14 侍女とのデート3
シェルダンは慌てて残りの冷めたコーヒーを飲み干した。
「次はお買い物と聞いておりますが」
今度は楽しげに、カディスから聞いた自分の話を、自分が披露されかねない。
カティアが苦笑して立ち上がった。
「慌てなくともシェルダン様には不満も何もないから意地悪はしませんわよ?」
なにか企んでいるような、そんな表情を浮かべて言うのである。それでもカティアの顔は美しい。シェルダンは自然と目を逸らしてしまう。自分には過ぎた相手だ、としか思えなかった。
まだ、夕方まで間がある時間帯だ。夕食まで一緒にとる予定である。弟のカディスはカディスで独特であり、今日のプランについて何度も確認をされた。
2人でルベントの商店街を歩く。特にどこの店、という予定があるわけでもない。カティアが興味を惹かれた店に逐一入ってみる。雑貨品や装飾品など片端から。
「ごめんなさいね。シェルダン様を付き合わせてしまって。でも、私、住み込みで働いているから、なかなかこういう所を歩く機会もなくって」
カティアが申し訳なさそうに言う。
どうやら日常的にカディスと家で顔を合わせていたわけではないらしい。
(では、一体、どうやってあれだけの連携をとっていたんだ?)
自分を追い詰めるまでのカディスの話し方を思い出してシェルダンは震え上がってしまう。念話の魔術でも使えるのだろうか。
「シェルダン様?」
カティアが不審そうに自分を見上げていた。両手には買い物袋を提げている。いつの間に購入したのか。
さりげなくシェルダンはカティアの両手から購入した品を受け取る。
その後にも購入した商品を、シェルダンはすべて受け取った。あまり嵩張るものもなく、うまくまとめれば片手で持てる程度である。両手を塞がないよう気をつけるのは習慣のようなものだ。
「ごめんなさいね、重たくないかしら」
言いながらもカティアの目は右へ左へと商店街の店舗を確認している。
「大丈夫ですよ」
シェルダンは苦笑して答える。
その後、日も暮れて、レストランに寄って夕食を食べた後に、セニアのいる離宮までカティアを送る途中で厄介事が生じた。
「尾行されてますね」
シェルダンは幸せそうな顔のカティアに告げる。
あまり上手な尾行ではない。なんなら何度か振り向いたところ数人の男が見えたほどだ。
さすがにカティアも顔を強張らせる。
「私ごときに気付かれるようでは。大した者ではなさそうですね」
安心させるつもりでシェルダンは告げた。諜報員でも何でもない、一介の軽装歩兵に過ぎぬ自分である。相手も素人に違いない。
まだ離宮までは距離があり、街灯のない暗い道だ。脇道も多い。尾行している人間の他に、前方へ回り込んでいるものもいるのだろう。
「おい、待てよ」
果たして5人ほどの男たちに行く手を塞がれた。
予期していたのですぐに立ち止まり、シェルダンは間合いを確保する。
「その女を置いて帰れ。そいつ、クリフォード第2皇子のとこの女中だろ?」
真ん中にいる貴族然とした男が言う。青髪、色白の男だ。痩せていてひょろりとしている。荒事に向いていそうには見えない。
「知り合いですか?」
そっと囁くようにしてシェルダンはカティアに尋ねる。
後続の5人も追いついてきて、合計10人に囲まれた格好だ。
「ゲイル伯爵ですね。あまり出来の良くない方で第1皇子派の中でも無能な方ですわ」
はっきりとカティアが言い切った。相手を見て緊張もなくなったらしい。
「私をなぶればクリフォード殿下への嫌がらせになる、とでも思ったのでしょう」
日中は人目があり、手が出せなかったのだろう。日が暮れて人目もなくなった今を好機と捉えたようだ。
「おい、聞いてるのか!とっとと女を置いて去れ!それとも痛い目を見たいか?」
どうやらシェルダンに言っているらしい。
返事代わりにシェルダンは上着をたくし上げた。
「では、遠慮する必要もないですね?」
一応、カティアに確認をする。
「ええ、どうぞ。多分、死なせても問題はないかもしれない程度の人ですわ」
カティアの返事と同時、鎖が風を切る音が響く。
「ぎゃぁっ」
脛に鎖分銅の一撃を受けた者がうずくまった。軽く、足の骨ぐらいは砕いている。
「何っ、こいつ!」
敵は残り9人。全員短い刃物を持っている。
対するシェルダンは一人だが得意の武器を隠し持っていた上に現職の軍人だ。
「カティア殿は退がって、私の後ろから出ないように」
シェルダンは口早にカティアへ告げた。鎖の回転に巻き込まれて、鎖分銅が当たってしまう危険性がある。
カティアがシェルダンの背後に引っ込む。
鎖を小さく風車のように回す。
次から次へと男たちの足を砕いて無力化していく。
残すはゲイル伯爵本人、ただ一人となった。
「な、なんなんだ、貴様は」
ゲイル伯爵が倒れた手下たちを眺めて驚愕もあらわに尋ねる。
「分かりませんか?見ての通り、私の恋人です」
カティアがわざとうっとりとした表情を作り、シェルダンを見上げてくる。さすがにまだ一度会っただけの相手だ。
否定の説明をしようとシェルダンは思った。
「私にはあなたのような恋人がいると。そう思わせるだけで抑止力になります。あわせてくださいね」
囁くような声音でカティアがそっと耳打ちをする。
(合わせるとは、何をどうすれば?)
