18 第7分隊〜副官カディス1
先日、自分の姉と分隊長のシェルダンがデートをした。それはいい。上司であるシェルダンは尊敬に値する優秀な軍人だ。特に鎖鎌をよく遣い、戦闘での手腕は卓越している。日常の業務でもそつがない。
問題はむしろ自分の姉にあるのだ。
「隊長、姉とは先日、いかがでしたか?」
朝方の勤務開始時、一通り、分隊の事務的なことを報告・相談し、指示を受けたあと、もはや恒例となっている質問を、カディスはシェルダンに尋ねた。
朝一番の指示を受ける時間というのは、他の隊員が走り込みをしているので、質問をする好機ではあるのだが。明確な回答をもらえたことはない。
「うん、ちょっと小隊長殿のところへ急ぎの用件がある。リュッグの推薦書のことでな。行ってくる」
そそくさと逃げていくシェルダンの背中を見て、カディスは深くため息をついた。自分がシェルダンでも逃げるだろう。副官の姉とデートした感想を副官本人から求められているのだから。
(まったく、なんでこんなことに)
姉のカティアとは双子の姉弟である。顔立ちなどはよく似ているものの、カディスは腕っぷし以外の全てで、姉に頭を抑え込まれてきた。
(しかし、隊長は一体どこで姉と知り合ったんだ?)
カディスは走り込みをしている分隊員たちと合流すべく、営舎の廊下を歩いていく。接点のない二人のはずだ。下級の軽装歩兵と第2皇子付きの侍女である。しかも姉は没落したとはいえ、子爵令嬢だ。
(まぁ、今となっては関係ないか。生家のことなんて)
カディス自身は軍人をしていることになんの疑問も不満もない。
生家はルンカーク家という、帝国東部に領地を持ち、その経営に父親が失敗して没落した貴族の家柄だ。爵位は子爵である。ドレシア帝国では別に珍しくもない話だ。優しく温厚だが、のんびり屋の両親を見て、カディスとカティアは育ってきた。今では父母のほうが二人からの仕送りで生活している。悪い暮らしではないだろう。姉と二人で、かなりの額を送っている。
「カディス副官、お疲れさまです!」
新兵のリュッグと廊下で顔を合わせた。リュッグが立ち止まり、挨拶をしてくる。
訓練中だというのにどこへ行こうというのか。
最近の問題はこのリュッグである。シェルダンとよく行動をともにし、ナイアン商会の美女コレットと会っていた、という噂もあった。シェルダンとコレットの関係も気になる。
「どこへ行くんだ?」
本当はナイアン商会でのやり取りを知りたい。が、代わりにカディスは行き先を尋ねていた。
「専科に推薦して頂く関係で、小隊長とシェルダン隊長に呼び出されて。すいません、少し訓練を抜けさせて頂きます」
装備品の報告書を作り上げたことで自信がついたのか、ここ最近のリュッグは受け答えもはっきりしている。
姉の愚かな質問によって、自分はシェルダンに疎んじられ、リュッグばかりが面倒を見てもらっているような思いすら、カディスはしてしまう。
(良いことなんだが)
装備品が向上するのも、新兵が成長するのも隊にとっては良いことだ。
ただ、自分だけが損をしている気がする。
リュッグを見送り、また他の隊員と合流すべく進む。
いつも通りの訓練をいつも通りにこなして、一日の訓練を終了した。途中からシェルダンとリュッグも合流して、遭遇戦の判断訓練や武器での戦い方を確認する。
軍務を終えて夕刻、カディスの姿はクリフォード第2皇子の離宮、裏口にあった。なぜか明確な回答をもらえるまで毎日来い、と姉が言うのだ。こういう場合、断るほうが後々面倒くさくなる。姉の常だった。
(普通、逆じゃないか?)
