138 ゲルングルン地方の魔塔第3階層2
目が覚めてペイドランは腹の辺りの重さに気づく。
イリスが突っ伏して眠っていた。そっと、イリスを起こさないように、と思いつつペイドランは上体を起こす。
「あ」
ペイドランが上体を起こしたことでイリスも目を覚ます。起こしてしまったことをペイドランは申し訳なく思った。
「おはよ、もう大丈夫?」
イリスに言われてペイドランは自分の体を確認する。肋の痛みも疲れもほとんど取れている。
「うん、心配かけてごめんね」
回復させてくれたのは実際にはルフィナだろう。当人は涼しい顔で何やらゴドヴァンといちゃついているが。外の見張りはいま、セニアとクリフォードがしているのだろう。
「ねぇ、ペッド、もう止めよ。死んじゃうよ」
耳元でイリスがそっと言う。
「俺たち、ここがこういう場所だって分かってて、来ることにしたんだよ。俺、絶対に死なないから、頑張ろう」
ペイドランは微笑んで告げた。
自分達が手を引くことを、セニアやゴドヴァン、ルフィナはともかくとして、クリフォードが呑むとは思えない。
(それに多分、セニア様を見捨てたら後ですんごい気にしそうだし)
今は自分の方を心配してくれているイリスを見て、ペイドランは苦笑した。イリスに後悔をさせたくないのである。
ペイドランの苦笑いを見て、曖昧な表情でイリスが頷いた。
「おぅ、もう話し合いは終わったのか?」
ゴドヴァンがニヤニヤ笑って言う。声を落としていても全部聞こえていたはずだ。
「すいませんでした。もう大丈夫です」
ペイドランは言い、立ち上がった。
イリスがすかさず肩を貸そうとする。過保護すぎて、ついペイドランは笑ってしまった。
「体の方はもう大丈夫だよ」
ペイドランに言われて寂しそうな顔をするイリス。
(セニア様が甘ったれになったの、半分ぐらいイリスちゃんのせいかも)
心の内側でペイドランは苦笑いした。
「よし、なら外にいる殿下たちとも、ちょっと話をしよう」
ゴドヴァンの言葉で4人も外に出る。
ちょうどセニアが閃光矢で蛇の魔物を仕留めたところだった。
「ペイドラン君、もういいの?」
セニアも心配そうに言う。イリスに睨まれているが。
今までにも何度かイリスがセニアを警戒しているような素振りを見せていた。おそらくアスロック王国時代から骨抜きにされた男を何人も見てきたのだろう。
(心配しなくてもイリスちゃん一筋だよ、俺)
くすぐったい気持ちを抑えてペイドランはセニアに黙って頷いた。
「でも、階層主、見つからなくて。もう一回、探索しなくっちゃです」
自分で言っていて、もう一度、あの探索をするのは正直、ペイドランも気が重い。
「いや、ハンマータイガーがいたのだろう?ゴドヴァン殿たちから、かなり強力でよそでも階層主たる魔物だと聞いているよ。そいつじゃないのかな」
クリフォードが訝しげに尋ねてくる。
言われてみればそのとおりだ。何なら自分は殺されかけたのである。
(俺、なんでハンマータイガーを階層主だって思えなかったんだろ)
ペイドランは首を傾げる。
嫌な気配を、探索を始めたときに感じた。きっとあの感覚もハンマータイガーだと考えるべきだ。撃退してから感じなかったのだから。
ただ、根拠のない違和感が消せない。
「そう、ですよね。確かに。それならむしろ好都合なんです。俺、右目に怪我させてやったから」
頷くも確信をペイドランは持てずにいた。
「もし、違ったとしても、ハンマータイガー相手じゃ、ペイドランも分が悪いと思うから。一度、遭遇した場所まで全員で行くべきよ」
取りなすようにルフィナが言う。
イリスがホッとした顔をする。単独行動をされると心配でしょうがないからだろう。
「そうですね。ただ、ゴドヴァン殿とルフィナ殿はそのハンマータイガーは階層主と見ますか?」
クリフォードがさらに尋ねる。
「分からん。とりあえず倒してみるしかねぇな。ハンマータイガーが階層主ならむしろ俺にとっては好都合だな。最悪、俺とルフィナの2人だけでも勝てる相手だ」
ゴドヴァンが隣で頷いているルフィナを見て言う。
「じゃあ、俺、天幕片付けて皆さんを案内します」
ペイドランは言い、天幕を片付けた。これまでと同じくイリスが手伝ってくれる。
「でも、良かった。無事に帰ってきてくれたし、みんなと動いていれば、きっと安全よ」
天幕の布を畳みながら、安堵をあらわにしてイリスが言う。
甘い、とペイドランは思った。口には決して出せないのだが。全滅することも起こりうるから、シェルダンや自分のような存在が必要なのだ。
「それにしても、ハンマータイガー相手に生還して手傷まで負わせたの、偉いわよ。強くなったのね」
出発する直前になって、ルフィナが褒めてくれた。
