があったのに」
うつむいてセニアは告げる。負けてばかりではなく、一本取れることもあるのだが。勝てることのほうが少ない。
「動きは素晴らしかったです。鋭く速い。斬撃も強い」
メイスンが微笑んで手放しで褒めてくれる。
再会してからまったく厳しいことを言われたことがない。
(幻滅されたらどうしよう)
シェルダンのときのように、自分の不甲斐なさ故に素っ気なく、メイスンにもされてしまったら。
セニアはつい不安になってしまう。
「ただ、何ら卑怯なところがない。戦い方にお人柄がよく出てしまっていますな」
助け起こしながら、メイスンが指摘してくれる。
慰められているようにすらセニアには感じられた。
「例えば強力な魔物と対峙するのであれば、私よりセニア様の方が、隣りにいると心強い味方でしょう」
メイスンの言葉に、セニアは首を傾げる。負けたのは自分の方であり、つまりは弱いのだ。弱いほうが心強いとはどういうことか。
しばし考えた。
思考することをすら、優しく見守ってもらえるのが、こそばゆくもあり、心地よくもあり。
(いざ、戦闘となれば、私は盾を持つし、鎧も着込むわ。でも、おじさまには、そういう装備がないみたい)
ようやくセニアは思い至った。
「装備と防御力のことかしら?」
立ち上がりセニアは尋ねた。
不正解だったようだ。メイスンの微笑が苦笑に変わる。
「いや、そこまで複雑では。戦い方が真っ直ぐ過ぎるだけで、セニア様の方が本来、私より強くあらせられるということです」
間違ってもなお、メイスンが優しく言い聞かせてくれる。
間違ったことが恥ずかしい。セニアは頬が熱くなるのを感じた。
「今までにも魔塔で戦っていて、ご自分より弱いはずの者が活躍している。そんなことはありませんでしたか?」
言われて、セニアが真っ先に思い出すのはペイドランだ。直接、戦えば勝てるのではないか、と思う。それでもセニアの攻撃がまるで当たらない相手を負傷させていた。より強い自分ならもっと戦果をあげられていたはずなのに。
「心当たりがあるようですね?」
メイスンが言い当ててくる。
「そうやって、一つ一つお気づきになれば、自分のお求めになる高みへと至ることも十分に可能でしょう。勝ち負けと強弱は、また別なのです」
メイスンが布で汗を拭う。時間となってしまったようだ。
名残惜しさをセニアは思いつつも、メイスンを送り出さないわけにはいかなかった。ただ、修練に専念出来る自分と違って、執事としての不慣れな仕事もメイスンにはあるのだから。
「ごめんなさい、おじ様。お忙しいのに」
セニアは申し訳なくなってしまう。
本当は執事などではなく何か別の役職として、この屋敷に来てほしかった。
「いえ、ずっとお力になりたいと思っていたのです。積年の願いが果たされて喜びしか今の私にはありませんよ」
こともなげに笑顔をみせてくれるメイスン。
「本当ですか?私、おじ様をがっかりさせてはかりではないかしら」
とうとうセニアは不安になって口に出してしまった。やはり頭を過るのは認められたかったのに、認めさせられないまま死なせたシェルダンのことだ。
「いろいろな苦労をされた中で、驚くほど真っ直ぐなお人柄に育たれた。何も失望することなどありませんよ」
メイスンの笑顔は爽やかだ。颯爽と立ち去っていく。
既に夕方近い時間だから夕食準備の指揮でも取りに行ったのかもしれない。
(おじ様の方こそ、ご実家が大変なことになって、自分も大変だったのに)
去っていくメイスンの背中を見送ってセニアは思う。
親戚とはいえ自分のような小娘をもり立てようとしてくれている。
「私は本当に恵まれているわ」
ポツリとセニアは言葉を漏らしてしまう。
父のレナートを失い、シェルダンを失い、従者のイリスを失った。いずれも替えの効くわけのない、大切な人たちである。
ポッカリと心に穴の空くような思いをさせられて、心の傷も癒えないながら。また親身になって助けようとしてくれる人と再会することができたことを、セニアは素直に喜ぶのであった。




