146 倒れていた少女
短い休憩を終えると、メイスンはシェルダンの後に続いて更に駆ける。赤い転移魔法陣に至るとオーラをかけ直した。
第2階層を抜けて、第3階層へと至る。
(このような地勢もまた、物ともせずセニア様は攻略されたのか)
オーラを纏ったまま、メイスンは青空を見上げて感嘆する。林に沼地などが混在し、浄化されてなお、見るからに複雑な地形であり、死角からの奇襲が厄介であったろうと思った。
「だいぶ、入り口に近いところで、階層主を発見できたのだな。この地形なら、かなり運が良い」
シェルダンがメイスンの感嘆を台無しにするようなことを淡々と言う。つまり、あまり地形に煩わされずに済んだだろう、と言いたいようだ。
2人で第4階層への転移魔法陣へと接近する。
思いもよらぬものを見た。
「な、君っ!大丈夫かっ?」
慌ててメイスンは駆け寄る。
少女が1人、倒れていた。
金髪のとても可愛らしい娘だ。
細剣が脇に転がり、元は白かったであろう軽鎧が腐食している。一見して本人には大きな外傷が無いにも関わらず、顔面は蒼白で今にも息を引き取りそうな有様だ。
「この娘は?」
戸惑いを隠せぬまま、メイスンはシェルダンに尋ねた。
しげしげとシェルダンがしゃがみ込んで少女を観察している。ひどく厳しい顔だ。
「細かい経緯は分からん。が、セニア様の仲間だろう。やられたんだな。まだ息はあるが、かなり瘴気を吸っている。内臓が活動を止めて死のうとしているようだ」
シェルダンが淡々と説明してから顔を上げた。
「このまま放っておけば間違いなく死ぬな」
何食わぬ顔でシェルダンが断言した。
本当に人か、と尋ねたくなるような精神構造だ、とメイスンは呆れる。
「では、助けましょう」
迷わずメイスンは言った。
「それでいいのか?」
間髪入れずシェルダンからは迷わせるような質問が返ってきた。
「は?」
メイスンは虚をつかれて、さらに問い返した。
縛られていたセニアを、そのまま危険地帯で置き去りにした人物だ、とどうしても意識してしまう。
「第3階層をセニア様達は踏破したのなら、第4、第5階層の攻略はかなり速いだろう。さっき言ったとおり、グズグズしていると、セニア様に聖剣を送り届ける前に、魔塔の崩壊で潰される」
シェルダンが少女にまた視線を戻して説明する。心做しかかなり暗い声音だ。
「それに、この娘を助けたとして、激戦の中にあるセニア様のところへ弱ったこの娘を連れてくわけにもいかない。つまり、だ」
また、シェルダンが感情の読みづらい視線を自分に据えた。
「この娘を助けることと、セニア様に聖剣を届けてやることの両立は出来ない」
厳しい決断を迫られている、とメイスンは感じた。
シェルダンの言うことは正しいのだろう。今更、嘘をつく意味もない。
「では、どうすべきですか?」
尋ねる自分の声が別人のように掠れている。
「お前はどうしたい?」
また、シェルダンが訊き返してくる。ひどく困ったような顔だ。
この状況自体はシェルダンのせいではないのに、決断を自分に迫るシェルダンが憎たらしい。
「俺はお前に借りがあって、ついてきただけだ。行動の判断自体はお前が下せ。この娘を死なせてでも聖剣を届けたいならそれも良し。届けられなくなってでも助けたいなら、それも良し、だ」
眼の前に瀕死の少女がいるというのに、無責任な物言いをするシェルダンを、メイスンは殴りたくなった。
ぐっと堪える。まだ決定的に人でなしである、と決めつけられるようなことまでは言っていないからだ。
「もし、そういう貸し借りが無く、ご自分で判断するならどうしますか?」
メイスンは試すような気持ちでさらに掘り下げた質問をしてみた。
また、どうせ、どうでもいい、と言うのだろう。そうしたら思いっきり殴るのだ。
「当然、この娘を助ける。聖剣をセニア様は使いこなせない。つまりあってもなくても同じだ。そんな物を急いで届けるために、人一人が命を失うなんて馬鹿げてる。俺が決めていいなら、この娘を助ける」
極めて真っ当な答えがシェルダンからは返ってきた。少女に向ける視線もよく見ると心配そうなのだ。
メイスンはため息をついた。
(まったく、この人は)
口をむん、とへの字に結んで少女を見つめるシェルダンを見て、この上司の屈折に苦笑した。根が悪い人間ではないから屈折してしまったのか、とも思う。
「では、セニア様には申し訳ありませんが」
苦渋の思いでメイスンは決断した。
セニアとしても聖剣のために、仲間の少女が犠牲となることを良し、とはしないだろう。
