171 聖騎士の困惑1
ルンカーク家とビーズリー家の顔合わせが行われている頃、聖騎士セニア・クラインは皇都グルーンの皇城敷地内の北側尖塔にあてがわれた自室にて、呆然としていた。
「嘘、私、貴族になってしまったわ」
つい数時間前の出来事を思い出してセニアは呟く。頭を両手ですっぽりと抱えてしまう。
論功行賞の場において、『侯爵位と領地を授ける』と皇帝マルクス3世に言われた。領地はかつて魔塔の立っていた旧ブランダード領だという。
何かと因縁のある土地だ。
アスロック王国にいたころも、侯爵令嬢であったのだが。ただ貴族の娘というのと、実際に自分が侯爵となってしまうのでは、だいぶ違う、とセニアは感じる。
「セニア様、すごいです。なのに、なんで浮かない顔?」
侍女のシエラが首を傾げる。カティアもイリスもいない今となっては、ただ一人、以前から自分のそばにいてくれている少女だ。
「領地も貰えて、皇都に大っきい屋敷も貰えて、良いこと尽くしじゃないんですか?」
確かにシエラの言うとおりだ。普通、ないよりもあったほうが良いものばかりだ。あくまで普通は、の話である。
「私はね、シエラ」
セニアはしんみりとして切り出した。
「剣を振る以外、何もかも駄目なの。分からないの。あぁ、せめてイリスがいてくれたら」
ゲルングルン地方で失った、幼い頃から一緒だった従者の不在を思い、セニアはすっかり心細くなった。
イリスがいたらきっと、『何とかなるわよ』と力づけてくれたはずだ。父とシェルダンに続いてイリスまで、もう、いない。頼りにしていた人々が次第次第に減っていく。最後に残るのは自分だけ、という気がする。
「イリスさんも、そういうのダメそうだから。きっと2人で嘆いちゃうだけですよ」
心配そうに辛辣なことを言い放つシエラ。それでも今となっては一緒に過ごしてくれる貴重な存在だ。
「お屋敷だって、きっと私、すぐ壊しちゃうし、領地なんて貰っても。どうやって領民の人を幸せにするの?」
どういう産業を進めて、暮らし向きを守るのか。飢饉とか旱魃、治水のことなど、いろいろなことをしなくてはならないのではないか。
少し想像し、考えてみただけでも頭が爆発しそうだ。
「クリフォード殿下に相談してみたらどうですか?」
名案を思いついた、とばかりに顔を輝かせてシエラが言う。
セニアは暗い顔を返した。当然、相談している。何の役にもたたなかった。
「とにかく、困ったら燃やすんだよ、ですって。一体何を燃やす気なのかしら」
炎魔術以外からきしのクリフォードを思い出してセニアは言う。ルベントでも領地を持っていて視察などに出ていたものだが、実際は魔物を倒して回っていただけらしい。
「どうも、領地の運営とか、そういうことはシオン殿下に助けてもらっていたみたい」
セニアは深々とため息をつく。
複雑なことを考えずに済む人生だった、ということだ。セニアも聖騎士としての剣術に神聖術、魔塔のことに専念していたかったのだが。
「あぁ」
シエラが納得して遠い目をした。シエラも冷静になると、領地経営に勤しむクリフォードの姿などありえない、と気づいてしまったようだ。
「助けてもらっておいて、それなのに皇位を奪おうとしていたなんて、破茶滅茶よね」
セニアはドレシア帝国の仲良し兄弟皇子を思う。
シオンはシオンで対立していたというのに、領地経営のことなどでは、争い相手の弟を助けてやっていた、ということだ。
(あの2人の頭の中は一体、どうなっているの?)
