154 ルベント帰還3
「ふぅ、せっかくの恋人同士の再会を邪魔する、だなんて無粋な方だわ」
シオンを見送り、カティアがプリプリと怒りながら告げる。頬を膨らませる姿すら美しい、とシェルダンは思った。長く会わないでいたからといって、惚気け過ぎであろうか。
「あんなひょろひょろしたお方、こちらから願い下げですよ」
隣に立つシェルダンの右腕を抱きしめてカティアがさらに言う。
迂闊にその話題を掘り下げると、果ては勘違いした自分がまた怒られることになる。それぐらいはシェルダンにもよく分かった。
「お忙しい方ではあるのでしょう。いよいよ本格的に新たな領土を統治する段階に入りましたから」
よって、シェルダンは当たり障りのない世情を言うに留めた。
実際、ゲルングルン地方には、アスロック王国からの移民が後を絶たない情勢だという。
どう住まわせ、いかなる産業を振興させ、ドレシア帝国の民とならせるのか。まさに統治の腕の見せ所なのだ。政治家であるシオンもやり甲斐があるだろう。
(一方でシオン殿下がここまで出張らないといけない情勢でもある、と)
本来、能力があれば魔塔を討伐したクリフォードがそのまま政策の音頭をとるべきだ。しかし、燃やすこと以外まるで興味のないクリフォードである。
もはや、父の皇帝マルクス三世もクリフォードの政務能力には見切りをつけた、とも噂されている。その代わり炎魔術に専念させる方針のようだ。
(つまり、シオン殿下に何かあると国が傾く。腕利きの護衛は必須、か)
死んだふりをしておいて良かった、とシェルダンは改めて思った。自分とペイドラン、二人共にシオンは目をつけたに違いなく、こんなことをする自分は扱いづらいということで、ペイドランに決めたのだ。
シェルダンは、ルンカーク家の居間に戻る。
改めて、カティアとお互いの無事を喜び、夕飯までご馳走になってから、ルンカーク家を後にした。
既に日も暮れている。暗い夜道を一人で歩く。
視線を感じる。ルンカーク家にいて、歓談していながらもシェルダンは気付いていた。『見ているぞ』と時折、殺気を発して知らせてきてもいたのだが。
「ペイドラン」
立ち止まり、低い声で告げた。
音もなく、闇に溶けそうな黒い髪をした、青みがかった瞳の少年が姿を見せる。黄土色の軍服姿だった。
少し、背が伸びただろうか。表情も知っていた頃よりもいくぶん大人びたように感じられる。
ただ、ひどく暗い目をしていた。原因に心当たりがあるので、意外ではない。
「生きてたんですね。あんな騙し方して。言ってくれなくて、ひどいです」
恨みがましくペイドランが言う。挨拶も何もなしだ。穏やかな口調と裏腹に、静かな怒りと憎しみが感じられて、流石のシェルダンも怖くなった。腕を上げて凄みまで増している。
「本当に大変だったんです。セニア様たち、本当に手がかかるし、悪気なく我儘だし」
ペイドランの苦労が目に浮かぶようだった。
だからシェルダンも死んだふりをしたのだが。
「で、魔塔はすんごく危なくて、イリスちゃんも死んじゃって」
ペイドランの身体から抑えようのない殺気が噴き出してくる。律儀なのは、シェルダンを恨んでシェルダンに報復しようというところだ。元部下の心根の素直さにシェルダンは感謝した。今のペイドランに本気でカティアまで狙われたら、守りきれなかったかもしれない。
「イリスちゃんが死んだの、隊長にも責任あります。むしろ一番悪いです。だから」
ペイドランが腰の後ろに手を回す。
父のレイダンが入れ知恵した名剣が飛んでくるのだろう。
「その娘なら生きていて、ルベントの治療院にいるぞ。すぐ会ってやれ」
下手に前置きをすると非常に危険だ、とシェルダンは思い教えてやった。