頭をヨシヨシと撫でようとする。
子供扱いをイリスの前でしないでほしい。サッとペイドランは身をかわした。
「そうだな、違ったらまた、探せばいいんだ」
ゴドヴァンがそのさまを見て、ニヤニヤと笑う。
全員でペイドランがハンマータイガーを見つけた場所へと向かった。
拠点としていた場所から数時間ほどの林である。
また、嫌な気配を感じた。
(あの鳥の群れ、なんか見下されてるみたいで嫌だな)
ペイドランはなんとなく思うのであった。
嫌な感じこそするが、鳥の群れなど脅威になるわけもない。
「なんか、気味悪い」
イリスがボヤいた。頬を伝う汗を拳で拭っている。
「こういうとこほど、危ないから気をつけなくちゃ駄目だよ」
ペイドランはいざとなったらイリスを守れるよう、すぐそばについていた。
見覚えのある木立に至る。まだ、木片が散らばっていた。
「来たな」
嬉しそうに笑ってゴドヴァンが抜き身の大剣を構える。
唸り声がした。思ったときにはもう、巨体に似合わぬ俊敏な動きでゴドヴァンがハンマータイガーの打撃を大剣で受け止めていた。
「あら、右目に怪我、してないわよ。別な個体かしら」
ルフィナが重要なことをしっかり見て取って告げる。
一方でペイドランも別の大事なことに気付いた。
「でも、背中のたてがみみたいな黒いとこ、俺の飛刀が引っかかってます」
指さしてペイドランは告げる。
「二人とも、そんなことよりまず目の前の敵を倒しましょう」
セニアが剣を抜いて言う。結果次第では数頭いるのか単独なのかが変わってくる大事なことを「そんなこと」呼ばわりである。
ゴドヴァンが激しくハンマータイガーと打ち合っている。
「よし、私が丸焼きにしてくれる」
クリフォードが炎魔術の詠唱を開始した。
中空に赤い魔法陣が浮かび上がる。
ハンマータイガーも自分の危機に気付いた。まっすぐ後ろに跳んでゴドヴァンと距離をとり、クリフォードを狙おうとする。
「させない」
セニアがハンマータイガーの前に盾を構えて立ち塞がる。
いかにセニアでも腕力ではハンマータイガーには敵わない。
あっさり前足で盾越しに殴打され、ふっ飛ばされていた。
「くうっ」
セニアが飛ばされながらうめき声を漏らした。
「よくやった、さすがセニア殿だ」
ハンマータイガーを目前にして、余裕の笑顔をクリフォードが見せた。
ペイドランも感心はしている。
セニアの千光縛、光の鎖がハンマータイガーをギチギチに縛り上げていた。
熱気が肌を打つ。
「ファイヤーアローだ」
クリフォードが右腕を振り上げて下ろす動作をして、炎の矢を放った。
炎の矢が、容易く束縛されて動けないハンマータイガーを射抜いて、焼き尽くす。
「やった!」
イリスが喜んで飛びついてくる。ルフィナの近くに居て他の魔物から守っていたのであった。
自分含めて、イリス以外はみな、浮かない顔だ。
「核がないわ」
セニアがハンマータイガーの燃えかすを見て告げる。
ただ焦げ臭いだけだ。階層主ではなかった。
「ま、そう簡単にはいかないよな」
ゴドヴァンも苦笑いしている。
嫌な気配を感じた。バッとペイドランは背後を振り向く。
鳥の群れ、直近の樹上付近にまで降りてきていた。
「セニア様、あの鳥たちを閃光矢で撃ち落としてください」
自分も飛刀を放ちつつ、ペイドランは依頼する。
即座に遠距離攻撃ができるのは自分以外ではセニアの閃光矢ぐらいなのであった。
10数羽程を撃ち落とすと、それが姿をあらわす。
「なるほど」
ゴドヴァンが前に出て言う。
鳥が姿を消すと、白い毛並みの魔物が空中に仁王立ちしていた。
背丈は人間の子供ぐらい。手には、捻れた木の杖を持つ。二本の長い耳がピンと立っていて一見して、身につけている黒いローブとも相まって、兎の魔女だ。
「ハンマータイガーを治したのはこいつで、やっつけたから怒って出てきたんだ」
ペイドランは、自分たちを憎しみに満ちた目で睨みつけてくる様子からそう類推した。
「ペイドラン、こいつは何て魔物だい?」
クリフォードが尋ねてくる。
ペイドランも知らない。レイダンの冊子にも載っていなかった。
「分かりません、でも兎の魔女ですね」
ペイドランは首を横に振って答えた。
「さしづめラビットウィッチとでも言うべきかしら」
セニアも同じ印象だろう。フォックスウィザードやラクーンマジシャンと同種の魔物だ。
「凄みがまるで違う。こいつが階層主だな」
ゴドヴァンの言うとおりだろう、とペイドランも思った。
「ええ、探す手間が省けましたね」
不敵な笑みとともにクリフォードも相槌を打つ。
ペイドランもまた危ない探索をしてイリスに心配をかけずに済んで良かった、と思うのであった。




