178 第3次第7分隊〜ハンス1
第3ブリッツ軍団全体でのラルランドル地方への出陣となった。軽装歩兵連隊の中にて、シェルダンも自分の配下、第7分隊を率いている。
現在は既に旧国境のラトラップ川を越えてゲルングルン地方を行軍中だ。
(準備は万端、あとは手筈通りにコトが進むかどうかだな。父さんもうまくやってくれたようだ)
出征の前夜をカティアとともに過ごし、満ち足りた気分のまま、上機嫌でシェルダンは思う。
悪い癖だ。何かをやってみようとすると背中の辺りがゾクゾクして楽しくなってくる。功名心と同種の危うさだが。
(カティアに背中を押されたからな、何も後ろめたいことはない)
晴れ渡るゲルングルン地方の空を見上げてシェルダンは思う。魔塔とそこから溢れる瘴気を失った空気が、とても心地良い。
「気合が入るってもんだ。血も出ない骨の相手はもううんざりだ」
デレクが近寄ってきて告げる。好戦的な笑顔だ。
背中に他の軽装歩兵が持つ背嚢の、軽く2倍はある革張りの黒い箱を背負っていた。デレクもまた、ゲルングルン地方の魔塔攻略には、重装歩兵として参戦していたのである。
(重装歩兵の頃が忘れられない、か)
箱の中身にはだいたい察しがつくので、ついシェルダンも笑ってしまう。
(動きについてこれるなら、いいさ)
ドレシア帝国の軽装歩兵もまた、それぞれ得意の武器や装備を遣うことは認められている。いざ戦場で重装歩兵の武装を身に着けたとしても軍律違反とはならない。
「俺もだ」
相手が骨でなくとも、魔塔の独特の環境はシェルダンでも気が塞ぐ。
まだ祖国の兵と戦うほうがマシだ。
「しかし、本当にみな軽装ですね。皆で装備に鉄の重しでもつけて鍛錬としませんか?」
周りを見回しながらデレクが言う。なかなか魅力的な提案だ。
ハンスが露骨に嫌そうな顔をした。
シェルダンもハンスとは違う理由で首を横に振らざるを得ない。
「奇襲を受けたときなどの対応も考えねばならんからな。行軍と訓練は分けて考えるべきだ。動きが鈍る方が命に関わる」
シェルダンの回答にハンスが安心した顔をして頷いている。『おそらくお前とは同じ考えではないぞ』とシェルダンは言ってやりたくなった。
軟弱な態度につき、帰還したらデレクと二人がかりで鍛え上げてやろう、とも思う。
「確かにそうですね、それなら」
デレクもハンスの様子に気付いてニヤリと笑う。
「あぁ、平時の行軍訓練には取り入れよう」
シェルダンもデレクの意を汲んで頷いた。ハンスが震え上がっている。
(お前はそもそも死なないように鍛えといてやらんとニーナ嬢に申し訳が立たん)
自分と同じく、間もなく所帯を持つであろう部下を見てシェルダンは思う。
今回の悪巧みにはハンス始め部下を死なせたくない、という思いも当然あるのだった。
ハンターが少し離れたところで苦笑いをしている。
デレクとハンターも加えた3人がかりで他の4人に訓練をつけるとして。ロウエンやリュッグ、ガードナーの3人からは表立って否定的な反応は無い。おとなしい面子であり、皆で行うとなれば素直に打ち込んでくれるだろう。体力的についてこれず、内心では嫌がるかもしれないが。
「うへぇ」
やはり問題ははっきり嫌がる剽軽なハンスなのであった。
「どうした、ニーナ嬢ともいよいよ結婚だろう?戦死しないように鍛えておくのは悪くないと思うぞ」
シェルダンはハンスに近寄って告げる。皆、歩きながら話している状況だ。他の隊からもちらほらと雑談の声がしてくる。
「そりゃ、死にたかねぇっすけど。筋肉つけたって、刃物で刺されりゃ死んじまう。魔術に巻き込まれても同じでしょ」
ハンスが口を尖らせる。労力の割には合わないとでも言いたいらしい。
「それでも、だ」
自然、シェルダンの口調にも熱がこもる。
「生き残るために準備しすぎて困るということはない」
数多いビーズリー家の家訓の1つをシェルダンは口にした。
ハンスがハッと真面目な顔をする。
「えぇ、ニーナのためにも俺は死ねないです」
強張った顔でハンスが言う。
これはこれで、少し気負いすぎているようにも感じられた。魔塔関係で魔物と戦うことが続いている。