「まぁ、なぜ、こんなとこで置き去りなのかは、俺にも分からん」
話が決まって安堵したのか、シェルダンが首を傾げる。やはり本音ではシェルダンとしては助けたかったのだろう。
今、考えてもしょうがないことだ、とメイスンは感じた。何か特段の事情があったのだろう。通常であれば仲間を見捨てるセニアではない。
「そんなことより隊長、どうやって助けるのです?第1階層の医療班にまで担いで連れていきますか?」
自分でも言っていて、メイスンは少女の息の弱さを思うにつけて、そこまで保たないだろうと思った。何らかの、この場での応急処置が必要だ。
「この娘の当座の危険は負傷じゃない。瘴気を吸ったせいで生きる力を奪われていることだ。つまり、あらゆる機能が徐々に衰弱して死に至る」
シェルダンが冷静に恐ろしいことを言う。ただ、恐ろしさだけを言って終わらないのがシェルダンでもあった。
「瘴気を払うのは法力だ。法力を身体に注ぎ込んで中から瘴気を追い出す。そして後は静養して少しずつ身体を回復させる」
しっかり治療法まで把握しているシェルダンに、改めてメイスンは敬意を抱く。
そして、この少女は本当に運が良いとも思った。
「私も隊長も法力持ちです」
シェルダンには知識が、自分には法力がある。
どちらが欠けていてもこの少女は死んでいた。
「俺は、すまんが、法力が足りん。助かるかはお前次第だ」
さすがにそこは心底すまなそうにシェルダンが言う。
やはり悪い人間ではないのだ。
「では、どうやるのか。教えて下さい」
メイスンは軍服の袖をまくって尋ねる。
「まずオーラ。全身に法力を漲らせる。そして口元に手を当てて、この娘に纏ったオーラを流し込め」
淡々と説明を連ねるシェルダンの言うとおりにメイスンはしていく。
手袋すら外した。魔物が出てこないというなら、集中するのにメイスンとしては邪魔である。
やがて少女の口に当てた法力が流れ始めると、呼応するように、悍ましい、紫色の煙が少女の体から立ち昇る。
「可哀想に。恐ろしいほど濃い瘴気だ。階層主にやられたんだな」
シェルダンがじっと少女を見つめて告げる。
「助かりますか?」
慣れない法力の操作をしながらメイスンは尋ねる。何か押し返されるような不思議な感覚に晒されていた。
「お前次第だ。押し返されてるぞ?しっかりやれ」
メイスンには上司として、そこそこに厳しいのである。
「もっと、法力を力の限り注げ。思ったより弱ってる上に瘴気も強い。ここまで生き延びた本人の頑張りを無駄にするな」
額に汗を浮かべながらシェルダンが言う。シェルダンも手を顔の辺りにかざしている。
「隊長?」
思わぬシェルダンの行動にメイスンは戸惑った。
「ないよりはマシだろう」
シェルダンもなけなしの法力を注ぎ込んでいた。
微々たるものなのだ、と今のメイスンには感覚で分かる。だが、助けたいという真摯な気持ちだけは伝わってきた。
「普通なら死んでる。本来なら助けも来るわけないのに、諦めず生き長らえていた。生への執念が尋常じゃない。死にたくない強い理由があるんだろう」
シェルダンがさらに言葉を重ねる。なけなしの法力より余程、力になる分析だった。
「そういう若い子は助けてやりたいじゃないか」
同感だ。自分は今、聖剣オーロラを持っている。聖剣ですら力を貸してくれているような感覚があった。
やがて、紫の煙が出てこなくなる。逼迫していた少女の呼吸も落ち着いた。すっかり浄化したのだ。
ふうっと息を吐いてメイスンは腰を落とした。何百回も剣の素振りをした後のような疲労がのしかかる。
「よし、と言いたいところだがどうするか」
シェルダンが珍しく迷っている。
「思ったよりかなり弱っている。それに」
ちらりと聖剣とメイスンをなぜかシェルダンが見比べた。
「すまん。まだ、お前一人ならセニア様の元へ間に合うかもしれん」
瘴気に対する治療などメイスンには何の見識もない。本来もっと時間がかかるものだったのだろうか。
いずれにせよ、メイスンの腹は決まっていた。
「今更ですよ。隊長の言ったことはそのまま、私と同じ気持ちでした。聖剣をセニア様が使いこなせない云々は納得いきませんが」
首を横に振ってメイスンはシェルダンに告げる。
「私が背負っていきます。せっかく助けたこの命をきちんと助けきってやりましょう」
メイスンは聖剣オーロラを腰に差し、少女を背負って第2階層への魔法陣のほうへと向かう。
「セニア様より余程、聖騎士らしく見えるのは、きっと俺の気のせいだよな」
何事かゴニョゴニョと呟くシェルダンの先に立ってメイスンは第1階層へと急ぐのであった。




