141 ゲルングルン地方の魔塔第3階層3
ゲルングルン地方の魔塔第3階層、階層主であるラビットウィッチを前にして、ペイドランは攻撃の隙を伺っていた。
敵であるラビットウィッチは、手下にしていたハンマータイガーを討たれたことに激昂している様子である。空中で地団駄を踏んでいるが。
(隙がない)
たらりとペイドランのこめかみを汗が流れる。
先に仕掛ければ簡単に反撃をしてくるだろう、と思えた。実に分かりきっている。
「このっ!こんなちっこい奴なら私だって!」
イリスが脇を駆け抜けて、木立を足場に一瞬で空中のラビットウィッチに迫った。跳躍して、細剣で突きかかろうとする。
身ごなしは軽快でありキレも良い。が、迂闊だ。
「いけないっ!イリスちゃん」
ペイドランは警告したが、遅かった。
ラビットウィッチが杖を掲げる。ラビットウィッチの周りだけ空気がたわんで歪むように見えた。
「キャアッ」
あえなくイリスが弾き飛ばされる。
歪んだ空気が見えない壁となったのだ。
近くの木に叩きつけられそうになるイリスを、ペイドランは我が身で庇った。直接、木とぶつかったのはペイドランの背中だ。
「ご、ごめん、ペッド」
申し訳無さそうにイリスが言う。
「大丈夫。でも、初見の敵に迂闊に飛びかかっちゃダメ。いきなり死ぬような攻撃、してくることもあるから」
イリスの無事にホッと安心しつつも、ペイドランは背中の痛みをこらえて注意しておいた。
「うん」
反省して、素直に頷くイリスが愛おしい。
イリスが弾き返されたのを皮切りにセニアとゴドヴァンもラビットウィッチに迫っていた。
(イチャつくのは、魔塔の外で、だ)
改めてイリスが視界に入る。頬を叩いて気合を入れ直している姿が可愛い。
(いや、この戦いが終わってからだ)
到底、待ち切れないのである。ペイドランは思い直して、飛刀を放つ。
イリスを弾いた歪んだ空気を狙ってみる。やはり飛刀も跳ね返ってきた。器用に自分めがけて、だ。
(そんなことだろうと思ってた)
跳ね返ってきた飛刀をペイドランは難なく避ける。
「ガッハッハッ、やるじゃねえか、兎娘!」
勝手に雌と決めつけて、ゴドヴァンが高笑いを上げていた。
いつの間にかラビットウィッチが地上に降りている。浮かんでいることにも魔力を使うから無駄を嫌ったのだろう。
振り下ろしたゴドヴァンの大剣による斬撃がぐにゃりと曲がった。
(やっぱり。周りの空気を操って、打撃とか斬撃とか、防げるんだ)
ペイドランが分析している間にも、盾で殴打しようとしたセニアが、弾き返されて尻もちをつかされていた。
「斬るのが駄目だから叩こうだなんて、ホント単細胞なんだから」
ボソリとペイドランは呟く。
今度から『単細胞女聖騎士』と陰口を叩いてやろう。
ラビットウィッチと目があった。まだ、警戒されている。
「くらえ、兎娘。ファイヤーアローだ」
熱気が肌を打つ。赤い魔法陣が中空に浮かび、クリフォードが炎の矢を放つ。
「ピピピピ」
ラビットウィッチが甲高い叫びとともに杖を掲げる。
緑の魔法陣が浮かび上がり、風の翼を象った。
炎の矢を風の翼がかき消してしまう。
「ほうっ、フェザーウインド。お前も古代魔法を。しかも無詠唱で。やるではないか」
攻撃を撃退されたのに、なぜだかとても満足気にクリフォードが頷く。
どこかで見たようなやり取りだ。
セニアとイリスが目配せして、ラビットウィッチを左右から挟み込んで、剣と細剣で襲いかかる。
「キャッ」
そして2人して性懲りもなく歪んだ空気の壁に弾き返されている。とんだ単細胞の主従だ。
ラビットウィッチも杖で2人を指し示して高笑いしている。
(でもあれ、全方位には、張れないんだな)
ようやく、完全に自分から注意が逸れた。
ペイドランは飛刀を2本放つ。穴の空いた特殊なもので、投げると高い耳障りな音を発する。
(もう1本)
数歩、横に飛んでもう1本、本命を放つ。
「ピッ」
我に返ったラビットウィッチが杖を一振りして、音の出る飛刀を風で叩き落とす。
本命の1本が背中に突き立った。
「ピイイィィィッ」
倒せるわけもないが、地団駄を踏んで悔しがるラビットウィッチ。
「ペイドラン君すごい」
セニアが立ち上がり感心して声をあげる。
じろりと胡乱な眼差しをセニアに向けてやった。シェルダンの真似である。
「セニア様、千光縛で動きを封じて、みんなで袋叩きにすれば、いつかあいつ、魔力が尽きます」
ペイドランはセニアに告げる。イリスが感心した、という表情を向けてくれた。
「あ、なるほど」
