15 第7分隊〜リュッグ1
シェルダンはカティアと会っていた翌々日、その弟であるカディスから逃げ回る羽目になっていた。結局、ゲイル伯爵を負傷させた件については正当防衛が認められ、不問とされている。無事、何の処罰もなく、通常の軍務に戻ることができた。
(あんな貴族より、よほど厄介だ)
目下、最大の問題は副官カディスである。
姉のカティアとどういうやり取りがあったのかは知らないが、デート当日の様子をやたらと尋ねてくる。周りに他の隊員たちの目があるときは良いが、シェルダンが一人になるとどこからともなく現れて、『姉とはいかがでしたか?』・『姉をどう思いましたか』などと無表情に尋ねてくるのだ。
(答えられるわけ無いだろ、本人の弟に!)
しかも、カディスに知られていたことは大概カティアにも知られていたのだ。最早、カティア本人と話しているのと変わらないぐらいの感覚、認識がシェルダンにはある。
そんなカディスに対して、分隊長であるシェルダンは、離れざるを得ない用務を一方的に押し付けて逃げる、という何とも情けない手段をとることしかできなかった。
今は、発煙筒や狼煙など魔力を要する道具の備品庫前でこっそり休憩をしている。
「隊長」
倉庫の中から呼びかけられた。
(あいつは何でもアリなのか?なぜ備品庫にまで)
シェルダンは叫びながら逃げ出したい、という衝動を辛うじて抑え込んだ。
「うわっ、分かった、悪かった!お前の姉上と一緒にいて楽しかったのは認める!だからあまりしつこく聞くなっ!」
シェルダンは観念して叫び、眼の前にいるのがカディスではなくリュッグであると悟る。もっとも、内容はまだ断片的であり、リュッグにはなんのことだか、さっぱり分からないだろう。
「隊長、お、俺には姉はいませんけど」
リュッグが気まずそうに告げる。誰かの姉と何かあったことぐらいは分かったのだろう。
新兵であるリュッグは今年で16歳になる。まだ少年と言っていい風貌であり、小柄で黒髪、元々蒼白といっていいぐらい色白だったが、入隊してだいぶ日焼けした。隊ではシェルダンを除いて唯一、微弱な魔力を持っている。心なしか目が大きく、いつもおどおどしている印象だ。皇都に両親がいるという。
どうやら、信号弾や狼煙といった、使用に魔力を要する備品の在庫確認を行っていたようだ。資格をしっかりと持ち、扱えるリュッグの役割ではあるが、本人も好きで取り組んでいる節が見受けられる。
「すまん、人違いだった」
下手に言い繕うことなく、シェルダンは素直に言い切った。この方がかえって追及しづらいのである。
「え、あ、はい。大丈夫です」
案の定、リュッグが何か問いたげな顔をするものの、何も訊けずにいる。
若く大人しいが、年の割にはしっかりしている、というのがシェルダンのリュッグに対する評価だった。ただ、1人でいるのが好きなようで、よく備品庫に籠もってしまう。同じ新兵でもハンスやロウエンに懐き、ついて回っているペイドランとは対照的だ。
リュッグが未だ、シェルダンの前から立ち去ろうとしない。
他にもまだ話をしたいことがあるようだ。
あえて話の水を向けずに、リュッグが切り出すのを待ってみる。今後、軍人に限らず、人として生活をしていく上で、言い出しづらいことであっても、切り出すのは大切なことだからだ。黙り込んで後悔するような人間には、リュッグになってほしくはなかった。
「隊長は先日、鎖の武器を使っていましたが、あれは隊長の考えた武器ですか?」
意を決したように、リュッグが尋ねてきた。鎖鎌のことを気にしていたらしい。
「いや、俺じゃない。4世代くらい前の先祖だ。鎖鎌という呼び名だ」
少し意外に思いながらもシェルダンは丁寧に答えた。何よりリュッグがきちんと声に出して訊いてくれたことが嬉しい。
「あの、使わないときは腹に巻いておくんですか?」
