158 鎖の人1
さすがに朝まで一緒にいると、大騒ぎになってしまうので、イリスはペイドランに一旦、帰ってもらった。明日の朝一番から、今度は正式に面会の手続きを踏んでくる、と意気込んで言うペイドランをイリスは笑顔で見送った。
(私、ペッドと。信じらんない)
イリスは左手の薬指に嵌めたダイヤの指輪を眺める。
まだ本当は全て夢であり、魔塔の中で死にかけているのではないかと思う。
(それか、やっぱり2人とも死んじゃって、死後の世界で結婚の約束してるんじゃ)
そう、不安になるぐらい、唐突にイリスは幸せな気分にさせられたのだった。
特にジェネラルスケルトンという骸骨の騎兵に突き殺されそうになってからの記憶が曖昧だ。
何か紫色のおぞましいものに包まれて死にかけた、ぐらいの記憶しかない。全身が痛くなって呼吸も苦しくなった。その後、次にくる記憶がもう、ペイドランとの再会とプロポーズなのだ。気持ちの高低差があまりに激しい。
「誰?」
イリスは窓の方へと鋭い視線を向けた。
誰かがいる。皮肉にもこの感覚が改めて、イリスに自身の生存を確信させた。
ペイドランではない。ペイドランが本気で気配を消すと、自分でも分からないのだから。
「ペイドランみたいにはいかないな」
灰色の髪をした青年が窓から入ってくる。アスロック王国の人間だ。髪色で分かる。エヴァンズからの刺客だろうか。
(敵?)
まだ全く万全ではない身体。刺客だとしても抵抗する術が今のイリスにはない。
「身構えるな、敵じゃない」
知らない声、相手だ。
月明かりが相手の顔を照らした。
(レイダン・ビーズリー?でも若い。この人、まさか)
イリスはペイドランの話にも自分の生存を『シェルダン隊長から聞いた』とあったことを遅まきながら思い出す。
「俺はシェルダン・ビーズリー。あんたの恋人ペイドランの元上司で、あんたの命の恩人だ」
感情のこもらない口調で名乗るシェルダン・ビーズリー。信じざるを得ないほどレイダン・ビーズリーにそっくりだ。
(特にこの、何考えてるか分からない目。やっぱり怖い)
イリスは両手でギュッと自分の体を抱くようにした。
昔、憧れていた鎖の人だ。しかし、当然といえば当然だが、先に会って怖いと感じたレイダン・ビーズリーにそっくりである。端正な顔立ちだが、得体のしれない怖さを感じた。
「ペッドから聞いてます。本当は、ありがとうって言うべきだけど。こんな時間だもの」
イリスは言いながら、自分の理想からはかけ離れたシェルダンにがっかりしてしまう。事前にペイドランからプロポーズしてもらえて良かった、となんとなく思った。
「何の、用ですか」
硬い声でイリスは尋ねる。こんな夜中に女子の病室へ忍び込むなど、恋人のペイドランでもないのに失礼だ。無体を働かれる、という気配は一切しないのだが。
「ペイドランのやつとは、無事に会えたようだな、安心した」
質問に答えず、シェルダンが病室を見回しながら言う。
(やっぱりなんかやだ)
大声でペイドランを呼ぶべきかイリスは悩む。実際に声が届くところにいてくれているのか、弱った自分に大声が出せるのか、すらわからない。
(でも、ペッドなら来てくれる)
イリスはペイドランのことは信じ切っているのであった。
「まったく。ひどい悪者になった気分だ。これでも、あんたを魔塔から助け出してきた恩人なんだがな」
苦笑してシェルダンが言う。
悔しくなった。イリスとしては助けたのもペイドランであって欲しかった、と痛切に思う。詳細は分からないが、ペイドランが自分に嘘を吐くわけがない。シェルダンが助けた、というのまでは本当なのだろう。
(嫌な人)
イリスはシェルダンを睨みつける。
わざわざ自分で助けた、などと恩着せがましく言うものではない。貸しがある、と言いたいのだろうが。
