162 イリスからの提案1
ルベント中央噴水広場近くにあるカフェで、ペイドランはイリスと向き合って座っていた。
「本当にもう大丈夫?痛いところない?」
何度目かになるイリスへの質問を、ペイドランは繰り返す。
初めて病室を訪れた夜から4日が経ち、昨日イリスも退院したばかりである。最初は内臓が弱っていて白湯しか飲めないぐらいだったところ、通常に飲食がとれるところまで、やっと回復した。今はペイドランが取っている宿屋の二人部屋に転がり込んでいる。
「もう大丈夫よ、ペッド。何度目?」
わざとらしく怒ったような顔を作ってイリスが告げる。『本当よ』と言わんばかりに白く細い左腕をくるくる回して見せる。力強さのアピールにはならない。
ただ、可愛いだけだ。
「ごめん、つい」
ペイドランは気不味さと幸福感を噛み締める。妹のシエラに対しても、本人やルフィナから過保護だと言われてきた。今もつい心配になってしまう。
一方で、快癒したイリスとともに朝からルベント観光ができていることはとても嬉しい。前回訪れたときは、セニアの捜索のせいで遊ぶどころではなかったのだ。
(こんな嬉しいことないよ)
ペイドランは向かいに座って紅茶を飲むイリスを見て思う。
一度は死んだと思っていた恋人が生きていたのだ。嬉しくないわけがない。
「なあに?」
ペイドランの視線に気づき、いたずらっぽくイリスが微笑んで尋ねる。
青い瞳に呆けている自分の顔が映り込んでいた。気不味くなってペイドランは俯いてしまう。するとイリスが身を乗り出して意地悪にも顔を覗き込もうとしてくる。
ただ、じゃれているだけなのに楽しい、夢のような時間だ。
「何でもないよ。ただ、幸せなだけ」
正直に気持ちを吐き出すしかペイドランには選択肢はないのであった。
「私もだよ、ありがと」
椅子に座り直してイリスも照れ臭そうに言う。
現場で保護してくれたシェルダンとメイスンの他、その後も治療院に運び込むまで第7分隊の人たちが助けてくれたのであった。
ペイドランは一人一人に礼を言って回ろうと思っている。イリスにも一緒に来てもらって紹介するのだ。当然これは、自慢することも兼ねている。
「ねぇ、元々いた分隊のお仕事は大丈夫なの?私は一緒にいられて嬉しいけど」
イリスが心配そうに尋ねてくる。
束の間、ペイドランは第7分隊のことかと思ってしまうも、すぐに現在所属している部隊のことだと気付く。
「大丈夫だよ、カディス隊長が書類上はずっと休暇にしてくれるって」
ペイドランは自分で答えていて、『書類上は休暇』とは具体的にどういうことか首を傾げる。軍内での規定などの事務手続きにも詳しいカディスのことだから、何かしらか使用できる休暇がきっとあるのだろう。
「そっか、良かった」
イリスの方は安心したのか微笑んでくれたが。
カディスと自分の所属している第2ディガー軍団はすでに皇都グルーンに戻っている。他の隊員たちも同じだ。だが、カディスだけはルベントに実家があるため、残留していたので会うことが出来た。イリスが魔塔で重傷を負ったことも含めて、全部説明してある。
(多分、本当はもう、魔塔もないし、帰隊すべきなんだけど)
ペイドランはカディスとのやり取りを思い出す。
話を一通り聞くなり、カディスは『一緒にいてやれ。書類上は有給の消化ということにしておく』と言ってくれたのだ。
(いい隊長だったな。カディスさんも)
散々からかわれたが、肝心なところでは、いつも応援したり助けてくれたりもしてくれていた、と思う。
「それに俺、もう軍隊に戻らないかもしれないし」
ペイドランは名残惜しさを感じつつも呟く。副官とはいえ、クリフォード達のせいであまりカディス以外の隊員と絡む機会もなかったのだ。
ドレシア帝国第1皇子のシオンから従者にならないかとの打診が元の上司であるシェルダンを通じてなされている。
「ペッド、その話もしたいから。今日のお夕飯、個室のあるお店が良いんだけど、どっか知ってる?」
イリスが真面目な顔で問う。真剣であっても可愛いらしすぎて、顔を近づけられるとペイドランはドギマギしてしまうのだ。
ペイドランにはサヌールぐらいしか思いつかなかった。
本当は軍営近くの居酒屋トサンヌで夕食をとって、ハンスやロウエンらとたまたま行き合い、イリスを自慢できたら楽しいな、などと考えていたのだが。
(また今度だな)
何より話をしたいという話題が今後の自分の身の振り方についてだという。
その後も2人はルベントの商店街をブラブラと散策をし続けた。夕飯時になってまだ混まない時間のうちにサヌール入店を果たす。
煮込んだ肉料理が旨い店だ。高額なのでペイドランは滅多に来たことがないのだが。
「ねぇ、ペッド」
一通り、食事を取ってから、イリスがお行儀よく布巾で口元を整えて切り出した。
自分の顔を見るなり、にっこりと微笑んだ。
「もうっ、口元がよごれてるわよ?」
イリスが身を乗り出してペイドランの口元を拭いてくれる。恥ずかしいものの、ペイドランは世話を焼かれて嬉しくて、されるがままだ。
「シオン殿下の従者をするなら、マナーも覚えなきゃだめよ。怒られちゃうんだから」
拭き終わったイリスが仕方ないわね、と言わんばかりの笑顔をみせて告げる。
「うん、そうだね」
頷くもペイドランはまだ、シオンの従者をすると決めたわけではなかった。
(というより、しばらくはそういうの考えたくないし、考えらんない)
ただイリスの無事を喜ぶだけの時間がペイドランは欲しかった。だからシェルダンにも即答をしなかったし、いまだにシオンに自ら接触を図ってはいない。
従者というのが何をすべきなのかも分からないのだ。腕利きだから必要とされているのだという。
(護衛とかとも違うのかな。護衛なら護衛って言うよな、きっと)
元密偵であり、今のところは軽装歩兵のペイドランは首を傾げる。
「で、ね、ペッド」
再びイリスが話し始めた。覚悟を決めたような少し厳しい顔つきだ。
将来のことを楽しく話し合うのかと思っていたペイドランである。意外に思うも意味もなくこんな顔をするイリスではない。
ペイドランも居住まいを正した。
「あのあと、私の病室にね、シェルダンさんが来た」
あまりに意外な言葉にペイドランは開いた口が塞がらなくなった。『あのあと』というのは、まだ病床にいたイリスとの再会を果たした後だろう。
暗澹たる気持ちに襲われてしまった。つい自分でも暗い顔をしていると分かる。
「隊長、わざわざ俺がいなくなった後を狙って、イリスちゃんのところに来たってこと?」
どう考えても良い話をしに来たのではない。こんなことなら、飛刀を投げておけば良かった、と思った。
「大丈夫?酷いことされなかった?」
ペイドランはとにかくイリスのことがまず第一に心配なのだった。
イリスがくすぐったそうに笑う。
「大丈夫よ。がっかりはさせられたけどね。指一本、触らせなかった。向こうもそんなつもりじゃなかったみたい」
とりあえずはイリスに安心させてもらえた。現にイリスが元気であることもペイドランにとっては安心材料である。
「でもね」
イリスが真剣な顔で切り出した。
「本当にガッカリさせられたし、腹も立ったから、ペッドに一度ちゃんと相談したくて」
サヌールで食事を、となった時点で込み入った話があるとは分かっている。
ペイドランはイリスとしっかり視線を合わせて見つめあい、話が切り出されるのを待つのであった。