この人は一体何のために神聖術を習得しようとしているのだろうか。
ラビットウィッチに向き直った単細胞女聖騎士に呆れてペイドランは思う。
「千光縛」
セニアが光の鎖を放つ。
「ピッ」
ラビットウィッチも風の壁で全方位、自らを包み込んで防ごうとする。
「おらあっ」
ゴドヴァンが大剣を振りかぶって斬りかかろうとする。
「ゴドヴァン様、今、斬りかかっても無駄ですっ」
セニアが光と風での押し合いをしつつ叫ぶ。
まったく無駄ではない、と飛刀を構えつつペイドランは思う。
「ぐおっ」
あえなく一際分厚くなった風に弾かれてゴドヴァンが尻もちをついた。
その分、他が薄くなり、風の壁に穴が空いた。
すかさずペイドランは飛刀を放つ。1本が穴を抜けて、肩に突き立った。
「ピイッ」
手傷を負って力が抜けたのか。風の壁が解けて、光の鎖に束縛される。
「よし、みんな、でかした」
クリフォードが中空に赤い魔法陣を作っていた。かなり大きい。
「まさか」
嫌な予感がして、ペイドランはイリスを抱えてクリフォードのいる位置にまで下がった。
「ちょっと、ペッド、どうしたの?」
戸惑うイリス。セニアやゴドヴァンも大慌てで下がっていた。
「獄炎の剣」
クリフォードが静かに告げる。
光の鎖で動けないラビットウィッチの小さな体を呑み込む炎の剣。
「ひ、ひええぇ」
獄炎の剣を初めて見るイリスが震え上がる。
あのまま、ラビットウィッチの直近にいたら巻き添えだった。
「殿下っ!獄炎の剣であれば撃つ前に仰ってください。皆が燃えてしまいます。お忘れですか?」
セニアがこっぴどくクリフォードを叱りつける。忘れた云々はシェルダンの話だろう。
「いや、すまない。獄炎の剣は凄まじい魔力を振るうから一種の高揚感というか、万能感が生じてしまうんだ」
すまなそうにクリフォードが言う。
そんな恐ろしい術ならば、今後は禁止したいぐらいだ、とペイドランは思った。
「セニア様、いちゃついてないで、閃光矢ですぐ核を射抜かなきゃダメです」
ペイドランは単細胞女聖騎士に注意した。
獄炎の剣が作った焼け跡にコロンと小さく禍々しい黒い玉が転がっている。
「あ、ごめんなさい」
セニアが光の矢を放って核を砕いた。
青空が広がる。
「はぅぅっ」
イリスが草の上にへたり込んだ。
「キッツい。魔塔攻略ってこんな辛いんだ。まだやっと半分?」
心配になって駆け寄ったペイドランにイリスが尋ねる。
他の人達も疲れたのかルフィナ以外はその場に座り込んでいた。
「第5階層は祭壇になってて魔塔の主がいるだけらしいから。実質はあと1つだよ」
ペイドランはドレシアの魔塔でのことを思い出して告げる。安心させるつもりだったが、イリスは浮かない顔だ。
「でも、そいつだって、めちゃくちゃ強いんでしょ?少なくともあの兎の魔女より」
実際に遭遇してみるまで分からないことだ。もちろん楽観もできない。
ペイドランは曖昧に微笑むしかなかった。
「皆、凄いよ。もちろんペッドもだけど。ゴドヴァン様やルフィナ様は当たり前で。セニアも。クリフォード殿下もこんなに強いなんて思ってもなかった」
しみじみとイリスがこぼした。
ふと、ペイドランは嫌な気分に襲われる。
イリスだけは純粋に戦闘能力だけを買われて参加しているのではない。セニアの従者だから付き合わされ、ペイドランの恋人だから参加する運びとなったのだ。
腕は立つし、身のこなしも素早いが、特に巨大な魔物には華奢な体躯が不利となる。攻撃手段もない。
(だから、俺が守ってあげたい。でも、今ならまだ)
ペイドランは不意にイリスがどうしようもなく愛おしくて、ギュッと抱きしめてしまう。
「どうしたの?ペッド、急に。嬉しいけど、こんなとこで」
戸惑いつつもやはり愛情を込めて尋ねてくるイリス。
「イリスちゃんは無理せず引き返しても良いと思う。ここまで来たから俺、逃げないし。クリフォード殿下だって」
納得させられる。いたずらに死なせるのはクリフォードも良しとはしないだろう。そこまで人非人ではないのだ。配慮はいつも足りないのだが。
「バカね。第1階層、一人で抜けるのもキツいわよ。ジュバってやつと一人で出食わしたら私、死んじゃうかも。それに何より、ペッドもセニアも私、置いてけないよ。力になりたいから、頑張るわよ」
いじらしくも言い切ってくれるイリス。
ペイドランとしては頑張らなくても良いから、しっかりと生き延びてほしいのだが。明快に今のイリスに伝えられる言葉をペイドランは思いつけなかった。




