127 露払い1
ゲルングルン地方とラルランドル地方の境に第1ファルマー軍団が広く展開し、アスロック王国軍からの攻撃に備えている。
一方、第3ブリッツ軍団は魔塔の見える森林地帯に駐留していた。重装歩兵、軽装歩兵、魔術師軍団に分かれてはいるものの、全体としては緩く、細かい配置を指定されてはいない。
(さて)
シェルダンはゲルングルン地方の魔塔を見上げる。
腰が軽い。今回は流星鎚の入ったポーチの帯革を巻く必要もないからだ。
「でけぇな」
ハンスがいつものように思ったままを口にした。
余分ごとの戦闘をしたことで、遅い到着となってしまった第7分隊は、陣営の外縁部に滞在している。
魔塔付近に配置された、ということは、第3ブリッツ軍団が魔塔攻略に当たるということだ。前回のドレシア帝国内における魔塔攻略での経験を高く買われたのだろう。
(実際のところ、中の環境はまったくの別物と思うが。悪くはない)
シェルダンは考えを巡らせる。
悪くない、というのは更にクリフォードや聖騎士セニアといった、「魔塔の勇者」たちとともに第2ディガー軍団も参戦する、という点だ。
(クリフォード殿下のお考えかな。成長したのは、むしろ殿下の方だったのか?)
薄くシェルダンは笑った。
単純にかつての2倍、2個軍団で攻略に当たるということだ。ドレシア帝国では近衛軍も兼ねる第1ファルマー軍団以外は同数の編成だった。
魔塔の強さは保持する瘴気に正比例する。ドレシア帝国より治安の悪い、アスロック王国にもともとあるゲルングルン地方の魔塔のほうが、より多量の瘴気を保持していることは想像に難くない。
単純だが軍容を2倍にするというのは、良策である。
(下手すれば2倍でも足りないかもしれないが)
数の上で兵数が5000人を超える第1ファルマー軍団にアスロック王国との睨み合いを任せる、というのも含めて悪くない。
「今回はご一緒に戦えますかね」
冗談めかして年嵩の副官ハンターが言う。
ドレシアの魔塔での離脱は特命であった、とカディスから伝えてある。そして、なぜかカディスがサーペントに対するものだと出鱈目を言ったせいで妙なあだ名が広まったのだが。
(あいつも時々、わけのわからんことをする)
そのカディスから、クリフォードらとともに、第2ディガー軍団もルベントを発った、との報せが来ている。
「特段の命令は出ていない。心置きなく今回は一緒に暴れてやるさ」
シェルダンはニヤリと笑って告げる。
もし嘘が罪になるのなら、自分はとんだ悪人だ。
先日のハイネルとの戦闘について、シェルダンは上には報告を一切上げていない。特に何の戦利品も無かったとしている以上、独断で精強な重装騎兵隊と交戦したことは、あらゆる嘘がバレる端緒となる。
余計な面倒事を抱える可能性が高い。
(しかし、手柄がなぁ)
シェルダンはため息をついた。
良い働きをしてくれた部下たちに報いられるものが何もない、ということでもある。あの戦いでは、ガードナーやメイスンといった新顔も、古参のハンターもリュッグも頑張ってくれた。文句を言われたわけではないが、だからこそ心苦しくもなる。
「しかし、アスロックの奴らがだらしなく放っといた魔塔の討伐をする羽目になるとはなぁ」
ハンターがぼやいている。
「ええ、全くですよ、ハンター殿。アスロック王国がしっかりしていれば、こんな尻拭いは不要なのです。自国の魔物が他国に侵入することを恥とも思わないとは」
忌々しげにメイスンが返事をしている。
聞くともなしにシェルダンは2人の話を聞いていた。
どうしても他国の魔塔、という印象が拭えない。ハンターたちに限らず、他の隊の兵士たちも、なぜドレシア帝国軍が尻拭いをするのだ、と思ってしまうだろう。
「隊長」
緊張した面持ちでリュッグとガードナーが駆け寄ってくる。
元々はまるで会話しない仲だったが、ハイネル戦後から話すようになった。2人とも嬉しい変化である。2人しておとなしいだけに、いざ話し始めると馬が合うようだ。
「どうした?」
