177 初出仕2
「今日はちゃんと入り口から来たのだね」
細い、鋭い、怖いの三拍子揃ったドレシア帝国第1皇子シオンの第一声である。赤髪に赤いローブを羽織っていた異母弟と異なり、群青の髪に黒い瞳の青年だ。
(入り口以外にどこから入れって言うんだろう)
通された部屋の入り口にはたくましい体格の護衛剣士2人が直立している。狭い室内では、自分よりよっぽど強そうだとペイドランは思う。
(あまり、怒ってない)
新参の自分に向けられる、護衛たちからの優しげな瞳にペイドランはホッと安心した。
「今日から宜しくお願いします。ペイドランです」
シオンの方を向いて、ペコリとペイドランは頭を下げた。
満足気に自分を頭の天辺から爪先まで眺めてシオンが頷く。支給された青黒上下の制服である。
数秒、何の指示もなく、ただ立たされていた。
「あの、俺、何をすればいいんですか?」
沈黙に耐えかねてペイドランは尋ねる。
前任でもいれば仕事を引き継ぐだけなのだが。
今までシオンは従者を置いていなかったらしい。なんなら自分を雇うためにわざわざ従者という口実を作り出したかのようだ。
「君は従者なのだから、私についていればいい」
シオンが表情を変えずに言う。
向かっている執務机の上には山のように書類が積まれている。
『書類仕事を手伝え』と言われなかったことにもペイドランは安堵した。軍務のことならともかく、難しい書類など理解できる自信はない。自分の泣き所は教養のなさだ、とペイドラン自身は思っている。
「私も仕事をしていて、判断に迷い、人と話すことで考えをまとめたい時もある。そういうときの話し相手だ。あと君は勘が鋭いそうだから、危険を察知したら私を助けたまえ」
淡々とシオンが説明する。喋りながらも視線は書面に向けていて目まぐるしく手を動かしていた。
(良かった。それぐらいなら出来そうだ)
ペイドランは胸を撫で下ろす。初めての出仕で緊張していたのだ。口調や態度はともかく言葉の内容は優しい人間のそれだ。
「で、早速だがイリス嬢とはどうなってる?もう結婚の届け出は神聖教会にしたのかね?」
藪から棒にシオンが尋ねてくる。書類に目を向けたままだ。
イリスの名前を出されたのだから間違いなく政治の書類ではなく、自分のことだろう。
カアっとペイドランは頬が熱くなった。
「まだ、そんな、プロポーズはしましたけど」
シオンとシェルダンとの間でどの程度の情報共有がなされているか、ペイドランには知る由もない。自ら墓穴を掘ったことに気付けなかった。
「そうか、イリス嬢は生きているのか。まったく、クリフォードやセニア殿が死んだ、という人間はみんな生きているではないか」
シオンが呆れ顔で言う。
そういえばイリスの生存をまだシオンには知らせていなかった。知らせる筋合いでも無いのだが。
「あっ、殿下、ズルいです」
思わずペイドランは色をなした。
なぜだかシオンの書類を処理する速度が上がった気がする。ペンを走らせては書類を脇へ除けていく。
「ふっ、これぐらいのカマに引っかかるとは、可愛いものだ」
シオンがまったく悪びれずに鼻で笑う。口に出しているのはペイドランとイリスの話だが、眼と手がしているのは政治のお仕事だ。
(この人、カディス隊長より、たちが悪いぞ)
ペイドランは気をつけようと心に誓った。もう二度と口を滑らせないぞと。
「そうか。もう子供の一人ぐらいはいるのかと思っていたが」
何食わぬ顔でシオンがとんでもないことを言う。
「子供っ!?お金なくて、式も手続きもまだしてないから、結婚もまだなのにっ!」
また口が滑ってしまった。あわててペイドランは両手で愚かな口を塞ぐ。
わざと自分が驚くようなことを言って口を割らせるなんて卑怯だ、とペイドランは思う。新たな主人を恨めしく思って睨みつけた。
