175 第三次第7分隊〜デレク3
その日の訓練終了後、シェルダンは鎖鎌を手に練兵場に佇んでいた。本当にやるのかとハンターが呆れていたが。
既に他の兵士たちは軍務を終え、思い思いに過ごしている。練兵場には自主的に訓練をしている者が数人いる程度。日中とは打って変わって、閑散としていた。
(俺も何か鈍っている気がする)
思い出すのはハイネルにとどめを刺しきれなかったときのことだ。頭を撃ち砕いて殺すつもりだった。
すべてが上手くいってなお、最後の最後で逃げられている。人間同士の本気の立ち会いで、見えてくるものもあるかもしれない。
「重装歩兵、どれほどのものかな」
シェルダンは呟いた。雲が晴れる。
ガシャンガシャンと金属のこすれる耳障りな音が響く。
赤い夕陽を弾く銀色の身体。完全武装の小柄な重装歩兵が姿をあらわした。顔面まで兜で隙間なく守っている。右手には柄の部分まで鋼鉄でできた短槍を、左手には鋼鉄の盾を持っていた。
軽装歩兵隊の軍営ではあまりに異様な姿に、自主的に訓練をしていた数人が凍りつく。
(フルプレートアーマー。自前で買ったのか)
名乗られるまでもなく、背丈と気配でデレクと分かる。挨拶も抜きに闘気をみなぎらせて近付いてきた。
シェルダンも無言で鎖鎌を回す。
集中していく。
対するデレクも一歩二歩と距離を詰めてくる。
鎖鎌が回るごとに、すうっと自分の心気が澄み渡ってくるのをシェルダンは感じた。
(反応する間も与えない)
身体強化の魔術まで使う。シェルダンの鎖分銅が異様な風切り音を発する。
アダマン鋼で作った鎖鎌だ。本気を出せば、たとえ鋼鉄でも鎧と盾ごと撃ち抜ける。
槍も、槍ごとへし折ろう、とシェルダンは思っていた。
あとはいつ、デレクが間合いに踏み込んでくるのか。
確実に一歩一歩踏みしめるようにデレクが進む。防御力に物を言わせて近付き、距離を詰めたところで槍で薙ぎ払うつもりなのだろう。
(あと一歩)
シェルダンは初撃を放つべく殺気を発した。
デレクの歩みが止まる。急速にデレクの闘気がしぼんだことに気付く。
「参りました」
完全武装の重装歩兵が槍を放り投げた。ズシリと重苦しい音ともに地面に槍がめり込んでしまう。
「その鎖の回転も何も、俺には見切れそうにない。俺には無理だ。本気でやられたら死んじまう」
鎧の内側から笑い声が溢れてきた。
デレクが兜を脱いで顔を見せてくる。群青の髪がぐっしょりと汗に濡れて額に張り付いていた。
「盾も連発されたらいつまで保つか、分かんねえ。凌いでも距離を取られりゃ最初からだ。俺に、勝ち目はねぇや」
砕けた口調でデレクが言う。
「悪いな。ムキになって」
シェルダンは素直に侘びて、腹に鎖鎌を巻き直した。
「いや、こちらこそ、八つ当たりみたいなもんでね。こんなの、腕試しでも何でもない。俺の事情、知ってるんでしょう」
デレクが鎧を外しながら言う。
怪我をする前に止められるだけ大したものだ。思いつつシェルダンは頷いた。
重装歩兵デレク。筋力でも武術でも在籍していた隊では上位だったというが、どうにもならない欠点がある。身長が他の兵より低いのだ。腕も歩幅も短い。歩調や隊列を組むときにどうしても不利になる。
(身長の不利を補おうとして、体を鍛えに鍛えた)
シェルダンとしては好感が持てるのだが、身長を理由に出世の道を閉ざされ、精鋭部隊への異動希望も却下され続けた。
だからシオンからの異動の打診を呑んだのだ。本人としては環境を変えてみたくなったのだろう。
「いい、俺も溜まっているものがあった。いい気晴らしになった」
いつ撃たれるか分からない怖さ。デレクに言われてシェルダンは思う。ハイネルのときはあまり回転を使わなかった。知らず、ハイネルの強さに呑まれて焦っていたのかもしれない。
「凄い達人の部下になれたんだ。腐っててもしょうがねぇや。隊長、今からでも呑みませんか」
気さくにデレクが飲みに誘ってくれた。
21歳の同い年だ。シェルダンも気分が良い。
(今日は飲んでも大丈夫なはず)
着替えて軍営の入り口でデレクと落ち合ってから、トサンヌへと向かう途中でシェルダンは思う。カティアと会う約束はない。
遠征に出るのは3日後。前日はカティアと過ごすつもりではある。今日は過去の失敗と照らし合わせてみても、部下と酒を飲んで良い日のはずだ。
2人で麦酒を酌み交わす。