シェルダンは戸惑いを隠せない。
とりあえずゲイル伯爵の脚にも鎖分銅を叩きつけた。
「ぐああああっ」
脚を押さえて、ゲイル伯爵が地面をのたうち回った。随分とみっともない有様だが、本当に貴族なのだろうか。アスロック王国のきちんとした貴族ならば脛が折れてもやせ我慢して立っている。
(いや最近は腐ったので、その限りではない、か)
シェルダンは即座に思い直すのだった。
「他のときならばともかく、よりにもよって、この人とのデート中を襲うからそうなるのですよ?」
一応、正解だったのだろうか。
とても満足げな笑顔を浮かべ、カティアがゲイルを見下ろして言う。
「とりあえず、全員、憲兵に引き渡しましょう」
シェルダンは言いながら1名ずつ、こういうときのために持っていた紐縄で縛りあげる。
「憲兵を呼ぶまでの間に逃げられるかもしれないわ。埋めちゃう?」
クスクスと笑いながら、からかうようにカティアが言う。
盗賊を捕らえたときのやり取りをカディスから聞いていたのだろう。
シェルダンはわざとしかめっ面を作って見せる。
「この石畳を砕いて穴を掘るのは非効率的過ぎますね」
最後の一人、ゲイル伯爵にシェルダンは取りかかる。
「やめろっ!兵士ごときが私に怪我をさせて縛り上げるだと?ただでは済まさないぞっ」
ゲイルの苦し紛れの絶叫。
シェルダンは縛る手を止めた。
「シェルダン様?」
カティアが訝しげな顔をする。
相手は仮初にも貴族、伯爵であり、自分やカティアよりも上の身分の人間だ。縛り上げて憲兵に引き渡そうなどと安直だったかもしれない。
「確かに、貴族様に怪我をさせたとなれば、よろしくないかもしれませんね」
怪我をさせた事実は今更どうにもならない。カティアを拐かそうとしたのだから正当防衛とも言えるが。どこまで通るだろうか。賂を使われれば正論など吹いて消える、儚いものだ。
「そうだぞ、大人しくその女を置いていけば」
ゲイル伯爵が倒れたままの姿勢で叫ぶ。
「で、あれば、喉を掻っ切るしかないですかね」
生かしておくと危険だ、という結論にシェルダンは辿り着いた。後日、逆恨みしてカティアに何をするか知れたものではない。今日のようにいつでも自分がそばに居られるわけではないのだから。
カティア本人がぷっと吹き出している。
「な、なに」
ゲイル伯爵の顔面が凍りついた。
「この石畳では生き埋めにも出来ませんが、幸い鎌はありますのでノドを掻っ切って命を絶つこととしましょう。死んでからどこぞに埋めれば良いのです」
シェルダンは落ち着いた口調でカティアに告げた。カティアには横を向いて貰うか席を外してもらうしかない。
再度、鎖鎌を解く。
「どうせ、既に動けませんし、生きていても死んでいても変わりはないでしょう」
第1皇子と第2皇子クリフォードの争いがどうなっているのか。シェルダンの立場では知る由もない。
「ふふ、やっぱりろくな事を考えつかないんだから」
カティアが微笑んで言う。
シェルダンは首を傾げた。今の自分の話に笑うべき要素が、どこかあったのだろうか。
「大丈夫、ゲイル伯爵は、伯爵とは名ばかりですから。第1皇子派の中でも小者ですわ。今回のことも独断でしょう」
ひどい言われようだが、ゲイル伯爵本人がこくこくと頷いている。
「アスロック王国では、犯罪者を捕らえても袖の下ですぐ釈放されてしまうのですよ。その場で殺すしかなかったのです」
気まずくなって、シェルダンは言い訳をした。
「弟から聞いていますよ。捕らえた20人近い盗賊を生き埋めにしようか本気で悩んだんでしょう?」
いたずらっぽいカティアの言葉を受けて、ゲイル伯爵がまるで魔物を見るような視線をシェルダンに向けてくる。
「も、もう手を出さないと誓う。頼むから憲兵に私らを引き渡してくれ」
少しやりすぎたかもしれない。
シェルダンは石畳の上に信号弾の筒を置いた。軽く魔力をこめて発射する。閃光を見れば、事件の内容まではわからなくとも憲兵たちが駆けつけるだろう。
「あら、そんな便利なものがあるなら、埋めるとかノドを掻っ切るとか悩む必要はなかったんだわ」
カティアが憮然とした顔をする。
「報復云々をどう防ぐのか、という段階のお話だと思っていましたが。私は」
一度くらいはカティアの予想を上回れたというなら御の字だ。なんとなく今日は翻弄されてばかりだった気がする。
「私ね、夫婦の間では隠し事は無しでいきたいの」
ふっと身を寄せてカティアが囁いてきた。
「ふ、夫婦?」
シェルダンは予想さえしなかった単語の返しに動揺してしまう。
カティアがクスクスと笑って身を離す。からかわれていたようだ。
「全く、冗談でも軽々しくそういうことを言うものではないですよ」
むっとしてシェルダンはたしなめた。
カティアが何か言おうと口を開く。
「何事ですかっ」
憲兵たちがなだれ込むように集まってきた。
結局、憲兵たちの事情聴取に応じ、クリフォードにカティアを保護してもらうまで、夜半近くまで時間がかかってしまった。