17 第7分隊〜リュッグ3
「夕食ぐらい食っていくか?」
夜道を歩き出しながら、シェルダンはリュッグに声をかけた。
「え、あ、はい」
戸惑いつつも了解したリュッグを『トサンヌ』という料理屋へ連れて行く。軍営近くにある店であり、とにかく料理の量が多く、酒も出て、遅くまでやっているという、軍人にとっては使い勝手のいい店だ。なおツケもきく。店名の『トサンヌ』というのは、店主の郷土にあった魚料理の名前らしい。
「これで、手袋を正式な装備に?」
小さな卓を挟んで向き合うと、リュッグが尋ねてくる。店の中はいつもどおり軍営で働く人間で溢れていた。軍人に限らず事務員など、見知った顔も多い。酔った笑い声が店の各所から聞こえてくる。
「まだまだだ。報告書を作って、上申して、予算も組んでもらって。段階をいくつか経てやっと、初めて正式な装備になる」
若い女性の店員に煮込んだ卵料理と麦酒を注文して、シェルダンは説明した。
「だから、見積もりなんですね」
リュッグの方は蒸した貝とパンだけである。まだ酒を飲める年齢ではない。
見積もりを出してもらって報告書を作る、という流れはリュッグにもよく分かったようだ。通信具の関係でも書類にまみれている。
「お前が作るんだぞ?」
シェルダンは告げると、出された水を口に含んで飲み込んだ。
「え?」
何のことか分からないのか、リュッグが訊き返してくる。
「報告書から添付資料まで、自分で作ってみろ。せっかくの自分がした発案なんだから。形にする流れを覚える良い機会だぞ」
卵料理が来ない。先にリュッグの蒸し貝が先に届いた。
食べていいと手振りでシェルダンが示しても一向に食べようとしない。
「分かりました、俺、やってみます」
食べ始める代わりに、作成する報告書への意気込みを伝えてきた。今までしたことのない仕事への不安と、挑戦したいという気持ちがないまぜになっているようだが。良い返事だ。
だが、やはり食べようとはしない。
(気を使うから先に食っててくれないかな)
思っていると麦酒が木の器に並々と注がれて先に届く。
シェルダンが飲み始めて、ようやくリュッグも食べ始める。
「隊長はよく、こういう発案をするんですか?」
リュッグが貝のむき身をモグモグ噛みながら尋ねてくる。
「あぁ、全部没だったがな」
苦い思い出だ。ドレシア帝国に亡命し、軍に入ってから、幾つか発案しては当時の分隊長の段階で却下された。今の小隊長が当時の分隊長である。
ブン回しても投げてもいい棘付きの鉄球に、片刃剣の先に付けられる穴掘り用のショベルなどだ。鉄球は重たすぎるし、ショベルは穴を掘る必要がないと却下された。
「なんだか不安になってきました」
ようやくリュッグも冗談を言う余裕が出てきたようだ。
「こいつめ」
リュッグの頭を軽く小突いていると、卵料理も届いた。甘辛く煮込んだ卵のみ、という料理である。あまり人気がないらしくシェルダンくらいしか頼まないのだそうだ。
「それにしてもリュッグ、お前は装備資機材の部署にでも進みたいのか?今回の件もそうだが、日頃から熱心に備品の管理に携わってくれているが」
よくやってくるているとも思うし、希望があるなら応援、助言するのも分隊長の仕事だ。
シェルダンは卵を箸でちまちまと口へ運びながら尋ねた。
「いえ、それなんですが隊長」
リュッグが言いづらそうにした。軽装歩兵を続けたいとでも言ってくれるのだろうか。まさか退役したいということはないだろう。
「俺、また少し魔力が増えたみたいで。といっても魔術師の人には全然かなわないんですけど。それで何か新しい技術を身に着けたくて」
リュッグはまだ若い。20歳くらいまでは魔力が微増する者は少なくない。初級の攻撃魔法か回復魔法でも覚えたいというのだろうか。ただ初級魔法が実戦でどこまで有効かは微妙なところだ。