「あぁ、そのことなら、式の費用は私が出す。早く届け出と準備を済ませて経費を報告するように」
まるで事務の仕事を命じるようにシオンが言う。
「ええっ」
ペイドランは耳を疑った。
シオンが見つめているのは、どう見ても関係無い図面だ。区画整理された畑の図面が見えるから間違いない。
(なんで、関係ないことを考えたり言ったりしながら仕事できるんだろう)
頭の作りが違うと言えばそれまでだが、ペイドランは困惑していた。
「いつぞや言っただろう。あれはゴドヴァンとルフィナの婚約式だったか。仲を取り持つと。私は約束は違えん。既に取り持つまでもなく、好き合っているなら、金銭の面で援助しよう」
シオンが顔を上げて笑みを見せた。手だけは変わらず仕事をしている。
(本当に怖い)
気味の悪い光景に、思わずペイドランは護衛剣士2人に視線を送る。
笑いを堪えていた。思えば自分とイリスの私生活や交際のことが全部筒抜けなのだ。
「イリス嬢とも話し合って、どんな式がいいか。どこがいいか。誰を呼ぶのか。よくよく相談してなるべく早く決めるように。額は遠慮しなくて良い。招待客も呼びたいだけ呼びなさい」
優しい言葉だが甘え過ぎではないだろうか。
まだ自分はシオンのなんの役にも立っていないのだ。
「あの、有り難いことですけど、自分たちのことはちゃんと自分たちでします。式とかもいつか自分たちのお金でします」
ペイドランは言葉を選んで断ろうとした。全部言いなりになるのが怖いということもある。
「そうか。では、せっかく私が援助すれば、直ぐだというのに、相談もせず棒に振って、イリス嬢を待たせるのか」
シオンがわざとらしく頷いて言う。
「え」
ペイドランは虚をつかれた。確かに言われてみると大事なことだから相談ぐらいはしたほうが良い気もしてくる。
「一途に君を思い、添い遂げようと生還してくれた少女を待たせるのか。可哀想に。君と早く新婚生活を送りたいだろうに。私から断られた、と言えば落ち込むのだろうな」
仕事を目まぐるしく進めながらシオンが告げる。
イリスを待たせてしまう。ペイドランは集合住宅の部屋の片隅で、膝を抱えて早く結婚したいのにお金に悩むイリスを想像した。自分の前でだけ我慢して気丈に振る舞っているのだ。
(お金のために無理して大変な仕事とか始めたらどうしよう)
更にペイドランは不安になった。
頑張る、と言って握りこぶしを作る姿が悲壮なものに思えてくる。
「うぅ、それなら、お願いするしか」
渋々と了承する旨を口に出しかけて、さすがに失礼であることにペイドランは気付く。
「あ、すいません。畏れ多いことです。イリスちゃんと相談して、お受けします」
言い直して、ちらりとペイドランは護衛2人に目をやる。
非礼を咎められるか怖い目で睨まれていると思ったのだ。が、予想に反して、気の毒さと微笑ましさがないまぜになった不思議な目をしていた。
「うむ、そうしたまえ」
シオンが顔を上げた。仕事をする手が止まっている。
山と積まれていた書類がすべて脇に追いやられていた。
「よし、休憩だっ!」
高らかにシオンが宣言する。
護衛2人もびっくりしつつ、すぐに喜色もあらわにペイドランのもとへ近づいてきた。
「君をからかうと、とても仕事がはかどるな、はっはっは」
シオンが立ち上がって大きく伸びをする。
「でかしたぞ、ペイドラン君、殿下は滅多に休憩も睡眠も食事も取れないのだ」
護衛の一人が言う。金髪の偉丈夫だ。
もう一人の紺色の髪の青年も頷いている。
「式の費用の件は本気だから安心したまえ」
言いながらシオンが執務室を後にする。あわてて3人で後を追った。
(俺の仕事って、何なんだろう)
ペイドランは小走りしながら思いつつ、呆気にとられるのであった。