自分に何らかの要求があって、ペイドランのいなくなった後を狙いすまして姿をあらわしたのだ。それが見え透いているからどうしても『ありがとう』が出てこない。
「あんたとペイドラン、これからどうするつもりだ?またセニア様達の魔塔攻略に付き合うのか?」
シェルダンが話を先に進めた。
ついさっき、もう上がらないとペイドランと2人で決めたばかりだが。教えてやる義理もない。
黙ってにらみつける。
「全く本当に嫌われたもんだな。初対面だろう?」
シェルダンがわざとらしく傷ついたふりをして、ため息をついた。
勝手に寝台脇の椅子に腰掛ける。さっきまでペイドランが座っていた場所であり、夜が明けたらまた面会に来てくれて座る場所だ。
身体が動けばぶっ叩いている、とイリスは思う。
「あなた、本当は生きてたのに。ペッドやセニアを騙して、死んだことにして悲しませて。それだけじゃない。そのせいで、魔塔をペッドは上る羽目になった。危なかったの、死にかけたの。私だってそう。嫌うに、恨むに決まってる」
イリスははっきりと言い切ってやった。
「そのペッドに悪いと思って、わざわざ、あんたを助けてやったんじゃないか」
まったく悪びれることなくシェルダンが言う。さらにイリスの真似をして『ペッド』呼びする嫌がらせつきだ。
かっとなりかけるもイリスは自分を抑える。
「そもそも、魔塔に上らされたのが、あなたのせい。助けられたのはチャラだわ」
言葉の使い方が正確かどうかも疑わしい。
イリスは腹に力をこめて、シェルダンを睨む。正直、休ませてほしい。全身に疲労がのしかかっているかのようだ。
「だから、あなたの言うこと聞く義理、私とペッドには、ない」
イリスは断言してやった。
なぜこんな失礼な時間にあらわれたのか。
一つには貸しがあるから言うことを聞くのが当然だ、という認識がシェルダンにあるからだろう。もう一つはきっと、切羽詰まっているのだ。
シェルダンがため息をついた。
「要求が駄目なら、今から言うのは助言だと思ってくれ」
言うことを聞かせたいのなら、やはり要求ではないか、とイリスは思う。
「セニア様やクリフォード殿下に生存を知られたら面倒だぞ。ペッドからそんな話はなかったか?」
確かに言っていた。
元密偵だが小狡いところのまったくない、ペイドランにしては妙な発想だとイリスは感じていたが。
(この人の入れ知恵だ)
イリスは気付いた。本当に小狡いことばかりを思いつく人なのだ。
「何が面倒なのよ」
知らんぷりをしてイリスは訊き返した。
「連中は、あんたの愛しのペッドを酷使したくてしょうがないからな。あんたが生きてるとなれば、あんたを利用してでも、また上れって話になる」
シェルダンがニヤリと笑った。
「というより、もう、一度それをやられてるんじゃないか?それであんたは死にかけたんだろう?」
頷くものか。
イリスは睨み返す。
「残念。私とペッドはセニアを助けてあげようと思って、自分の意志で上ったの。そりゃ、蓋開けてみたら、力不足だったわ。否定できない」
イリスは言葉を切った。息を大きく整える。
「つまり、これは自己責任よ。セニア達のせいじゃない」
論破してやった、と思ったがあまりシェルダンは動じていないようだ。
「まぁ、経緯はともかく、また魔塔に上る羽目になりたくないのは同じだろう?死んだことにしたほうが楽だぞ。俺も同じだからな」
もう言い返せないだろうと思ったのに、普通に言いたいことを言われてしまった。それも宣言通り、要求ではなく助言の範囲に留めている。
(確かにセニアやクリフォード殿下じゃ、やりこめられちゃうわね)
即答など出来るわけもない。イリスは考えを巡らせる。まだ、シェルダン来訪の意図が見えない。




