149 ゲルングルン地方の魔塔崩壊
なんとか間に合った。
シェルダンは思いつつ、崩れ行く魔塔を眺める。魔塔を望める森の中、他の部隊の者たちも一緒だ。数百人が森の中でざわめきつつも、一様に魔塔の倒壊を見つめていた。
傍らには救出した、名前も知らない少女を直に地面で寝かせている。ひどく弱っているが、急いで治癒術士たちの元へ連れていけば助かるだろう、と思う。
「これはまた、壮観ですな。そして、本当に良かった」
メイスンもひどく安堵した表情を浮かべていた。魔塔に視線を向けているから、今は、セニアたちが首尾よく聖剣抜きで勝利したことの方を喜んでいるのだ。
(それにしたって、これだけ生きたがっている娘を救えたんなら、悪くなかったな。あってもなくても同じの聖剣を届ける、なんてのより、よっぽどいい)
結果としては、聖剣オーロラをメイスンに気付かれて良かったのだと思う。
全体として、第2ディガー軍団には動揺が強く見られるものの、一度経験済みの第3ブリッツ軍団は落ち着いているように見える。
「隊長ーっ!」
大声がしたほうをシェルダンは向く。
ハンターが4人の分隊員を率いて駆け寄ってくる。ハンスにロウエン、リュッグ、ガードナー、誰一人として欠けていないことを、シェルダンは素直に喜んだ。
「ハンター殿っ!」
メイスンも大きく手を振って笑顔を見せた。
やはり仲間の無事は嬉しいのだ。かなり角が取れたように思う。
「ご無事でしたか、隊長、メイスンも。特命と聞いて心配しましたよ」
ハンターが代表して言う。日に焼けた顔が笑うとクシャクシャになる。
ただ、ハンターも他の分隊員達も、倒れている金髪美少女に気付いて、怪訝そうな顔をした。
「その娘は?隊長とメイスンの連れですか?」
もっともな疑問をハンターが口にする。
どう説明したものかとシェルダンは悩んだ。シェルダンからして、そもそもこの少女の名前すら知らないのである。メイスンも困り顔だ。
「ハンター副長、この娘、とても弱ってて危険です。とにかくはまず、治癒術士のところに連れて行ってあげないと」
意外にも助け舟を出してくれたのはリュッグだった。意味ありげに目配せをしてくる。
(なんでリュッグが?)
ただ、シェルダンの方は目配せの意味がさっぱり分からない。メイスンも同様らしく、首を傾げていた。
「よし、そうだな。細かいことは後だ。ハンスッ!ロウエンッ!お前らも手伝え」
ハンター副長の号令一下、ハンスとロウエンがどこからともなく担架を調達してきて、少女を丁寧な手付きで乗せた。
3人で治癒術士のたむろしている辺りへと運んでいく。
「あの娘、ペイドラン君の恋人のイリスさんですよね?聖騎士セニア様の従者の」
確認するかのようにリュッグが尋ねてくる。
なぜリュッグが知っているかはわからないものの、少女の身元と、名前がイリスらしい、ということが判明した。そしてやはり聖騎士セニアの関係者である。
「隊長、特命って言いつつ、ペイドラン君たちを助けに行っていたんですか?」
リュッグが嬉しそうに質問を重ねる。
なぜリュッグがこうもペイドランのことを詳しく知っているのか。シェルダンの頭は疑問符だらけだ。
「何?さっきからリュッグ、何を言ってるんだ?」
さすがにシェルダンも話の展開に思考が追いつかない。
メイスンも同様に目を白黒させている。
「だって、ペイドラン君の恋人を瀕死の状態で連れて帰って来たんだから、そういうことだろう、と思ったんです」
少年らしい語り口ながら、落ち着いて言葉を並べるリュッグ。どこか嬉しそうなのは、ペイドランへの懐かしさゆえだろうか。特に仲良くしている様子も無かったと思うのだが。
隣ではガードナーが拳を顎に当てて、珍しく悲鳴もあげずに考え込んでいる。
当然、まさかメイスンに言われて、聖騎士セニアに奪ってしまった聖剣を届けに行こうとしていたなどと言えるわけもない。このイリスという少女を拾ったのも偶然の産物だなどともひどく言いづらい。
「特命で魔塔の上の方へ上ったから、セニア様についてた、ペイドラン君たちを助けたんだとばっかり」