(盗賊とも戦ったことがあるから、人を斬るのが怖いということもないと思うが。まぁ別の事情だろうな)
シェルダンにもハンスの屈託をすべて解決してやることは難しい。結局は本人の問題であり、自分で解決するしかないのだ。
いざ出陣してみる前まではガードナーの方を心配していた。
今も怯えている。黄色い頭を絶えず左右に振って、見えない敵に怯えて黄色い目でキョロキョロしていた。
だが、ガードナーの場合は怯えているほうが普通なのだ、と最近では思うようになっている。あらゆる事態を想像して、備えていることの裏返しなのだ。
「ガードナー、お前の方は大丈夫か?少しは落ち着け」
シェルダンはハンスの肩をポン、と叩いてからガードナーに尋ねた。
「は、はいいぃぃぃぃっ!」
敵に襲われたかのようにガードナーが、ピン、と背筋を伸ばして絶叫する。
いつもどおりの反応が返ってくることにシェルダンはうんざりした。この男にとっては敵より自分のほうが脅威なのだろうか。
「す、すいませんっ!怖いけど。前で頑張っていただければ。この間、すごく怖い敵とも戦ってますし。怖いのはいつものことだから、はい、平気です」
一通り自分の気持ちをはっきりと並べ立てるガードナー。思い返せば、あのハイネルにも雷魔術を放っているのである。
(こいつの場合は怖くないほうが、異常事態、か)
呆れてシェルダンは苦笑する。接近戦はともかく魔術については既に実績もあるのであった。
「ガードナー君は驚いても怖がっても、しっかり撃つから偉い」
ボソッとリュッグも言う。
ガードナーが嬉しそうに頭を掻いた。シェルダンに対するのとは随分と反応が違う。
かくいうリュッグも自分の仕事はしっかり遂行する点は信頼できた。
「2人とも身体が仕上がってりゃ言うことねぇんだが」
筋肉質の元重装歩兵が口を挟んできた。
「自分の仕事してからなら、頑張ります」
真面目な顔でリュッグが言う。
メイスンのときと違い、何を言うのか分かりきっている分、デレクのほうが早く隊に馴染めているようだ。
「筋肉ムキムキのリュッグなんて想像もつかねぇや」
ハンスが笑って軽口を叩く。その笑みすらどことなくいつもより硬いのだが。
「じゃあ、ハンスを鍛え上げてやるさ」
ニヤニヤ笑ってデレクが返した。
「うへぇ、余計なこと言っちまった」
慌ててハンスがロウエンの陰に隠れる。
「お前らいい加減にしろ、ガキの遠足じゃねえんだ」
先頭を行くハンターに皆で叱られてしまう。
「隊長も。久しぶりの人間相手の戦闘で血が騒ぐんですかい?」
自分の叱った中にシェルダンもいることに気づき、決まり悪そうにハンターが苦笑いして言う。
「好戦的なのは知ってますが。若い奴らの手本でいて下さいよ」
露骨なため息をハンターにつかれた。
(ちょっと待て。俺の部下からの評価は『好戦的』なのか?)
シェルダンはハンターの口調に引っかかるものを覚えた。
口に出して反論しようとして思い止まる。
ハンスの顔色がひどく暗い。先までデレクと軽口を叩いていたのが嘘のように。
デレクと目が合う。肩をすくめていた。
「ハンス」
シェルダンは小声で呼びかける。
「しゃんとしろ、そういう顔つきは運を逃して命を落としかねん」
戦場ではどうにもならない死が幾らでも転がっている。ただギリギリのところでは気のもちようや咄嗟の判断が生死を分けるのだ。
「あ、すいません、隊長」
ハンスが慌てて力なく笑みをつくる。
(ニーナ嬢とのことではないな、これは)
なんとなくシェルダンにも察せられた。
「ハンス、悩み過ぎは良くない」
友人のロウエンが口を挟んだ。
「あぁ、ありがとうよ」
ハンスが心配そうなロウエンにも笑顔を見せた。
「この戦いが終わったら相談させてください。ちょっと悩ましいこと抱えてて。でも、戦と仕事にゃ関係ねぇから、ここは死物狂いで俺、いつも通りに戦いますよ」
気負い過ぎも命を落とす。
シェルダンは言いかけて口を噤む。
この世のすべてのことにシェルダンも答えを持っているわけではない。
今のハンスに対して間違いなく適切だという言葉をシェルダンは思いつくことが出来なかった。




