130 ゲルングルン地方の魔塔第1階層1
ペイドランは整列する第2ディガー軍団の中にあって、そびえ立つゲルングルン地方の魔塔を見上げる。
今でこそ鎮圧されているが、連日、魔塔からあふれた魔物と、先着していた第3ブリッツ軍団との間では、戦闘が繰り返されていたらしい。
到着する3日前にも、ジュバという巨大な魔物を討伐した、という騒ぎがあったと聞く。レイダン・ビーズリーから貰った冊子にもあった、巨大な馬の魔物であり、難敵だ。なんとなく第7分隊でサーペントを倒したときを、ペイドランは思い出す。
(リュッグのやつ、大丈夫かな)
もしかしたら義弟となるかもしれない、元同僚に思いを馳せる。あのときは、本当に手のかかる同僚だった。実戦を苦手としていたからだ。今も多分あまり変わらないだろう。それだけに義兄ではなく、義弟のはずだ、とも思うのだった。逆ではなんとなく嫌だ。
(それにしても、大きいな。瘴気で、こんなに違うんだ)
輪郭が漠然としていて、正確な大きさなど測りようもないが、ドレシアの魔塔で受けたものからより、大きな威圧感をペイドランは受けた。
クリフォードが壇上に立って、何やら檄を飛ばしている。あまり耳にも入らないし、心にも響いては来ない。謝罪はあの後、クリフォードからもされて、一応、受け入れてはいるのだが。
そんなことよりも第2皇子の隣に立つセニアの、半歩後ろに立つイリスが可愛い。水色のシャツの上に白い軽鎧を身に纏う。いかにも身軽そうな剣士の装いだ。つんと、澄ましている顔にペイドランはつい、見惚れてしまう。
(まだ、怒ってますからね)
セニアに視線を移して、ペイドランは思う。
本当はあの日、イリスに改めて告白するつもりだった。気障なことを口走ってしまったことはあっても、明確に『付き合ってください』で始まった交際ではなかったからだ。
けじめとして、大枚はたいて指輪まで買って。ついていた宝石は、透明な宝石でダイヤというらしい。びっくりするぐらい高価だった。
(セニア様が泣き落としにきたから、台無しになったんですからね)
ペイドランは苦笑する。あまりの間の悪さに笑うしかなくて、許してしまった、というのが、あのときのペイドランの、本当のところであった。
指輪はまだ軍服のポケットにしまってある。魔塔攻略後、無事だったなら。改めてプロポーズしようと決めていた。
「ドレシア帝国に栄光あれっ!」
クリフォードが炎を纏った拳を振り上げて叫ぶ。
(恒例にでもするつもりなのかな)
ペイドランは冷めた目でクリフォードを眺めつつ、周りに合わせて拳を突き上げた。
自分の心情とは裏腹に、第2ディガー軍団、第3ブリッツ軍団ともに、高揚して、士気も高まっているようだ。
(やっぱりクリフォード殿下とセニア様、並ぶと絵になるもんな)
ペイドランは思い、さらに、あの情けない泣き落としの姿を思い出し笑ってしまった。
「よし、いくぞ」
カディスの掛け声とともにペイドランも駆け始めた。
大きな声で指示を飛ばすシェルダンとは異なり、カディスのほうは静かに告げる。指揮をする人間にも個性は出るのだ、とつくづく思う。
「確かに、ものすんごく、可愛い娘じゃないか」
薄く笑ってカディスが告げる。
「へ?」
思わずペイドランは間の抜けた声を上げる。
「イリスちゃんだよ。あのセニア様の後ろにいた金髪の娘だろう?確かに、ものすんごく可愛いじゃないか」
くっくっと笑ってカディスが言う。言い方も嫌な言い方だ。
しかし、なぜバレた。
ペイドランは、どう言っていいものか分からず混乱してしまう。
「セニア様に、お前が見惚れるわけはないからな。その後ろにいた女の子をじっと見ていたんだろう?つまり、あの娘が、ものすんごく可愛いイリスちゃんだな」
相変わらず無駄に察しの良い男である。察しの良さの無駄遣いだ。
「隊長、他に何か楽しいことないんですか。いつも、イリスちゃんとのことで、俺をからかってばっかりいて」