「リュッグもガードナーも貧弱過ぎるっ!」
しばらくして、強かに酒の入ったデレクが叫ぶ。
「他のことが出来ても軍人は身体が武器だろうが」
本人たちの特性を伸ばしてやりたい思いがシェルダンにはあったが。身体も強いなら強いに越したこともない。
「そうだ」
シェルダンは重々しく頷く。
ようやく肉体強化訓練の重要性を理解している部下と巡り会えた。今まではカディスにうまく間に入られ、異動後も、部下とはいえ大先輩のハンターの面子を潰すわけにもいかず、思い通りの半分程度しか出来なかったのだ。
「ハンスもロウエンも鍛え上げねばなりませんぞ」
シェルダンを見据え、デレクが重々しく告げる。
「もちろんだ」
感動して泣きそうになるのを、シェルダンは堪えた。いつもよりかなり飲んでいる。
ようやく思う様、隊を鍛え上げることが出きるのだ。
「まともな身体は隊長とハンター殿だけではありませんか」
ずいとデレクが身を乗り出してくる。
「シェルダン隊長、まずは日常の筋力訓練を2倍として確立しましょう」
早速やる気に満ち溢れた具体的な提案が飛んでくる。
「いつからだ?」
明日にでもシェルダンは早速実施しようと思った。
「今すぐにです!」
しかし、デレクからの答えは想像の上をいくものだった。
休んでいる分隊員たちに招集をかけて訓練せよ、というのだ。
「やる気のある部下が来てくれて、俺は嬉しいっ!」
もともと泣き上戸である。感動のあまりオイオイとシェルダンは泣き始めてしまった。今までは分隊員と飲むときにここまで酔うことはなかったのである。
ふと、トサンヌの店内がざわつく。
嫌な予感がした。
「あーら、随分、男同士で楽しそうね」
カティアが姿をあらわした。酔っ払って泣いている自分を見おろして、眉がピクピクと動く。どう見ても怒っている。
一瞬で酔いが醒めてシェルダンは固まった。
「カ、カティア」
呼び捨てで話すと決めている。シェルダンは婚約者の名を口にした。
「す、すげえ美人さんだ。ど、どちら様で?」
デレクも目を丸くしている。
相変わらずトサンヌに似合わぬ優雅な姿だ。白いレースのブラウスに紺色のひだのあるロングスカートである。
「シェルダンの妻のカティアです」
優雅に微笑んでカティアがデレクに名乗った。
筋肉質の部下がカティアと自分とを見比べる。
「た、隊長、こんな綺麗な奥方がいるのに、俺なんかと呑んでていいんですか?」
同じく酔っ払いのデレクに咎められてしまう。
(そもそも誘ったのはお前だろうが)
思うもシェルダンは口には出せなかった。
「いいわけないですわよね、あ・な・た」
カティアが笑みを貼り付けて告げた。
まだ婚礼は先である。婚礼をもって神聖教会に夫婦として認知されることで、晴れて結婚なのだ。
しかし、指摘できる雰囲気ではない。
「いや、しかし、カティア、なぜ」
一応、考えた上での飲み会なのだ。シェルダンは酔った頭で尋ねる。
「最後に会ったのがいつだか覚えていて?」
カティアが氷のような笑みのまま尋ねる。
「両家顔合わせのときですから、3日前ですか?」
シェルダンは思い出して答える。思わず敬語になっていた。店内がざわつく。デレクがうわっという顔をした。まずいことだったらしい。
「妻を3日も放って置く夫がありますかっ!」
一喝してカティアがシェルダンの耳を引っ張る。
周囲からも冷ややかな目線がシェルダンに注がれた。
「申し訳ない」
まだ結婚してません、という反論をシェルダンは飲み込んでかわりに謝罪した。
「では、俺はこれで」
会計もせずにデレクが逃げようとする。
明日、敵前逃亡でとっちめてやる、とシェルダンは酔った頭で思った。
「デレクさん?」
カティアに名前を呼ばれてデレクが固まった。
「な、なぜ名前を」
デレクが怯えている。
(すまん、俺が教えた)
シェルダンは耳を引っ張られたまま、心の内で謝罪する。
「そんなことはいいの。それより、分隊の皆さんにも。もう結婚ですから。あまり夫を横取りしないでね、と念押ししておいてくださる?」
カティアが柔らかい笑みを浮かべて告げる。結婚はまだであると、ようやくここで明らかにしてもらえた格好だ。
「はっ、了解しました」
直立してデレクが回答した。
満足気にカティアが頷く。誰もカティアには敵わないのだ、と改めてシェルダンは思うのであった。