無論、隠し立てしようものなら、ここを凌いでも今後、いつどこからでも短剣が飛んでくる、あまりに素敵な新婚生活が待っている。そして、当然、自分もペイドランを手に掛けたくなどない。元部下なのだ。
「え?」
後ろに手を回したままペイドランが固まった。
頼むから手を前に回してから固まって欲しい、とシェルダンは切に願う。
「その娘なら、生きてる。今、ルベントの治療院で眠っているはずだ。俺と、お前の入れ違いで入隊したメイスンって男で助けてやった。金髪で色白のお嬢さんだろう?」
シェルダンはもう一度、キレイに言い直してやった。
理解してもらえるまで何度でも繰り返す腹積もりである。いかんせん命がかかっているのだから。
「え?でもイリスちゃんは第4階層で」
ペイドランが首を傾げる。
戦闘の詳細は知る由もないが、おそらくとっさに転移魔法陣へ逃げ込んたのだろう、とシェルダンには察しがついた。
つくづく余程死にたくなくて、かつ賢い娘だったのだろう、とシェルダンは思った。魔塔の魔物は階層を越えてまで追ってくることを、まずしない。
「倒れていたのは第3階層だった。凄まじい瘴気を吸ったようで、ひどく衰弱していたな。幸いメイスンの奴が法力持ちで助けることができた。あとは」
シェルダンは言葉を切った。なぜか先を言うのがこそばゆい気持ちに襲われたからだ。
「本人の生きようという執念が尋常じゃなかったように感じた。余程死にたくない、また会いたい人間がいるんだろう、と思わされたな」
なぜか自分まで照れくさくなりながらシェルダンは一息に告げた。
ぶわぁっとペイドランの目から涙があふれる。
(これじゃあ、確かに死ねないな)
自分が死ぬとペイドランを泣かせてしまう。それも溢れるほどの涙を流す大泣きだ。
「良かった、ごめん。良かった、ごめんね」
喜んでいるのはともかく、謝罪しているのは第3階層まで気が回らなかったことだろうか。
(いや、無理だろう)
シェルダンは思いつつ、可愛げのある元部下の肩に手を置いた。
仲間が死んだと思わされて、まさか下の階層に戻っているとは思わない。自分でも思い至らないだろう。
「隊長、俺、俺」
しゃくりあげるペイドラン。
「あの魔塔、第4階層にジェネラルスケルトンがいて、イリスちゃん、そいつにやられたんです」
そこから、民家の壁に寄りかかって、何があったのかをペイドランが教えてくれた。
(こいつ、ほんとにおっかないな)
一通り話を聞いてシェルダンはそんな感想を抱く。
ジェネラルスケルトンはかつては魔塔の主としての目撃事例もあるほどの強力な魔物だ。階層主だったのは魔塔の主、鋼骨竜と直接戦闘をした場合は負けるからだろうが。
(人間が戦う場合は逆だ)
防御特化の鋼骨竜のほうが戦うに際しては与し易いぐらいだろう。クリフォードの馬鹿みたいな火力があれば力押しも利くし、実際、ペイドランの話では、セニア達もそうしたようだ。
「俺も、あいつにやられかけて、死にかけたんです」
しんみりと告げるペイドランに、もう一度、シェルダンは恐怖した。
(それでも半身のジュバを倒すなんて尋常じゃないぞ)
自分でもやろうとは決して思わないし、難しいだろう。
激情に駆られたペイドランは恐ろしい、とシェルダンは肝に銘じた。
「魔塔は怖いんだって思い知らされました。俺もだけど、増してイリスちゃん連れてなんて、もう絶対に嫌です」
少しペイドランも落ち着いたようだ。話の向きが自分の都合の良い方へと向いた。
ここを逃すと、イリスの元へ行ってしまうだろう。
シェルダンは肝が冷えたものの、するべき話をするなら今だ、と腹を決めるのであった。




