180 第3次第7分隊〜ハンス3
第3ブリッツ軍団が前線に合流したのは、それから2日後の朝であった。
シェルダンは点呼の報告を小隊長にした上で、単身、偵察に出る。小高い崖の上から遠目にアスロック王国の軍勢を視界に納めた。
(合計で一万ほどはいるか)
シェルダンは報告どおりの数字を目の当たりにして満足する。一万もの軍勢を実際、目の当たりにすると気圧されるような気分になるが。よく目を凝らすと、ところどころ動きの鈍い兵士や肥えた体格の士官が目についた。
(今からでもエヴァンズ王太子の吠え面が目に浮かぶ。悪い癖だな)
腐りきっているとはいえ、本来、アスロック王国軍も全てが惰弱なわけではない。全体の半分以上は腑抜けているのだが。
シェルダン自身も長年支え続けてきたように、未だ同じことをしている兵士は少なからず今もいる。さらにその中の少なくない数がシェルダンの親戚の部下、あるいは親戚たち本人なのだった。
「ワイルダー様が参戦しているそうだが」
シェルダンは敵陣を観察し、奥に見える悍ましい闘気を発している一団だろう、と目星をつけた。
(あれでは、ゴドヴァン様も手を出せないな)
迂闊に攻め込めば強烈な魔術による反撃を受けて多大な犠牲を出す。要所要所に先の比較的マシな集団を置いているあたりも抜かりがない。
(それで、第3ブリッツ軍団の到着を待ったのだな)
シェルダンは立ち上がった。懐に大きな鏡を1枚、携帯している。敵陣へ向けて陽光を弾き返して見せた。
しばらく続ける。返事があれば、父のレイダンが上手くやったということだ。
(全部、手筈通り、か。さすが父さんだ)
敵陣の中からいくつもの光が返ってきた。一目だけ確認して止める。
単独行動中だ。存在を察知されて囲まれれば一溜まりもない。コトを起こす前に死ぬのではあまりに間が抜けていた。
シェルダンは気を張ったまま、自陣にある第7分隊の場所へと戻る。
「お戻りですか」
デレクが近づいてきて声をかけてくる。
どこか不満げだ。次からは連れて行け、というのだろう。
「単独での偵察、いかがでしたか?」
少し棘のある口調だ。
シェルダンは苦笑する。力がつくづく有り余っているのだろう。
「ガチャガチャした鎧を着て、ついてこられると目立ってしょうがないからな。白兵戦戦とかなら、心強いけどな」
シェルダンは笑ってデレクに告げる。一族の力を利用したことをおおっぴらにしたくないだけなのだが。
「斥候するときは脱ぎますよ、ていうより、着やしねえですよ」
意図を見切られてしまったからか、デレクも苦笑いである。
「まぁ、デレクの言うことも、分かりますがね。単独での偵察は止めといて下さいよ。何かあっても分からねぇんですから」
ハンターも近づいてきて告げる。
「すまないな。どうしても一人で敵軍を見てみたかった。感傷的な気分になってしまったのかもしれないな」
肩を竦めてシェルダンは告げる。アスロック王国出身であることを利用して、シェルダンはさらりと嘘をついた。
「まぁ、思うところもあるんでしょうが、これっきりで頼みますよ、そろそろ始めるんでしょう?」
ハンターが苦笑いして告げる。
軽装歩兵の仕事は本戦の前から始まるのだ。敵の軽装歩兵を駆逐して戦場での地の利を征する。側面から奇襲をかけることも場合によっては行う。
気をつけなくてはならないのは機動力に優れる騎馬隊だ。
だが戦場は森勝ちであるため、今回は場所を選ぶ状況だった。
「そうだな」
シェルダンは頷く。
夕暮れ時になってから配置換えの軍令が下る。シェルダンらは重装歩兵隊から離れた、側面に当たる位置へと動かされた。
(いよいよ、明日か)
敵軍からも自軍からも戦いの気配が漂ってくるのを、シェルダンは感じた。
就寝時間となる。もう夜襲を警戒しなくてはならない。どの分隊も全員で眠ることはなく、1名は見張りを立てねばならない。
シェルダンは第7分隊の順番を組むに際して、自分とリュッグが明け方になるようにした。
浅い眠りを取りつつ、シェルダンは体を休める。
「リュッグ」
シェルダンは明け方、焚き火の前に座って信号弾の点検をしているリュッグに声をかけた。
「はい、隊長。あれ?まだ、交代じゃないですけど」
戸惑いもあらわにリュッグが顔を上げた。周りのみんなはまだ眠っている。声を落としての会話だ。
「あぁ、2人ともどうしました」
間の悪いことにハンターまで姿をあらわしてしまう。
「年取ると小便が近くていけねぇや」
苦笑いを浮かべてハンターが言う。声が大きい。悪巧みをしていないときだったとしても、迷惑である。
「やっぱり、隊長、悪巧みですか?」
デレクまで出てきてしまった。こちらは自分を何やら疑っていたようだ。
「リュッグより俺のが強いですよ。おかしいと思ったんだ。明け方にリュッグに見張りをやらせるなんてね」
ニヤニヤ笑ってデレクが言う。好戦的な気持ちには十分共感できるが、今回ばかりはリュッグでないとシェルダンが困る。