鎖鎌を遣う関係で身体強化以外、考える必要のなかったシェルダンにとっては未知の悩みである。
「で、通信念話育成専科に希望を出してみようと思ってて」
リュッグはリュッグでしっかり考えていたのだった。
念話の送受信は少ない魔力でも行うことができる。ただし、専門の訓練が必要不可欠だ。魔力を多く持つ者も自分の分野以外には無駄な労力を使わない傾向もあり、送受信両方ともそつなくこなせる人間は少ないのである。隊としては有り難い、立派な特殊技能だ。
「いいんじゃないか。念話を使える人材がいれば、隊としても助かる。まぁ、もちろん、希望者が多いようなら受けられない可能性もあるが」
シェルダンは言い、知った中に希望者が他にいないか記憶を探る。ばっ、と思いつく名前と顔はない。いずれにせよ、小隊長には話を通しておこうと思った。
「ありがとうございます。念話の教養は、夕方以降で軍務のない時間帯ってことですけど。所属する分隊長の許可が必要だと示達にあったので」
リュッグが嬉しそうに言う。蒸した貝の残り汁にパンをつけて食べている。
示達というのは、軍の上層部から送られてくる指示や通達を記載した回覧の文書だ。きちんと目を通さない兵士も多い中で、リュッグはそういう物にもよく目を通しているようだ。
「通常の軍務のあとに、また教養だから当然、他のものより大変なわけだが。将来の役には絶対たつと思う」
シェルダンにとっても部下の前向きな姿勢は良い刺激になる。
しばらく備品の話を続けた。信号弾の使用期限が近づいていること、老朽化した資機材のいくつかを在庫交換したほうが良いことなど。
新兵としては驚くほど正確に、リュッグは備品の状況を把握していた。
食事を終え、会計を済ませて帰路につく。
アスロック王国では出来なかった良い酔い方にシェルダンは満足した。
翌日からリュッグにとっては忙しい日々が続いた。
「書き損じが多いぞ」
シェルダンはリュッグの作成した報告書を添削して突っ返した。
「ナイアン商会へ行って見積もりと試作品を回収してこい」
更に鍛冶屋へも使いにやって、ウルフの頭骨を模した金型を作らせる。
全て軍務のあとに、取り組んだ仕事だ。シェルダンも付き合いで残業である。
軍務に慣れて余裕のあるシェルダンはともかく、新兵のリュッグにとっては大変だろうに、本人は楽しげに取り組んでいた。
(俺もカディスの追及を逃れられる)
何度かもの言いたげに自分を見ているカディスには気づいた。が、結局、何も尋ねては来ない。
ナイアン商会を訪れてから7日後、鍛冶屋からの金型が届き、報告に必要な資料が全て揃った。
(これは、かなり凄いんじゃないか)
ここ数日、リュッグとともに整えた報告書に添付資料の見積もりに試作品までを見渡してシェルダンは思った。
結果として、ボア皮製のほうが丈夫だが、高価で大量生産に向かず、ウルフのほうが多少耐久性に劣るものの、安価で大量生産可能と、報告書には載せる。
「隊長、どうでしょうか?」
リュッグが心配そうに尋ねてくる。初体験だから質の高さに自信が持てないのだろう。以前、シェルダンの作成した傑作、『棘付き鉄球』を遥かに凌駕する出来だ。
「明日、小隊長殿に提出してくる。これは、いけると思うぞ」
シェルダンが断言するとリュッグもホッとした顔をした。
言葉通り翌日、シェルダンは小隊長に提出した。心象や小隊長の反応は良好であったが、以前、提出した棘付き鉄球を改めて酷評され、悔しい思いをしたのだが。
後日、シェルダンの手元には2つの通知が届いた。
1つはリュッグの出した装備案について、ウルフのほうの皮で正式に認可がおり、まずルベントの軍営の軽装歩兵部隊において、試験運用となること。
もう1つは至極、個人的な用件で、シェルダン個人宛のものだった。
厳しい顔で、シェルダンは後者の方を睨みつけていた。