のんびりした口調でシェルダンは尋ねる。
「それが、ガードナー君が妙なものを見つけたんです」
リュッグがハキハキと言う。この辺りは第7分隊員としても、軍人としてもリュッグの方が先輩なのだ。隣に立つガードナーが落ち着かない視線でキョロキョロしている。
一瞬、間をおいてからガードナーが頷く。
「あ、あれは、大きい馬の蹄の跡です。きっと、あの隊の騎馬の人たちが、ひいっ」
ハイネルたちと恐怖を思い出したのか、震え上がってガードナーが言う。
「ガードナー、お前はもっとシャキッとしろっ!あの部隊はお前の活躍もあって、撃退したのだ。また、返り討ちにしてやる、ぐらいに笑っていればいいのだ」
メイスンが口を挟んでくる。一応、メイスンなりの檄のつもりなのだろう。
「まずいな」
思わずシェルダンは呟いた。
ガードナーの危惧する通りの可能性ともう1つの可能性にシェルダンは思い至る。ゲルングルン地方の魔塔、怪奇系の魔塔付近で、異様に大きな馬の蹄となれば厄介だ。
「ハイネルの怪我は生半可なものではない。逃したとはいえ、俺はそんなに甘くないぞ、ガードナー。あの化け物本人が来る可能性は低い。確かに別の重装騎兵隊の可能性もある。それはそれでまずいが、多分、別の化け物だろう」
シェルダンは言い、立ち上がった。
ハイネルではないとなって、ガードナーが見るからに安心した顔をしている。
「ガードナー、安心するには早い」
ニヤリと笑って、シェルダンは告げる。
ハンターやハンス、ロウエンが嫌な顔をした。この連中は、自分がニヤリと笑うとろくな事にならないと勝手なジンクスを作っているのだ。
終始、仏頂面でいろというのだろうか。
「例のアスロック王国自慢の重装騎兵隊よりもヤバい相手ですか?」
睨みつけてやったからか、真面目な顔を作って、ハンターが尋ねてくる。
「直接、蹄の跡とやらを見ないと、まだ確信は持てない」
シェルダンは言い、ガードナーから詳しい位置を聞き取る。
本隊からはだいぶ離れている位置だ。が、敵の重装騎兵隊であれば、いくらなんでも斥候が気付くだろう。
「いくぞ」
分隊全体でガードナーから聞き取った場所へと急ぐ。
森の中、木々が倒れている。
ガードナーが恐る恐る地面を指差す。
「ジュバだな」
しゃがみこんで蹄の大きさ、跡の深さをひと目見てシェルダンは告げる。どう見ても人間の乗る馬の大きさではない。
辺りを見回すに、木々の倒された通り道のようなものが作られている。
(魔塔から離れた、このあたりを縄張りにしているやつがいるとはな。魔塔から出て、かなり経っていると見た)
シェルダンは思った。もう少し早く本隊と合流していれば、兵士の不明事案があった、という報せぐらいは教えてもらえていただろう。
本隊から離れた兵士や旅人を好んで襲う、嫌な魔物だ。
「ジュバってなんですか?隊長」
メイスンが首を傾げる。他の分隊員も誰一人知らないようだ。全員、無能でも無知でもない。ドレシア帝国自体が魔物に無関心過ぎるのだ。
シェルダンは舌打ちした。
「サーペントと同等か、もっと厄介な馬型の魔物だ」
馬である分、移動が速いのでほぼ間違いなく、もっと厄介だろう。間違いなく恐ろしく、かなり強い魔物である。
直接、出会ってしまっていたら、リュッグとガードナーなど即死だ。
「直接会わなくて良かったな。間違いなく死んでいたぞ」
薄く笑って、シェルダンはガードナーに告げた。リュッグも真っ青な顔をしている。
「ひ、ひえええええ」
腰を抜かしてガードナーが倒れる。
「馬鹿者、次は気をつけます、だ」
そしてメイスンがすかさず尻を蹴り飛ばす。無関心よりははるかに良いだろう。
この2人のじゃれ合いは放って置くものとする。
一方、放っておけないのはジュバの方だ。
(このままだと、小さな出血みたいに兵士の損耗が続く。それは本戦にも悪影響を及ぼす。やるしかないか)
シェルダンは深くため息をついた。部下に手柄を立てさせてやりたいなど、物騒な願望を抱いた罰なのかもしれない。




