152 ルベント帰還1
ゲルングルン地方の魔塔攻略後、シェルダンは所属する第3ブリッツ軍団とともにルベントへと帰還していた。
(アスロック王国が攻勢をかけよう、という情勢だが)
シェルダンは街の大通り、かつてクリフォードがセニアと暮らしていた離宮へ繋がる道を行く。目的地はその途上にあるカティアの暮らす一軒家だ。手には白いカスミソウの花束を持っている。部下であるハンスの入れ知恵だ。
(まぁ、あの方々と鉢合わせる心配もあるまい)
クリフォードやセニアらは皇都グルーンへ直接、向かったという。ただ、ゴドヴァンとルフィナだけは第1ファルマー軍団指揮のため対アスロック王国軍との前線へと向かっている。
(ペイドランのやつは、セニア様たちについていったのかな。あの娘の生存を、セニア様たちにバレないよう、どう伝えたものか)
歩きつつ、シェルダンの頭を悩ませているのは助けたイリスという少女である。ペイドランの恋人だということが判明し、現在はルベントの治療院に預けてあった。意識はまだ戻らない。
(とんでもない瘴気だったからな。メイスンのやつ、よくも祓えたもんだ)
本音では、メイスンにも大きな借りが出来たままだ。いずれ返そうとも思う。
ふと、見覚えのない巨大な建物が見えた。抜けるような空色の屋根に、純白の壁を持つ宮殿である。
「あれが、シオン殿下の離宮、か」
ルベントへ着く直前に噂で聞いていた代物だ。
制圧し、魔塔攻略まで成したゲルングルン地方へのアスロック王国からの亡命者や入国者が後を絶たないのだという。予想される、煩雑な政務のため、よりゲルングルン地方に近く、それでいて治安も落ち着いているルベントに、第1皇子にして次期皇帝のシオンもやってきた。相応しい住まいを、ということでクリフォードのものより大きな離宮を造営したのだ。
(そこは張り合うのだな。皇族という人は全く)
ゴシップ雑誌では、極めて優秀にして理知的、という印象のシオンだが、昔から妙なところで異母弟のクリフォードに張り合うのだそうだ。兄弟仲は本当のところ悪くないというのに。
(一人っ子の俺にはよく分からん)
シオンの離宮を横目に、シェルダンは歩き、やがて愛しい人の住まいへと至る。
ノックして訪いを入れると、すっと静かにドアが開いてカティアが姿を現した。実に一月ぶりくらいだろうか。
「カティア殿」
万感をこめて、シェルダンは細いカティアの体をギュッと抱き締める。
「シェルダン様、ご無事で」
嬉しそうに耳元でカティアが囁いてくれる。
どれだけ抱き合っていたのか。
「本当に大きな怪我も今回はないみたい」
カティアが身を離すやペタペタと、シェルダンの顔や体に触れる。腹の辺りを触られたときだけカチャカチャと鎖の音が鳴った。
意味もなく2人で笑い合ってしまう。
「カティア殿こそご健勝で。それに変わらずお美しい」
変わらず美しいカティア。今日は水色のブラウスに薄く、黄色いひだのあしらわれたロングスカートだ。
「もうっ、お上手なんだから」
微笑むカティアに花束を渡す。
カティアが驚いて目を瞠る。
「ちょっと、気障すぎますか?しかし、長く空けてしまいましたし」
緊張しつつシェルダンはカティアに告げる。
「いいえ、とても。嬉しいですわ、ありがとうございます」
恥じらうようなカティアの笑顔。少しだけ優雅な仕草で花の香を楽しんでくれる。
渡してよかったと思いつつ、居間に向かおうとしたカティアの気まずそうな顔に、シェルダンは戸惑う。
「どうされました?」
シェルダンは訝しく思い、尋ねる。
「ええと、ごめんなさい。実はシェルダン様にお客様が」
カティアがひどく言いづらそうにする。交際を始めてから、初めて目にする表情だ。
カティアの父母が出迎えてくれないことにシェルダンもようやく気付く。不仲ではないから、そのお客様の対応をしてくれているのだろう。
「分かりました。すいません、私宛てである客人の対応を、ご両親にさせてしまい」
