165 第3次第7分隊〜ロウエン1
久し振りに訪れた実家が、姉にすっかり牛耳られていることをカディスは思い知った。
(おまけに本人の機嫌がどう見ても悪いと来てる)
玄関から上げてもらえず、仁王立ちで問答させられているこの状況は、もっともカティアの機嫌が悪いということを意味する。
「で、進捗はどうなの?」
両手を腰に当て、ふんぞり返ってカティアが尋ねる。家主である両親が控えめにカティアの背後で様子をうかがっていた。
助けてほしいのがカディスの本音だが、おとなしい両親には荷が重いだろう。
「まだ、俺だって、遠征から帰ってきたばかりだよ。ルベントで両家の顔合わせの予定なんか組めないよ」
ため息をついてみせてから、カディスは正論を双子の姉に述べる。住居も遠く皇都グルーンなのだ。紺色の髪に、細面の整った顔立ち、性別以外はそっくりである見た目だが。中身はまるで違う。
「手紙を送ったのは随分前よ?」
カティアに睨まれる。何があったかは知らないが恐ろしく理不尽だ。手紙を送られたとき、自分はまだ皇都グルーンにいたのだから。送ったのは随分前でと受け取ったのは、つい最近だ。
(まったく、こっちだって言いたいことがあるってのに)
カディスもカディスで、姉とシェルダンに1つだけ苦言を呈したいのであった。
ただ、父母のいる前では言えない。
(2人とも、さすがにペイドランが可哀相だろう)
シェルダンとカティアの幸せは現在のところペイドランの犠牲の上に成り立っているものだ。
そのペイドランはまだ、自分の可愛い部下なのである。
年相応に可愛らしい女の子を好きになって、突き進んでいく様を見守るのはカディスも楽しく微笑ましかった。
(聞けばそのイリスちゃんとやらも死にかけて、ペイドラン本人も危ない目に遭ったらしい。それでよく俺にこんな無茶振りを)
カディスは静かに姉を睨みつける。
そもそも全て上手くいっているはずなのだから、上機嫌でいるのがスジではないのか、とカディスは思う。
「何?何か文句でもあるの?」
カティアが怒ったまま、訝しげに尋ねてくる。かなり剣呑な雰囲気だ。
「別に。両家顔合わせの件はわかったよ。弟として俺がルベントで滞在していられる間に、場をしっかり設けるから数日のうちにやろう」
カディスは苛立ちを抑えて告げる。祝い事自体を邪魔したいわけではないのだ。両親が何か言いたげだが、おそらく言えるわけもない。
「そ、ありがたいけど。でも、何か引っかかる言い方ね」
カティアが首を傾げた。確かにカディス自身にとっても自分にしては珍しい態度かもしれないと思う。結果、たまたまだがカティアも少し冷静になる。
「俺に、負担をかけるのはいい。身内だし、ここまでの人生でも慣れたし。でも、部下のペイドランはやめてくれよ」
これを機に、はっきりとやはり言っておこう。カディスは決めて言い切ってやった。両親に聞かれるのも構わない。
「どういうこと?」
ペイドランを知らないでもないらしい。なぜだかより一段と不機嫌になって双子の姉が訊き返してくる。
「隊長の代わりに魔塔へ上がって恋人を失いかけたって。隊長も姉さんも、ペイドランが代わりに魔塔へ上がってくれたから今、幸せなんだって、忘れちゃだめだよ」
心配していたほど両親からの反応はなかった。ただ顔を見合わせて首を傾げている。思えば魔塔の危険性を知らないのであった。
「そんなに厳しい状況だったの?」
さすがにカティアが驚いている。
知っている限りの一部始終をカディスは語ってやった。カディス本人もペイドランからの又聞きだが。
話しながら後悔する。みるみるカティアの顔が不機嫌になっていったからだ。
「そう、なるほどね、そう繋がるのね」
妙に納得した様子でカティアが顎に手を当てて考え込む。カティアもカティアで、ペイドランたち絡みで何かあったのだろうか。
「でも、私もそんなところへシェルダン様をまた行かせるの、それを聞くとなおさら嫌だわ」
少し怒りの収まった顔でカティアが言う。ただ、もとの程度、ということだ。どうやら誰に怒っているかはともかく、カディスの話の分は不問とすることにしたらしい。
(というより、最初から八つ当たりで、俺には怒ってなかったみたいだけど)
怒られるいわれもないのである。
カディスは呆れつつ、カティアの言うことも間違ってはいないと思った。
「私はシェルダン様かペイドラン君が犠牲にならないといけないって前提が、そもそもおかしいと思うけど」
言われてみればそのとおりではある。
カディスは仕方なくコクリとうなずいた。
「そうだね、ごめん。俺も二人から離れて、ペイドランばかり見てたから。見方が偏ったかもしれない」
素直にカディスは頭を下げた。
自分には横暴だが、根は悪い人間ではなくきちんと物事を考えられる姉なのだ。
「いいわ。気持ちはわからなくもないから、勘弁してあげる。それにしても」
珍しくカティアが寛容に告げたかと思いきや、ゾッとするような怖く美しい笑みを浮かべた。
「私の未来の旦那様をとっちめる材料がまた増えたということだわ」
なんのことだかは分からないが、とても恐ろしい。
両親が家の奥へと逃げていく。
カディスもそそくさと実家を後にした。
結局、ただ顔合わせの準備を全て押し付けられ、実家にあげてすらもらえなかったことに気付いたのは、しばらく経ってからだった。
(くそっ、しまった、やられた)
カディスはほぞを噛むも、さすがにもう一度あの笑顔を浮かべていたカティアのもとへ戻ろうという気にはどうしてもなれなかった。
(義兄さん、何かやらかしたのかな)
とっちめられる未来の旦那さんとは当然シェルダンのことだろう。あの形相の姉にとっちめられる姿を想像してカディスは気の毒になった。
(まぁ、でも義兄さんなら、なんとかするか。姉さん、いや、お互いにべた惚れだし)
クックッとカディスは笑みをこぼしながらルベントの街をぶらついていた。
以前とあまり変わらない町並みだ。
(ペイドランのやつも、回復したイリスちゃんと今頃デートしたおしてるんだろうな)
思いつつもカディスは一抹の寂しさを抱いていた。
ペイドランは軍を抜けるのではないかと思っていたからだ。今まで軽装歩兵の身分に置かれていたのはクリフォード第2皇子が良いように使いたいからだろう。
「さすがに奴も耐えられないんじゃないかな」
ポツリと呟く。イリスまで死にかけた以上、恋人の安全のため、クリフォードやセニアと距離を置くのではないか。軍属であれば最後は軍令を優先、となるため、そこからも逃れたいのではないか。
カディスはため息をついた。
(ハンスかロウエンとでも呑むか)
一通り酒でも呷りながら愚痴を言いたい。
カディスはルベントの軍営、寮の方へと向かう。ハンスかロウエンがいればルベントにいるうちに一度ぐらいは飲む約束を取り付けられるだろう。
「おっ、ロウエン!」
寮へ至る前にルベント中央の商店街にて長身のロウエンを見かけて、カディスは大声を上げた。
すぐに後悔する。ロウエンの傍らに同じ茶色い髪の毛をした少女も控えていたからだ。




