150 ペイドランの決断
「イリスちゃん」
魔塔が崩れていくのを目の当たりにして、ペイドランもがっくりと膝をついて、崩れ落ちた。
亡骸を見つけてあげることも出来なくて。改めてイリスを失ったことを思い知らされているかのようだ。
「ごめんなさい、イリス」
セニアも項垂れている。
自分は冷静なのだろうか。もう食ってかかろう、という気持ちにもならなかった。
ただ、虚脱するだけだ。
必死になって戦ったというのにまったく報われず、かえって大切なものを失ってしまった。一瞬のことで防ぎようもないことが起こるのが戦いだ、とでも言うのか。少なくともシェルダンならそう言うだろう。
(俺がもっと前に出てれば、死んだの俺だったのに。イリスちゃんを死なせることなかったのに)
逆に自分が死んでイリスを泣かせることになったのかもしれない。ペイドランもペイドランで、自分が死ぬ覚悟を決めてはいても、イリスを失う覚悟はまるで出来ていなかったのだ。
(違う。これが魔塔なんだ。俺やイリスちゃん、どの道、キツかった。挑めばどっちかが死ぬかもしれない選択だった)
少しだけ、ペイドランは自分を見つめて冷静になる。そうすると見えてくるものもあった。
自身の10倍近い巨体が攻撃してきても、生身で止めてしまうゴドヴァン。
まだ未完成で頼りないながらも神聖術の素質に満ちたセニア。
人外かと思うような炎魔術を駆使するクリフォード。
(なんで、俺とイリスちゃんが、こんな人たちと肩を並べて戦わなきゃいけなかったんだ)
つい先程までいっしょに戦っていた仲間を見て、ペイドランは愕然として思う。自分やイリスとはあまりに違う、遠い人々なのだ。
「ペイドラン、帰りましょう」
そっとルフィナが肩に手を置いて、優しく告げる。
この人も、どんな傷でも立ち所に治してしまう治癒術の達人だ。
「どこにですか?」
思っていた以上に硬い声が出た。
「俺の家、皆さんと違います。第2ディガー軍団の軽装歩兵の軍営で、そこにある寮です」
至極、当たり前のことをペイドランは告げた。
何が言いたいのか、誰にも分からなかったのだろう。ルフィナを含めた全員が一瞬、キョトンとした。
クリフォードがセニアと顔を見合わせて首を傾げる。
ゴドヴァンだけが渋い顔をした。母親のようだったルフィナと並んで、父親のような人だ。一拍遅れて、ペイドランの言いたいことに気づいたのかもしれない。
「俺は、軽装歩兵なんです、軍人です。皆さんとは違います」
ペイドランはさらに言い募る。立場が違うから、帰る場所からして違う、ということだ。
「イリスちゃんが死んだの、半分は俺とイリスちゃんの自己責任だけど。もう半分は皆さんのせいです」
はっきりと、ペイドランは言い切ってやった。
「違うわ、ペイドラン君。それは魔塔が」
第4階層でも言ったのと、同じことをセニアが言おうとした。
「そういう話じゃなくて」
ペイドランはセニアの言葉を遮った。失礼かも、不敬かもしれないが、もはや構わない。
「俺、最後の鋼骨竜との戦い、全然、攻撃効きませんでした。ただ逃げて、敵を眺めていただけです」
ペイドランは一同を見回して告げる。本当に何もできなかったことを思い出してほしい。
「でも、千光縛とか提案してくれたわ。いてくれて良かったって、思ったの」
セニアが労うように言う。気持ちに嘘はないのだろうが、動かされることもなかった。
「そんなの、セニア様が御自分でか、後衛のクリフォード殿下が気付くなり出来ますし、そうすべきです」
2人の戦闘での判断が未熟すぎるのだ。それを補うためだけに、自分やイリスが命の危険を冒すのは馬鹿げている。
「さっきからペイドラン、君は何が言いたいんだ?それで我々のせいでイリスが死んだといって、我々に非を認めさせ、謝罪でも勝ち取りたいというのか?」
業を煮やしたようにクリフォードが言う。気遣いもなんにもない言い草に、つくづく炎魔術以外は残念な人だと思う。
「俺の武器、魔塔の主とか階層主には効かないです。相手を選びます。イリスちゃんの細剣だってそうでした」
本当に全部言わなくては駄目なのだろうか。ペイドランは肩に嫌な疲れが重くのしかかるのを感じる。ただでさえ、もうイリスがいなくなって、泣き叫びたいぐらいなのに。
「あぁ、言いたいことは分かるよ」
ようやく、ゴドヴァンが低い声で助け舟を出してくれた。
やはり分かっていたのだ。
「ゴドヴァンさんっ」
珍しくルフィナが咎めるような声で言う。
話の行き着く先を2人とも分かってくれているのだ。ただ、ゴドヴァンは仕方ないと思ってくれていて、ルフィナは違うようなのだが。
「確かに2人には無理をさせてた。相性の悪い武器、能力でキツイっていうのに。危険な、命を落とすような場所へまで道連れにさせちまった」
ゴドヴァンが言葉を切った。
ペイドランがもう精神的に限界なのも察して、残りの説明を全部引き受けてくれているかのようだ。
「だからイリスは死ぬような羽目になった。俺らが止めてやらなかったからだ。本当は第4階層前で、ペイドランと2人で帰らせても良かったんだ。イリスはジュバがどうの、言ってたが。ペイドランも一緒なら大丈夫だった。俺らも4人でも鋼骨竜には勝てただろう。正直、ドレシアの魔塔にいた、あのケルベロスより軽い相手だった」
ゴドヴァンの言葉に、誰も返せる人間はいなかった。
気まずい沈黙が場を支配する。魔塔攻略を成したことへの喜びなどどこにもない。
「シェルダン隊長は自分の命を、俺はイリスちゃんを失いました。軽装歩兵の身で魔塔に上るのには無理があって、大事なものを失くしちゃうんです」
ペイドランは言っていて涙が溢れてきた。ゴシゴシと拳で涙を拭ってから立ち上がる。
4人に背中を向けた。
「俺、もう、魔塔攻略、したくないです。皆と一緒だと、イリスちゃんのことばっかり思い出して辛くなります」
背中を向けたまま、ペイドランは森の中へと歩を進める。
「待って、ペイドラン君、でも」
案の定、セニアだけは止めようとしてくる。自分がイリスを思い出させる、最たる存在だと思い至らないのだろうか。
「止めようとして、止まるものではないわ。セニアさん、せめて、少し。休ませるのだと思ってちょうだい」
ルフィナがセニアを制するのが聞こえた。
母のような人に感謝しつつ、ペイドランは森の中を進む。
実際のところ、本当にもう、戻るつもりはないのだが。いつか気持ちの変わる時が来るのだろうか。
ペイドランには1つだけ、どうしても確かめておきたいことがあった。先の話に1つだけ、嘘を混ぜ込んだ、ということでもある。
最後に鋼骨竜を倒したときの、赤い転移魔法陣が脳裏にちらつく。
(転移魔法陣、4つじゃない。5個目が本当はあるんだ)
自分たちに4つしかないと思わせた人物がいる。
魔塔から離れたレイダンに、魔物の情報を伝えていた人物もいる。
(多分、同じ人で、俺、誰だか分かってる)
いろいろな意味で会いたい、とペイドランは思った。