シェルダンは言いつつ靴を脱いでカティアの案内で居間へと向かう。
決して広くはないルンカーク家の居間。既に5人もの人間がいた。汗を流して客人の相手をするルンカーク子爵夫妻に、その客人と護衛2名だ。護衛2人は客人と思しき貴人の後ろで直立している。
「シェルダン・ビーズリーだな」
客人がシェルダンに気付いた。
シェルダンにとっては、知らないけれどもよく知っている人物だった。
ドレシア帝国第1皇子にして、次期皇帝のシオン・ドレシアだ。
「まさか、そんな」
全てを察し、シェルダンはあまりのことに絶句した。
「あぁ、その、まさかだ」
ゆっくりとシオンが頷く。
「やはり、カティア殿のお美しさを貴人が放っておくわけもない、ということですね」
シェルダンは心底落ち込んで告げる。先程のやり取りや自分の渡した花束を喜んでくれた、あのカティアの顔は何だったのだろうか。
「シェルダン様?何か変な誤解を?」
カティアがひどく慌てた声で言う。
同情してくれているのだろうか。
「いえ、良いのです。私ごときが、良い夢を見させて頂きました」
言いつつも、シェルダンはつい落ち込んでしまった。
ルベント入りしたシオンがカティアを見初めて妻にしたいという話だろう。元より一軍人の自分にはどうすることもできない。
「いや、君はとんでもない勘違いをしている。カティア嬢は美しいが、私はもう少しふっくらと柔らかく、儚げでありながら母性溢れるような女性が好みだ。何せ、私の妻は未来の国母なのだから」
シオンがさらりと失礼なことを告げる。
カティアのこめかみに青筋らしきものが見えた。
「それに身分も必要だ。没落した子爵家では、皇族と縁組というのは、家格が釣り合わん」
シオンが第1皇子でありながら、未だ結婚に至れていない理由のよく分かる物言いであった。
今度はカティアの父母が冷たい眼差しをシオンに向けている。
「殿下、私と生家を最愛の婚約者の前で侮蔑なさるのなら、話はすべて無しです」
両親よりも更に冷たい眼差しを向けるカティア。
縁談でないのならばシェルダンも話は別だ。上着をたくし上げて、鎖鎌を解く。護衛2人と睨み合いになる。
縁談も何も無いなら、シェルダンもただ恋人を侮辱された格好だ。護衛2人を叩きのめすぐらいなら、不敬にもあたらないだろう。
「いや、これはあくまで、誤解したシェルダン君に納得してもらうための話だ。誤解した彼のため、恥を晒した私の気持ちを汲んでほしい」
またしても、しれっとした顔で告げるシオン。
確かに女性の好みまで、次期皇帝でありながら晒したのだから、とんだ恥である。
「まぁ、いいですわ。私とシェルダン様の愛には一部の隙もないとご理解くださいまし!」
カティアも毒気を抜かれたのか、そっぽを向き、シェルダンを睨む。
あえて何食わぬ顔で、鎖鎌を腹に巻き直しているところ、シェルダンは思いっきり腕をつねられた。
「シェルダン様も、浮気を疑うなんて、ものすごく失礼ですわっ!反省なさって!」
もっともな怒りである。むしろ、シオン以上にシェルダンの方へ腹を立てているようだ。
「申し訳ありません」
素直にシェルダンは頭を下げた。早とちりして、最愛の女性を疑うなど確かにあってはならないことだ。
「もうっ、いいですわ。いつか、絶対に埋め合わせをしていただきますから。期待しております」
口調とは裏腹にシェルダンの贈った花を上機嫌で抱きしめている。
ハンスの入れ知恵で花を贈ることにして良かった、とシェルダンは思った。
我に返るとシオンが自分を品定めするように眺めている。
「して、なぜ、そもそも殿下が?私にご用件とのことですが」
自分の生存を当たり前のように受け入れていることにも驚かない。セニアとクリフォード以外には別段、隠してもいないのだから。
「君に頼みたいことがあるのだ」
シオンがソファに座り直して告げる。
おそらくろくな頼みではないだろう。
(貴人の頼みなどそんなものだ)
思いつつもシェルダンは聞くしかないのだ、と腹をくくるのであった。




