170 父と子と
ビーズリー家とルンカーク家の顔合わせをした当日の夜、シェルダンがレイダンの書斎を訪ねてきた。
沒落したとはいえ子爵令嬢、貴族の娘と結婚予定である息子にレイダンは満足して一人、一族の歴史を振り返っていたところであった。貴族と血筋がつながるなど、ビーズリー家にとって、ほぼ初めてのことだ。確信するとまた誇らしくなる。
(ただならぬ顔だな)
この上なく順調に進めている貴族令嬢とのことではないだろう、とレイダンは当たりをつけた。
日中、顔合わせで席を外して、若い二人が重要そうに話をしていたのは気付いている。あのときはカティアの方が深刻な顔をしていた。
優秀な息子だが、甘やかしてしまった、という後悔がレイダンにはある。武術や知識の面ではない。もっと大きな人生の選択や判断の面で、だ。
「父上」
シェルダンが挨拶も抜きに切り出した。書斎の壁を見渡す。
小さい家の書斎だが、かなりの量の冊子が書棚に納められていた。全てビーズリー家の先代たちが遺した手記だ。苦労してアスロック王国から持ってきた。
先代と言いつつ、レイダンのものも、現在進行で作成中のシェルダンのものもある。
「今、アスロックに残っている分家筋はどれだけですか?」
シェルダンが尋ねてくる。
自分より能力の面では優秀な息子をレイダンは見据えた。言わんとしていることはすべてを言われなくても分かる。
甘ったれの一人息子も腹を決めた、ということだ。
「カティアさんに何か言われたか?」
女で判断したのであればたしなめるべきだ。
もっともカティアにシェルダンが分家筋のことまで話したとは思えないが。
「具体的なことは何も。抽象的な、気の持ちようなどの精神論です。焚き付けられた、というよりは少々背中を押された程度でしょうか」
落ち着いた口調でシェルダンが答える。
既に息子の作った手記はレイダンのものより分厚い。歴代の中でもシェルダンほどの成果をあげたものはほぼいないだろう。
(あの鎖鎌も見事なものだが。私も甘いな)
使えば使うほど味の出てくる良い武器だ。レイダンも少し試しはさせてもらった。
誰よりも戦果をあげた代わりに、何度もシェルダンは危険な橋を渡っている。先代たちとは比べ物にならない。
(本来はレナート様について、魔塔へ上った段階で勘当ものだ)
レイダンは苦笑した。家訓に逆らっている息子に対して、むしろ背中を押すようなことや尻拭いのようなことばかりをしている気がする。マリエルともども、結局息子が可愛くてしょうがないのだった。
(しかも人としては必ずしも間違いではないときている)
息子の希望通りにしてしまう自分とマリエルもまた、ビーズリー家の歴史の中では異端に当たる。
レイダンは分かりやすくため息をついた。
「ウォレス家にスタックハウス家のラッド、ランドルフ兄弟他、大きな家が20、小さいところ、遠いところで30ぐらいじゃないか。現役では、な」
覚えている限りをレイダンは答えてやった。
備忘録などを確認すればもう幾らかはいるかもしれない。
『大きいところ』というのは小隊長や分隊長として人数を率いる立場で、かつ近い血筋の家柄。
『小さいところ、遠いところ』というのは比較的やり取りが疎遠になっている血筋だ。
シェルダンが頷く。概ね予想通りの回答だろう。
1000年も続いていれば、分家も分派も他所の家よりも遥かに多くなる。歴史の中で離れてしまう家系もあるが、未だ手紙のやり取りをしているぐらいの家柄もこれだけあるのだ。
「では、アスロックに残っているそれら分家筋すべてに手紙を出してください」
シェルダンがいよいよ本題を告げにかかる。
どうせ自分とマリエルに多大な負担をかける我儘だろう。
「ビーズリー本家はドレシア帝国で生きる。私自身もここで世帯を構えて歴史をつなぐ。行動を起こせる者は起こせ、アスロックは潰される、と」
なかなか大胆で強硬なことを言う。レイダンは驚いていた。
カティアにどれだけのことを言われたのか気になってしまう。
「全てに、か?」
ただ出さねばならぬ手紙の量と手配にかかる労力を思い、レイダンはげんなりした。
「全てに。それも次の戦までに。大急ぎで、です」
こともなげにシェルダンが言う。
親にかける手間を考慮できないのが、息子としてのシェルダンの欠点だ。
万が一人手に渡ってしまうことも考えて、文面も練り上げなくてはならない。何食わぬ顔で大急ぎさせられ、我儘息子に振り回される我が身を嘆く。
「アスロック王国のエヴァンズ殿下には、いい加減、痛い目を見てもらおうかと思いましてね」
薄くシェルダンが笑う。
息子が笑うといつもろくなことがない。とても楽しかった数々の苦労と思い出をレイダンは振り返った。
「それにしても、お前はセニア様に思い入れが強すぎやしないか?」
皮肉を言っておこうとレイダンは思った。さらに他所の家の息女を妻として迎え入れる直前なのだから。
「セニア様にではなく、先代のレナート様ですね。結局、どうも私はそこへと行き着くようです。それと私はカティア一筋です」
いつの間にか呼び捨てになっている。
涼しい顔でシェルダンが言う。
憑き物のとれたような、ケロリとした顔を見るにつけ、つくづく息子は良い相手と巡り会えたようだと思う。
(私とマリエルのように、な)
なぜか息子たちに内心で張り合ってしまうレイダン。
「エヴァンズ殿下は、先代聖騎士レナート様の愛娘セニア様を邪険に扱い、さらには処刑しようとまでしました」
冷たい口調でシェルダンが言う。
当初シェルダンは助けるだけ助けたら、あとは何食わぬ顔でドレシア帝国の軍人として生きるつもりだったはずだ。魔塔攻略に巻き込まれ、死んだふりまでしても振り切れない自分を見て、またカティアから指摘されて、逆方向へ腹を決めたのだ。
「その報いを当代ビーズリー家の私が思い知らせてやる、と決めたのですよ。あの方には、誰を敵に回したがゆえにこうなったのか、分からぬまま滅びて頂きましょう」
底冷えするような決意をにじませてシェルダンが告げた。
アスロック王国でもドレシア帝国でも、ビーズリー家など本来、名前を知られることもない家門だ。まさか好んで1000年も軽装歩兵をする家門があるなど、貴人、権力者たちは思いもしないだろう。
(本当に、エヴァンズ殿下には何が起きたかすら分かるまい)
レイダンも思い、つい笑ってしまった。
次の一戦にはアスロック王国の命運がかかっている。
魔塔もなくなり、肥沃なゲルングルン地方を奪還できれば国の復活へと繋がる反面、奪還に失敗すれば、残された土地は貧しくドレシア帝国からの侵攻に追い詰められることとなるのだから。
「その一戦にハイネルは参加できんとはな」
レイダンも笑ってシェルダンに告げた。
「繰り返しますが、レナート様のご息女を破断した上、処刑しようとなどするからです」
真面目くさった顔でシェルダンが言う。
聖騎士セニアを処刑しようとしたばかりに、アスロック王国はシェルダン・ビーズリーを敵に回し、亡国の憂き目にあうのである。
レイダンも思うにつけ、痛快ではあるのであった。
(何せ、私はその父親なのだからな)
今度、晩酌するときにでもマリエルと楽しく話そうとレイダンは決めるのであった。




