172 聖騎士の困惑2
侯爵位を授かり、クリフォードと対話した2日後、セニアと侍女シエラの2人は皇城にほど近い屋敷の前に立った。
陽光を弾き返す白塗りの壁に、空と一体化しそうなほど澄んだ水色の屋根。正門から屋敷の扉に至るまでの間には、広大な庭園が横たわる。
「すごいですね、セニア様。ルベントの離宮より大っきいです!」
シエラが屋根を見上げて無邪気に言う。隠しようもなく、はしゃいでいるのが可愛い。ピョンピョンと飛び跳ねているのだ。
ついセニアも緊張を忘れて微笑む。
元々はブランダード家の小ざっぱりとした屋敷であった。敷地を広く取り直して、古びていた屋敷も新築したとのこと。
(部屋もいくつあるのかしら。昔より絶対に大きくなってるわ。私もシエラも全部は使えないのに)
詳しい記憶などもとより残っていないのに、セニアは一抹の寂しさを覚えた。それでも嬉しそうなシエラが微笑ましい。
「シエラ、私ね、ここは初めてじゃないのよ」
静かに微笑んでセニアは告げた。
「え?」
素直に目を丸くするシエラがやはり可愛らしい。
「ここも、あと、頂いた領地もね、ブランダード家の人たちのものだったの」
セニアは息を落ち着けて続ける。
「私の、聖騎士の家の分家筋だったのよ。親戚の家だったから、父と一緒に小さいときにね」
父とともに訪れた親戚の家を思い起こしながらセニアは言う。どこの家でも可愛がってもらえたものだ。
魔塔に領地を侵されて、ブランダード家の大半は命を落として散り散りになったという。
(きっと、もう私のことを覚えている人なんて)
セニアはシエラを連れて庭園を歩きながら思うのであった。やはり最後には自分一人が残されるのではないか、と思ってしまう。
屋敷の前で整然と並ぶ人たちが見える。どうやらシオンが選抜した人たちと見える。
並ぶ間隔も均等であり、まるで軍隊が整列しているかのようだ。全員が姿勢正しく気をつけをしている。
「嘘」
セニアは使用人の向かって右端に立つ人物を見て固まった。思い出よりも遥かに年齢を重ねているのに、厳しい目元や顔立ちで誰だか分かる。
30手前ぐらいの年頃、黒髪のキリリとした男性。スーツ姿で執事の格好をしているが、腰には片刃剣を差している。武張っていて執事としてはおかしい物品がひどくよく似合っていた。
「メイスンおじさま?」
呆然としてセニアは相手の名を告げる。
5歳のときに会って、遊んでもらったお兄さんだ。当時はまだ14、5歳だったはずだが、剣の腕前は天才と言われていた。
「聖騎士セニア様、私を覚えておいでとは」
メイスンの端正な顔を両目からあふれる涙が濡らす。
「メイスン・ブランダードであります。この度、こちらのお屋敷の執事に抜擢されました。長年、軍人でありました故、執事としては至らぬ点も多々あるかと思いますが、粉骨砕身、忠義を尽くす所存であります」
生きていてくれただけでも嬉しいのに、メイスンがもっと嬉しい言葉をくれる。
セニアも貰い涙をこぼしてしまう。
「ブランダード家の人で、生き残ってる人がいたなんて。それもメイスンおじさまだなんて」
幼い頃、遊んでもらいときには玩具の剣で撃ち合いの真似事に興じた記憶が蘇ってくる。
「とても立派に、強く美しくなられて、感無量であります」
メイスンが言い、半歩後ろにさがった。拳で涙を拭う。
「私ばかりがセニア様を独占するわけにはいきませんな。いずれも選び抜かれた、その道で優秀な人間とのこと。使用人の紹介に、屋敷のご案内も致したく」
恭しく頭を下げるメイスン。
主と使用人という立場になってしまったことが、なぜだかセニアには物寂しく感じられてしまう。
メイスンの腕前のほどは、執事というのが信じられないほどのもの、と向き合っていて伝わってくるほど。抜き身の剣を突きつけられているような怖さをはらんでいた。
(剣の腕前だけなら、私と互角、いえもっと強いかも)
セニアはメイスンについて屋敷の案内を受けながら思う。
