151 屈辱と反攻に向けて
ゲルングルン地方の魔塔が攻略されて3日が経過した。今回は自国領土でのことだったので、情報の伝達も早い。
エヴァンズは自らの執務室において、両肘をついた状態で、侍従のシャットンから取り次がれる報せに耳を傾けていた。傍らには腹心の魔術師ワイルダーと婚約者のアイシラも控えている。
自然、渋いムスッとした顔になってしまう。
「調子に乗りおって」
時折、ポロリと怒りを口にしてしまう。
セニアばかりが上手くいく。それだけでも腹立たしいというのに。
エヴァンズにとって屈辱的であるのは、ラルランドル地方の南にあるガラク地方に退避させた人民が、セニアの魔塔攻略を知り、続々と村や集落の単位で、ゲルングルン地方に流入していることだ。
「くっ、何たる屈辱だ」
まるで、エヴァンズの治めるアスロック王国よりも、セニアにたぶらかされたドレシア帝国のほうが、まだマシだと言う意思表示にすら見える。
「困りましたね」
ワイルダーが怜悧な黒い瞳をきらめかせて告げる。
「我々に背を向けたとはいえ、人民を巻き添えにするのは本意ではないのですが」
成功するにせよ、失敗するにせよ、手筈通りゲルングルン地方への反攻に取り掛かる所存であった。そこへもって、ゲルングルン地方入りなどしては、戦火に巻き込まれることとなる。
「こちらの準備はどうか」
エヴァンズは低い声で尋ねる。
本来はゲルングルン地方もアスロック王国の領土だ。当然、魔塔攻略がなった以上、返還の要請はしている。無視されているのだが。
結果、セニアのせいで国土を切り取られたような格好だ。
(あの女め。祖国を何だと思っている)
聖騎士セニアがドレシア帝国の軍隊を率いて攻めてくる、という悪夢に最近、エヴァンズは悩まされていた。それも魔塔を攻略しながら、だ。
本来は災厄である魔塔だが、セニアに対する防波堤のようにもエヴァンズには感じられていて。ゲルングルン地方の魔塔が攻略された、と聞いたときにも喪失感を覚えてしまったほどである。
「私の軍団は既に展開を終えています。私自身があとは出張るだけですが」
ワイルダーが言いよどむ。
「そうか、致し方ないが困ったな」
言いたいことはエヴァンズにもよく分かる。もう一人の腹心、ハイネル騎士団長のことだ。
聖騎士セニアを一度は捕らえ追い詰めた。が、運悪く敵の軽装歩兵の最精鋭と思われる分隊と激突してしまい、卑劣な不意討ちを受けて重傷を負ったのである。
「現在、ラルランドル地方境で睨み合っているドレシア軍とは小競り合いもやっていますが、軽装歩兵が異様に強い、という報せはありません」
ワイルダーの言うとおりであった。
ハイネルの重傷を見て、少なからず冷静ではいられず、無用な警戒をしてしまった格好である。
すぐに攻めていれば、ドレシア帝国軍の兵力を削り、ゲルングルン地方の魔塔も無事だったかもしれない。
「ただ、それを差し引いても、我が軍団単独では」
ワイルダーの魔術師軍団は直接の接近戦を苦手とする。
単独で戦線を張るべき存在ではない。ハイネルの重装騎兵隊と組み合わせることで無類の強さを発揮するのだ。
「無論、殿下のご命令とあらば、我々一同、命を懸ける所存ではあります」
部下に犬死まではさせたくない。優しい男なのである。気持ちはよくわかった。
先のガラク地方からの流出した人民も、むしろそれに乗じて、敵を討つ目くらましにでもすればいいのに、そういう発想は出来ないのだ。
「良い。ならば、マクイーン公爵の正規軍を動かそう。たまには働いてもらわねばな」
エヴァンズは腕組みをして告げた。
今からでも要請するのが気が重い。
一応、マクイーン公爵の正規軍も後詰めとして、ラルランドル地方の西側にまでは出張ってきている。本人はアズルからまるで動かない。
「呑みますか?あの腐りきった軍隊が」
苦々しげにワイルダーが言う。温厚なワイルダーが嫌悪感を隠さないぐらいには、本当に正規軍は腐りきっている。
出動させるだけでも、いちいち賂のやり取りが生じるような軍なのだ。
「動かすのだ。それに動かぬのなら、それを口実にして、初めて軍制にも手を入れられる」
いつの時代から『筆頭公爵が正規軍を統帥する』という伝統ができたのかエヴァンズにも分からない。それほど古く、昔からの伝統だが、ここ数世代で腐敗の温床となってしまった。
「なるほど」
ワイルダーが感心して頷いた。
「正規軍に前衛を張らせ、君の軍団が後衛となれば、一応の形は整うはずだ」
エヴァンズはゲルングルン地方付近の地図を広げて言う。
脆弱だが、数だけはいる軍だ。現在も一千ほどの騎馬隊を含めて一万ほど控えている。
ワイルダー自身とこの正規軍の移動が完了次第、現在、張っているドレシア帝国軍を打ち破れば良い。
「戦は数ではないが、さすがに2倍の一万いれば、なんとかなるだろう。いざとなったら、奴らごと君達が大規模魔術を叩き込んでやるのだ」
エヴァンズは告げた。
更にゲルングルン地方へと突入し、国を捨てた裏切り者共も抹殺していく。それでドレシア帝国もまた決して安心できる国ではないと知らしめる。上手くして、再度ドレシア帝国に魔塔が立ってくれれば上々だ。
頭の中でうまく算段が立ってきて、エヴァンズの機嫌も上向いてきた。
(問題はマクイーン公爵が正規軍の指揮権をワイルダーに大人しく渡すかどうかだな)
駄目なら軍制に手を入れて改革し、ハイネルに総指揮権をもたせ、強い軍隊を作り直させるのだが。
どうしても時間がかかる。かなりの領土を失ってからの反攻とならざるを得ない。
(無論、その前に残り3本の魔塔にでも勝手に突っこんでセニアが死ねば良いのだが)
思考に専念するあまり、エヴァンズは考え込んでいるアイシラの微妙な表情に気付くことが出来なかった。
出陣の準備をするとのことで、ワイルダーが執務室を後にする。
翌日の午前にシャットンをマクイーン公爵のもとへ使いに出した。昼前には戻ってきたシャットンだが、いつになく晴れやかな笑顔を見せている。
「殿下っ!マクイーン公爵から軍は思う様、存分に使ってください、と。高齢ゆえ自らの出陣は無理ですが、ゲルングルン地方征討の合戦ではワイルダー将軍の思う様、酷使して構わないとのことです」
声を弾ませて報告するシャットン。
エヴァンズは差し出された封書を熟読し、報せが口ばかりの誤りではないことを確認する。
「あぁ、ありがとう。ここ最近では1番良い報せだ。こういう朗報があると、お互い報われた気になるな」
エヴァンズもシャットンに笑顔を見せた。久し振りに笑えた気がする。
(言ってみるものだ。本当の危機にはやはり一丸となれる。本来は我が国は、良い国なのだ)
エヴァンズは一見不気味なマクイーン公爵の顔を思い浮かべつつも、今回はその英断に対し素直に感謝した。
本来良い国だったこの国を悪くしたのは誰なのか。いよいよその張本人に報いを受けさせる準備が整った、とエヴァンズは顔を綻ばせた。