セニアはこうして新たな悩みを抱えてしまい、再び神聖術の習得に行き詰まっていた。千光縛のときと異なるのは、既に取っ掛かりを得ているということだ。
(光収束に、快癒の術ね)
未だルフィナから譲り受けた聖騎士の教練書第2巻の内容である。第2巻には基礎訓練に関する記述がない分、実践的な術に紙面を費やせているのであった。
実は2つとも既に使いかけたことのある術だ。
『光収束』の方は、ハイネルに光刃を撃とうとして発射したあの時の光を、より硬く研ぎ澄ませたものらしい。固めて貫通力を持たせ、一本に纏めて撃つことも無数に拡散して放つことも出来る攻撃術だ。
『快癒』の方は第4階層で瘴気に冒されたペイドランを回復させたものが近いらしい。ルフィナは回復光と言っていたが。実際には瘴気由来の状態異常を回復させられる術なのだそうだ。
(そもそも、光収束のほうはともかく、快癒の方は練習したくともなかなか出来ないのよね)
セニアは思い、ため息をついた。そうそう瘴気に冒されて状態異常となる者など魔塔の外にはいないのである。
次の魔塔、というのも今一つ身に迫ってこない。
(残されている魔塔は)
アスロック王国南部の沿岸部に近いガラク地方の魔塔。
聖山ランゲルに近いミルロ地方の魔塔。
そして最古の魔塔の3つだ。
(どこを狙うにせよ、まずラルランドル地方にいるアスロック王国軍を、ドレシア帝国軍が蹴散らさないことには)
今いる国と祖国との戦いをセニアは憂いた。
シエラが傍らでじっとそんなセニアを見守っている。
シオンの言っていた国防の側面から考えると、新たな領土となるゲルングルン地方を、ガラク地方の魔塔から溢れた魔物が襲うこととなるだろう。
(次はガラク地方の魔塔かしら)
ゲルングルン地方のものと違い、セニアがアスロック王国にいたころからの魔塔だ。
「シェルダン殿がいたら、どんな魔塔か教えてくれたでしょうに」
ポツリとセニアは呟いた。
ペイドランも自分たちのもとを去ってしまったため、次は4人で上るしかないのだろうか。
「セニア殿」
ドアをノックされた。クリフォードの声だ。
かつてはノックすらせずに入ってこようとしたものだが。
「どうぞ」
セニアは返事をした。
シエラに招き入れられてクリフォードが据え置きのソファに腰掛ける。
「寂しくなるね。ここを出て自らの屋敷で暮らすのだろう」
論功行賞の式典からクリフォードは着替えていないようだ。
炎を思わせる真紅のローブを身に纏っている。線が細く端正な顔立ちの優男だが、魔塔での戦闘では、ドレシアの魔塔に続き、ゲルングルン地方の魔塔でも頼りになる存在だった。
「ええ、そうなりますね」
セニアは頷く。家族でもないのに今まで皇城に住まわせてもらっていたことのほうがおかしいのだ。
(婚約とか結婚とかをしているならともかく)
思い、セニアは頬を赤らめる。
いつか本当に自分が誰かの妻となる日が来るのだろうか。相手がクリフォードだとしても想像もつかないことだ。
「屋敷にどんな人間を雇うかぐらいは決まっているのかい?」
微笑んでクリフォードが尋ねてくる。
考えるようもない。爵位の話からして寝耳に水だったのだから。
「それが」
セニアは言い淀む。つい俯いてしまう。
「だと思ったよ」
クリフォードが卓上に冊子を置いて、ついと寄越してくる。
顔を上げてセニアはパラパラとめくってみた。
「これは?」
数十人の経歴と顔写真つきの書類だ。セニアは首を傾げた。
「セニア様、それ、履歴書ですよ」
後ろから覗き込んでシエラが教えてくれた。主の世間知らずに少し呆れているようでもある。シエラの方は書いたことすらあるのかもしれない。
「執事から侍女、料理人までの名簿だよ」
クリフォードの言葉に、自然、セニアの頭は下がる。
「といっても兄上だけどね。選んでくれたのは」
すぐにセニアは頭を上げることとした。
感謝の言葉はいずれシオンに贈ることとする。
「殿下、そういうところですよ。私が好きになりきれないの」
ポツリとセニアは呟いた。
一途に自分へ向けてくれる気持ちが嬉しい。戦闘時もとても頼りになるのだが。
さらっと自分で自分を落とすような印象である。
「少しでも好きでいてくれるなら嬉しいよ」
悪びれずにクリフォードが言う。
セニアは思い直した。
シェルダンもペイドランもいなくなって、ゴドヴァンとルフィナも前線にいる。クリフォードだけでも近くにいてくれて、本当は心強くはあった。
「私から兄上にお願いしたんだ。報いないわけにいかないから、と爵位と領地を授けるなら、最大限に支援してあげてほしい、とね」
クリフォードが苦笑した。言葉添えをしてくれたならやはり感謝すべき相手だ。
「私は反対したんだ。魔塔に専念させてあげてくれ、と。悲願なのだから、と。だが、兄たちにも世間体がある。済まないが受けてほしい」
クリフォードの言葉には真心がこめられている。
それが何よりも今のセニアには嬉しいのであった。