無邪気にリュッグが更に話を進める。
久しぶりにペイドランの名前をこんなに聞かされた、とシェルダンは思った。
「待て待て、リュッグ。なんでお前はペイドランを中心に、そこまでいろいろ詳しいんだ?」
戸惑うシェルダンを見て、メイスンがニヤニヤと笑みを浮かべ始めた。嫌な笑顔は見ないようにしよう、とシェルダンは決めた。
「僕の恋人、聖騎士セニア様の侍女で、ペイドラン君の妹なんです」
とても照れくさそうに恥じらって、リュッグが種明かしをしてくれた。
シェルダンにとっては、思いもよらない人間関係である。
(盲点だった。恋人がいるのは知っていたが、よりにもよってセニア様の侍女だったとはな)
衝撃の事実にすっかり面食らってしまうシェルダン。
思わぬところに、自分の生存をセニアに知られる端緒となりかねない人間がいた、ということだ。
「恋人がいるのか。リュッグ君もやるではないか」
そもそも恋人がいるとは知らなかったメイスンに感心されているリュッグ。
ちなみにシェルダンよりも年長であるが、メイスンには恋人がいた時期すらないらしい。剣が恋人、という人生だったのだろうか。
「た、隊長は本当に魔塔の上層で魔物たちと戦ったことがあるんですね。聖騎士様も、い、一緒に。す、すす、凄い人なんですね。メイスンさんも」
珍しく悲鳴無しでガードナーが言う。声にはただただ敬意が滲んでいる。本当に珍しい反応だ。魔塔上層に何か思うところでもあるのだろうか。
とても頷きたくないし、実際に間違っているのだが。
上手い返しがまた、シェルダンの中で纏まっていない。
「2人ともそれぐらいにしろ」
ふと、がらりと打って変わって厳しい口調でメイスンが言う。
「あくまで特命だ。私も隊長も口外を禁止されている」
意外にも、シェルダンを助けようとしてくれているようだ。2人をたしなめ始めた。
「特にリュッグ君、貴人の侍女殿と恋仲にあるなら、言動に気をつけ給え。迂闊な物言いもその子に迷惑をかけることになりかねないのだから」
ピシャリと正論を告げるメイスン。傲慢な様子もなく上手く話している印象だ。
「す、すいません。そうですね。シエラちゃんには、迷惑かけられないです」
注意を受けて、リュッグが縮こまる。いろいろ成長したな、と思わされる部分はあっても、なかなか変わらないところではあった。
「隊長が侍女殿と交際しているからと、ホイホイそのことを口外してはいないだろう。そういうことだ」
メイスンが上手く話を纏めてくれた。シェルダンがカティアとのことをあまり話さないのは照れくさいからというだけなのだが。
リュッグとガードナーも心做しか少し肩を落としてハンターらの方へと向かう。
「隊長、また、貸しですよ」
薄く笑ってメイスンが言う。
「すまんな」
どう答えたものか判断がつかず、シェルダンは言うに留めた。
「今回のセニア様の件。入りは最悪でしたが、同道出来て良かったと思います。改めて隊長のお人柄も、根っから悪い人間ではないと分かりましたから」
しみじみとメイスンが言う。意外にも一連のことを悪く思ってはいないようだ。
「俺は、とんでもなく悪い人間だと、思わせてしまった、と。そう思ったんだけどな」
シェルダンは苦笑して言う。
メイスンが首を横に振った。
「でしたら、あのイリスという娘を助けないでしょう。まぁ、許せないことも、いくつかはありますが。ただ」
言葉を切って、メイスンが首を傾げた。視線を泳がせて言葉を探している。
「色々と縛られている印象を私は受けましたよ。そして、隊長はそれを真面目に考えすぎて、かえって、おかしな方向へ進んでいる、とね」
労るような笑顔を向けられた。なんとなくレナートを思い出す笑顔だ。
「俺は俺で楽しくいつも生きている。それはお前たちのおかげだ」
心の底からシェルダンは告げた。更に続ける。
「あと、聖剣はお前が持っていてくれ」
おそらく、セニアが持つよりも今は良い。
不敬だとメイスンには怒られそうなので、シェルダンは言葉を飲み込んだ。