「あぁ、悪巧みだ」
仕方なくシェルダンは告げる。
「ただ、リュッグじゃないと困る。開戦してすぐに戻れないかもしれないから、2人には分隊の面々を頼む」
そもそも黙ってリュッグだけというのが最初から良くなかった、と今更シェルダンは思った。
大きな企みごとをして、知らず自分も平静ではなかったのかもしれない。自分だって完璧ではないのだ。ちょくちょく判断を間違える。
ハンターとデレクが顔を見合わせ、ともにため息をついた。
「分かりました、今回も特命ですか?」
ハンターが仕方なさそうに告げる。
「いや」
シェルダンは首を横に振った。
「俺が亡命せざるを得なくした、腐った軍隊が負けるところを高いところから見下ろしてやりたいだけだ」
半ば本音である。シェルダンは低い声で告げた。
思ったよりは怖い言葉だったようで、デレクとハンター、リュッグが凍りつく。
「おっかねえ人だな、俺らにゃ分からねぇ、恨みですね」
首を横に振りながらデレクも頷く。
話がついた。シェルダンはリュッグを連れて、日中登った崖の上へと至る。
まだ日が昇る直前の、薄く明るい空だ。森の中に一万の軍勢が隠れている。何か巨大な1つの生き物がうずくまっているかのようだ。
「リュッグ、ここに遠隔式の信号弾を置くんだ。俺が合図したら撃てるように魔力もこめておけ」
シェルダンは敵陣を注意深く見つめたまま命じた。
信号弾をただ撃つだけならシェルダンにも出来る。遠隔式の、自らが離れたあとに発動するものはリュッグにしか扱えない。
「え、でも、隊長、勝手に、必要もなく撃つわけには」
生真面目なリュッグが反論してくる。
「誤射でも何でも、俺が責任を持つ。だから、やれ」
強い口調でもう一度、シェルダンは言った。リュッグにここまでキツく当たったのは初めてのことで、少し申し訳なく思う。
「わ、わかりました」
通信具のこととなると、芯の強さを見せる真面目なリュッグだが、渋々と不満げな顔のまま、信号弾の発射筒を地面に据える。
「向きは敵陣の方へ向けろ」
短くシェルダンはじっと目を細める。ここまでは計画通りだ。
なにか言いたげな顔をしたが、手際よくリュッグが信号弾の発射筒を据えた。
「よし、行くぞ」
少し離れた地点に隠れる。ただ、離れすぎると発動させられない。手頃な藪に身を潜める。
日が昇ろうかという直前、敵陣アスロック王国のほうでもちらほらと起きて動き出す気配が漂い出す。
「撃てっ」
シェルダンは鋭く小声で言う。
リュッグが手を合わせて魔力を送る。信号弾が頓狂な音を立ててアスロック王国軍の真上に至り、赤い光を放つ。
「えっ、えっ」
リュッグが驚いて声を上げる。一万の軍勢が崩れた。
誰にも襲われていないのに。
「敵襲だ、退けっ!退けっ!」
叫び声がシェルダンのいる位置にまで響いてきた。
なし崩しに戦と崩壊が始まる。前触れもなく潰走している敵軍に戸惑いながらもドレシア帝国軍が追い打ちをかけた。
打合せなどなくとも、好機を見逃すようなゴドヴァンではない。
「た、隊長」
リュッグが自分を見上げる。
「よし、戻るぞ」
こちらへ向かってくる敵軍の兵士も自軍の兵士もいない。
シェルダンは用心深く藪から出た。
誤射した信号弾に驚いて惰弱な敵軍が勝手に潰走した、というのがシェルダンの筋書きである。実際はシェルダンの親戚たちが自らの部下を焚き付けて崩れることで、自壊させているのだが。奇襲があった、などの偽情報も当然に叫んでいる。
重要な一戦での自壊、アスロック王国の上層部にとっては悪夢だろう。
「かかれっ!総攻めだっ!」
好機を逃さず檄を飛ばしている騎兵の先頭を見下ろす。
ゴドヴァンではなくアンス侯爵であることをシェルダンは意外に思う。
敵が雪崩を打って崩壊する。自陣の中央へ向かって先頭が突っ込んでいく形となり、混乱に拍車をかけた。ワイルダーら魔術師たちも突っ込んでくるのが味方なので、反撃の魔術を放てずにいる。
「あ」
リュッグが声を上げる。
シェルダンもそちらに視線を送ると、第7分隊の面々が見えた。
(ハンスのやつ)
ハンスが分隊の先頭で片刃剣を振るう。
前に出すぎている。反撃があれば真っ先に食らってしまう位置取りだ。
「下がれ、ハンス」
無理せずとも勝ち戦なのだ。シェルダンは思わず声に出していた。
藪の近くに差し掛かる。槍が突き出された。
ハンスの脇腹を貫くか、というところ。
すかさずデレクが鋼鉄製の槍で割って入る。
(さすがはデレクだ)
反撃して藪の中に潜んでいた敵兵を返り討ちにしているデレクを見て思う。何やらデレクがハンスを殴り飛ばし怒鳴りつけていた。
(助かった)
なんとなくデレクに任せておけば部隊は大丈夫だ、とシェルダンは思った。
(また1つ、アスロック王国は戦に負けて、亡国へと踏み出した)
シェルダンは心のなかでつけ足す。
(セニア様を粗略に扱うからだ)