じとりとした視線をペイドランはカディスに向けた。
カディスが走りながら首を傾げる。少し考える顔をした。
「ないな。あとは美味いものを食って、ひたすら眠るだけだ」
あまりに面白みのないカディスの人生に、ペイドランは心底同情した。イリスと出会う前の、大の字になって寝る以外、楽しみのなかった自分と同じではないか。
(むしろ、それ以下だ)
残りの時間は全て仕事に費やしているのだろう。
「しかし、魔塔となると、シェルダン隊長を思い出すな」
いよいよ魔塔にポッカリと口のように開いた入口に駆け込みながら、カディスが告げる。
先行している第3ブリッツ軍団に続く格好だ。先頭は第3ブリッツ軍団の軽装歩兵部隊、次に第2ディガー軍団の軽装歩兵、さらに両軍団の重装歩兵軍団に、魔術師軍団が続くという順番である。
視界が暗くなるも完全な暗闇ではない、微妙な感覚である。
前方から戦闘の気配が伝わってきた。
「もう、始まっているな。本当に思い出すよ。この入口でも魔塔から溢れ出ようとする魔物と出くわすことがあると、言っていたよな」
しみじみと言うカディスの顔ぐらいはペイドランにも見える。油断はしていない。真剣かつ強張った表情をしていた。
先の方からは剣撃の音が聞こえてくる。
「ドレシアの魔塔では瘴気が少ないとかで、手入れも進んでいたから、この入口では結局、襲われることはなかったが、ここは違うようだ。気を引き締めなくてはだな」
カディスの言うとおりだ、とペイドランは納得した。
ただ、先を走るのは第3ブリッツ軍団だ。後続のペイドランたちのいる第2ディガー軍団が入口内で敵と当たることはなかった。
一旦下って、また上がる。
闇の中を抜けると薄く灰色に曇った空が広がっていた。遠目には山も見える。周りは開けているがところどころに木立や籔。
ゲルングルン地方の魔塔第1階層は山地であった。
「惚けるな。全員、抜剣」
カディスが短く告げる。
早速、木の間から飛び出してきたバットをカディス自ら切り倒した。第7分隊では目立たなかったが、カディスも片刃剣を上手に振るう。強いというより、剣を振るのが上手なのだ。
「ペイドラン、クリフォード殿下と話はついている。お前は単独で殿下たちと合流しろ」
カディスが大声で言う。殿下の命令だと公言することで周囲の理解も得やすくなる、という配慮だろう。
「はい、ありがとうございます」
ペイドランは申し訳なく思いつつも、礼を言い、隊を離脱することとした。
「気を付けてな。イリスちゃん、ともども絶対に死ぬんじゃないぞ」
すれ違いざま、かけられたカディスの言葉に、ついペイドランは涙ぐむ。少し冷やかすような調子だったのも気にはならない。
「隊長たちもお気をつけて」
言葉だけを置いて、ペイドランは駆け去る。
振り切るように軽装歩兵部隊の中を駆け抜けて、やがてペイドランは一人になった。
(もう、魔物が出るのか)
林の中に入ると、5体ほどのスケルトンに襲われた。カタカタ骨を鳴らすので、不意を襲われることはない。
立て続けにペイドランは飛刀を放つ。
なんとなくで狙った骨を飛刀が直撃した。スケルトンたちは力無く崩れ、ただの骨片となった。
(核骨ってのを壊せばいいって、レイダンさんの冊子にあったけど)
自分は勘が鋭いらしい。なんとなく、で昔から相手の急所や弱所が分かるのだ。
周りに敵がいなくなると、木立の中に身を潜めて、ペイドランは背嚢の中身を確認する。準備が勝負、とはよくシェルダンにも言われていたものだ。
ノートに鉛筆、懐中時計、非常用の聖なる香木などドレシアの魔塔でシェルダンに言われた必需品たち。更にペイドランは腰に2本だけ他とは違う短剣を差した。
「よし」
腹の辺りを軽く叩いて、ジャラジャラと音を鳴らし、鎖が巻いてあることも確認する。
準備万端だ。ペイドランは大きく息を1つ吐いて、クリフォードらとの合流を目指すのであった。