明確な回答を貰えた、という自分の連絡を受けてから呼び出せばいい、とカディスなどは思うのだが。
しばらくしてカティアが屋敷の中から姿を現した。いつも通りのお仕着せ姿である。
「全く、あなたは一体、何をしているの?」
いつもどおりに姉のカティアが詰るように言う。自分がどれだけ、この愚かな問いを弟にさせることで迷惑をかけているか分からないのだろうか。
「いや、何度も言ってるけど。あんな答えづらい質問はないよ、姉さん」
カディスは何度もしてきた説明を繰り返す。
「次のデートの約束とか予定の確認とかなら力になれるけどさ。自分の印象なんて、弟づてに確認するものじゃないって」
そもそも先日の約束にしても、自分の機転で上手く取り付けたようなものだ。断ろうとしているシェルダンに対し、咄嗟にドレシア帝国の作法を吹き込んで了解させたのだから。感謝してほしいぐらいである。
「そこをうまくやって。気になってしょうがないの。仕方ないでしょ」
街灯の薄明かりで見えづらいが、カティアは仄かに頬を赤らめているようだ。
姉はずっと、聡明で美しく礼式や作法に明るい有能な女性ということで世間には通っている。クリフォード第2皇子づきの侍女となり、更には聖騎士セニアの侍女にまで抜擢されたのも有能だからだ。
19年一緒に生きてきて、姉が男性に興味を持つのも初めてだ。応援してやりたいと思っていたが、頼みごとが奇抜すぎて、カディスは今となってはうんざりしている。
「はぁ、少し攻め口を変えて。もう一度会いたがってるっていう方が、まだ隊長に話しやすいんだけど」
カディスはこれまた幾度となく、繰り返してきた提案をする。返事も毎回同じなので、予測がつくほどだ。
「まだ、心の準備が出来ていないの。嫌われてないって分からないと、踏み出せないわ」
左頬に手を当てて、カティアが横を向く。恥じらっているふりだ。双子の弟相手に可愛い子ぶっても無駄である。
(だいたい、バッチリ楽しくデートしてたのに、どの口が言ってるんだよ、全く)
シェルダンにバレない距離で見守っていてほしい、という愚にもつかない頼みを、カディスはされていたのである。迂闊に近付くとシェルダンにバレそうなので距離を取って双眼鏡まで用いたのだが。
「いや、気があるんなら会いなよ」
今日という今日はもう我慢ならない。最近では自分まで、上司に避けられ始めている。働きづらくてしょうがない。
「無理よ」
カティアが首を横に振る。
「いや」
「無理」
「い」
「無理だってば!」
カティアが理不尽にも怒り始めた。
「もうっ!あなたが副官でいながらシェルダン様に信用されてないだけでしょ。素直にそうおっしゃい」
とんでもない言いがかりをつけ始めた。
こんなにも愚かな姉の姿を見るのは生まれて初めてだ。
「むしろ、姉さんのせいで失いそうなんだよ!信用!」
カディスも負けじと怒鳴り返した。
しばし、似た顔同士でにらみ合う。
先に視線を逸したのはカティアだった。しかし油断はならない。睨み合いで勝ったところで、全く意味はないのである。
「せっかく、良縁に出会えたかもしれないっていうのに。非協力的な弟のせいで、私、失恋するのかしら?」
よよ、とカティアがしゃがみこんで泣き真似を始めた。本当に泣くような人間ではないことぐらいよく分かっている。それでも屋敷の人間や通行人に見られると、責められるのは自分だ。
「いや、姉さん、みっともないからやめろって」
カディスはあわてて姉を立たせようとする。
「もう、これ以上、行き遅れたら私、父様と母様に会わせる顔がないわ」
言い捨てて、カティアが屋敷の中へと去っていく。
ちなみにドレシア帝国の結婚適齢期は概ね20歳前後である。早くて17くらいで結婚する女性も少なくないが。19歳のカティアを指して、行き遅れていると表現する者はそう多くないだろう。
(しかし、これは俺、初めて姉さんに口論で勝ったんじゃないか?)
気分は悪いがそういうことかもしれない。
明日からおかしな質問をシェルダンにぶつける必要もないだろう。
一気に気が楽になった。軽やかな足取りでカディスは、寮の自室へと帰宅し、食事を軽く摂って就寝した。