「どうかされましたか?不慣れゆえ私の説明が分かりづらいでしょうか」
強さを測っていて、セニアはメイスンに心配をかけてしまう。
「いえ、そんなことは」
セニアは慌てて首を横に振る。生き残ってくれていたことを喜ぶのが筋ではないかと思う。
長い時間をかけてセニアはメイスンから説明と紹介、案内を受けた。ぎこちない部分は執事補佐だというルーシャスという初老の男性がしてくれる。
メイスン自身も執事とは何かを必死で学んでいるところらしい。補佐と言いつつも、ルーシャスがメイスンの指南役となっているのはセニアにも分かった。
(そうまでして、私のところへ)
夜、夕飯をとってからようやくセニアは新たな自室へと落ち着くことが出来た。
「す、すごかったです」
シエラが思わず呟いていた。軍人さながらキビキビと動き続けるメイスンに圧倒されたらしい。
「セニア様、失礼をいたします」
コンコンと硬いノックの音が響く。メイスンである。
「はい、どうぞ」
親戚同士で何も遠慮など要らない、とセニアは思うのだが。
ひどく深刻な顔をして、メイスンが入ってくる。手には布で包んだ棒状の何かを掴んでいた。
「それは」
セニアは首筋が粟立つのを感じる。
「お屋敷入りした当初も申し上げたとおり、私はつい先日まで軍人でありました。ゲルングルン地方で戦っていたのです」
微笑んでメイスンが切り出した。
「軍務の最中、森の中で放置されているところを拾いました」
メイスンが布を解く。
金色の鞘に納められた聖剣が姿を表した。ハイネルに奪われ、アスロック王国へ流れたとばかり思っていた、父の形見がいま、目の前にある。刀身を見なくとも法力を感じられた。
「聖剣オーロラを、正当なる持ち主へお返し致します」
恭しく跪いてメイスンがセニアへ聖剣を捧げる。
すぐには素直に受け取れない。
「おじさま、私、聖剣に相応しくありません」
泣きそうになるのをセニアはこらえる。奪われたのは本当に情けない、自分の過ちによるものだ。仲間だと思っていた人に甘え、迷惑をかけた。
「そもそも聖剣の名前がオーロラということすら知らなかったの」
聖剣を前に膝に手を置いて打ち明けるセニア。
対するメイスンが労るような笑みを浮かべる。
「今、知ったではありませんか。あなたはまだ成長途中なのです。今、完璧である必要はありません」
メイスンが聖剣を捧げた姿勢のまま告げる。
セニアは聖剣オーロラへと手を伸ばし、引っ込めてしまう。ふと、気づいてしまったからだ。
「おじさまこそ、法力を持ってるわ。今の私より強い力」
自分も力を使い始めたから分かるのだろうか。セニアは目を見張って告げる。
メイスンが苦笑した。
「今は、ですよ。それに私は所詮分家筋です。然るべき教育も受けておらず、潜在的な力はセニア様には遠く及びません」
到底、納得のいく説明ではない。血筋など実力とはまるで関係がないではないか。
「なら、今はおじさまの方が聖騎士に相応しいのだからおじさまが」
セニアの言葉にも、メイスンが首を横に振った。
「では、言い方を変えましょう。いま、この段階では、セニア様よりも恐れながら強い力があるからこそ、最後には聖剣オーロラがセニア様を選ぶと分かるのです」
ずるい言い方だ、とセニアは思う。
(それに私、十歳しか違わないのに、おじさまと話してると小娘みたいだわ)
つい、幼子のように頬を膨らませてしまう。
「ずるいです、おじさま。私に分からないところで話を進めようなんて」
そして、セニアはとうとうメイスンによって聖剣オーロラを握らされた。また、お前か、と聖剣にため息をつかれたように感じてしまう。
「そう、おっしゃらないでください。こう見えて成長を近くで見守ることができると。念願がかない、私も高揚しているのです」
優しい笑みを向けられて、セニアはついドギマギしてしまう。生まれて初めてのことだ。
「私もおじさまに、再会できて嬉しいです」
こう返すのがセニアにとってはやっとなのであった。