余程、鎖鎌に興味があるらしい。大体の相手は鎖鎌の話をすると、ビーズリー家の歴史の長さに驚いて終わりだ。
(それによく見てる)
商隊をウルフの群れから救援したときの動きをリュッグに見られていたようだ。
「そうだが、それがどうかしたか?」
なぜ鎖鎌に興味を持つのかが分からず、シェルダンは訊き返した。
備品庫の近くには元々あまり人が寄ってこない。今も自分とリュッグしかいない状況だ。カディス辺りは見つけているのかもしれないが、流石にリュッグの前では「姉がどうでしたか?」などとは訊けないだろう。
「つまり、平時は鎖帷子の代わりにしているんですよね?」
リュッグがシェルダンの腹あたりに視線を向けて尋ねた。確認するかのような口ぶりである。
「あ、ああ。そうだが」
だから何だというのか。
ちなみに実際には鎖帷子の上に巻いている。結果として防具の代わりをしているわけだから、あながちリュッグの言うことも外れてはいない。
「いえ、例えば腕に巻いてみたらどうなんだろう、と考えていて。そしたら何か工夫ができないかなって考えが広がって」
リュッグが面白いことを言い出した。何が恥ずかしいのか俯いてしまう。
「さ、最初は隊長と同じように鎖鎌を巻いて使えたら、と思ったんですけど。使いこなすのは難しそうだから」
確かにリュッグの言うとおり、鎖鎌の習熟にはかなりの時間を有する。シェルダン自身も魔力による身体強化を使って鎖の威力を増しているぐらいだ。一般兵の標準的な軍装として用いるのは現実的ではない。
「盾を持つのはだめなのか?」
だめである。試すような気持ちで、シェルダンはリュッグに尋ねた。
「それだとかさばるし、手も塞がってしまいます」
正解である。
満足してシェルダンは頷いた。戦況に応じて盾を使うこともあるが、軽装歩兵としてはかさばる武装は避けるべきである。特に斥候として動くときには邪魔でしょうがない。
「何か考えがあるんだろう?言ってみろ」
シェルダンはニヤリと笑って言った。存念があるから話題として切り出したはずだ。
リュッグが小走りで備品庫の中へ向かい、1枚の紙を持って戻ってきた。
「すいません。勤務時間外に、訓練が終わってから考えて書いたものです」
多少、勤務時間中の手が空いた時間も使ったに違いない。
リュッグ本人も気まずそうだが、シェルダンは指摘しないでおいた。つまらないことで部下のやる気を削ぎたくない。
「なるほど、手袋か」
シェルダンは地面に広げられた紙を見て、感心して声を上げた。
考案した手袋の絵と説明書きが子細に記載されている。要するに鎖帷子の手袋版を考えついたらしい。重騎士の篭手よりも此方の方が軽くて良いだろう。
「先日のウルフぐらいであれば、これで防ぎきれると思います」
リュッグが緊張した面持ちで説明を重ねる。
確かに鎖を巻いておけば、ウルフ始め小型の魔物からの攻撃は防げるだろう。
「だが、手の部分まで鎖で包むと物が持ちづらいな。それに音もうるさいから隠密行動が出来ない」
シェルダンは、リュッグの言う鎖手袋を生産し装着した場合のことを想定して問題点を指摘した。鎖鎌からして腕に巻かないのには理由がある。邪魔なのだ。
「それに、鎖は金属だから加工するのに手間も費用も高くつく。組織に案を乗せるとなれば、まず予算を指摘されるな」
アスロック王国であれば、あえて実用性が薄く、それでいて高くつく装備を考案して、予算を着服する上司が何人もいた。そのせいで軍服を染めることすらできず、白い軍服を着る羽目になったのだ。
「すいません。確かにそうですね。やっぱりダメかぁ。かさばらない装備で身を守れる良い考えだと思ったんですけど」
リュッグが心底、残念そうに言う。そうすると話し方の随所に年相応のものが見えてくるのもご愛敬だ。早くも諦めて紙を畳もうとする。