122 ハイネルの帰還
「ハイネルッ!無事かっ!?」
アスロック王国王太子エヴァンズは、王宮を出た正門前にて、重傷のハイネルを出迎える。ワイルダーも一緒だ。婚約者のアイシラには刺激が強すぎる、と思ったので自分の部屋にいてもらっている。
古びてくすんだ金の装飾を施された門柱の傍らにて、担架の上にハイネルが横たえられていた。
数日前に『偽聖騎士セニアを捕縛した』という報せが入ったのだが。しばらく音沙汰がなく心配に思っていたところ、次に入ってきた報せは『重傷のハイネルを王都アズルの近郊にて保護した』というものだった。
エヴァンズに気づき、薄く目を開けたハイネル。
「も、申し訳ありません。殿下」
両腕に包帯を巻かれ、痛ましい姿のハイネルがかすれた声で告げる。喋ることすら辛そうだ。
「良い。生還してくれただけでも私は嬉しい」
エヴァンズはしゃがみ込んで言う。少しでも近づいて、あまり大きな声で話さずともよくしてやりたい。
「セニアを捕らえながら、更には聖剣まで奪い返される失態。失った部下の命の責任もあり、この命で償うよりほかない、と思っていたのですが」
悔しそうに端正な顔を歪めてハイネルが言う。部下のことにまで、気を回せるのがハイネルのハイネルたる所以だ。
「バカモノッ!」
エヴァンズは一喝した。目からは自然と涙が溢れてくる。
「君は大切な同志だ。軽々しく命を捨てるようなことを言うのではないっ。失った部下のためにも生きるんだっ!」
元より大変かつ重要な任務を一任せざるを得なかったのだ。残念ではあるが、失敗したことを咎め立てするような話ではない。
「あ、ありがとうございます、殿下」
ハラハラとハイネルも涙を流す。
「ただ、どうしてもお耳に入れたいことがあって、恥を忍んで、ここへ参りました」
目を瞬かせ涙を止めると、ハイネルが切り出した。
「なんだ?」
エヴァンズも居住まいを正す。重傷を負い、身一つであったことから失敗したのだ、とまでは分かったものの、詳細については未だ不明のままなのだ。
「私は念話にて、セニア捕縛の報告を致しましたが、どうやらそれを敵の軽装歩兵に傍受されたらしく、不意討ちを受けました。精鋭の部下たちもほとんどがその奇襲で命を落としたのです」
悔しさを抑えてハイネルが言う。
「な、なんだとっ!?君を破ったのは軽装歩兵の部隊だというのか?」
短い言葉の中に、驚くべき点がいくつもあった。
軽装歩兵に、念話を傍受されたということも信じられない。そもそも傍受されたとして、暗号符牒まで解読したというのか。
また、精鋭を失うほどの、奇襲を受けたということは、よほど絶妙な位置で襲われたのだ。地理も把握されている。ドレシア帝国に地の利はなく、優位であると考えていたエヴァンズは少なからぬ衝撃を受けた。
「はい、それも100人や数十人という規模ではありません。たった数人、せいぜい1個分隊でした」
痛みよりも悔しさのにじむ声でハイネルが言う。
数人の軽装歩兵に敗れたことを恥と思っているのがありありと伝わってくる。
「私は独りとなりました。それでも軽装歩兵相手なら勝てると踏んたのですが。信号弾の目くらましを受けたあとに、サンダーボルトをまともに食らい。はい、魔術です。敵は軽装歩兵ながら魔術を用いてきたのです。そして麻痺して動けなくなったところを、見慣れぬ強固な鎖の武器で何度も打ち据えられました」
ハイネルが冷静に詳しく説明しようとする。
エヴァンズとワイルダーは、顔を見合わせてハイネルからの話に驚愕した。
「ハイネル、君が怪我を押して、ここへ報告に赴いた理由がよく分かった」
一通り聞き終えて、エヴァンズは虚空を睨む。
「これは君の失態ではない。敵が強すぎたのだ。むしろ、戦を始める前にドレシア側の軽装歩兵が精強であると分かってよかった」
更に言うならば、聞く限り、不意をつかれなければ、何か1つでも違っていれば、勝っていたのはハイネルの方だ。敵は危なっかしい賭けにたまたま勝っただけである。
「軽装歩兵が魔術まで使ってくるなど、我が国では考えられんからな。何も知らずにぶつかっていれば大変な損害を受けていたかもしれん」
エヴァンズは腕組みして言う。
ゆっくりとハイネルも頷いた。同志でもあるハイネルの忠誠心にはエヴァンズも頭の下がる思いである。
軽装歩兵というのは、あくまで軍の先鋒、補助などを行うのがアスロック王国では主流であった。身軽である代わりに脆弱な攻撃力、防御力しか持たない。
(ドレシア帝国も同様だと思っていたが)
ハイネルの話では魔術まで放ってきたという。
従来の会戦では、本格的な戦いは重装歩兵による白兵戦。そして魔術師たちによる魔術の撃ち合いなどが、アスロック王国とドレシア帝国間の戦争では主流であった。
「ドレシアは軍制の改革をやったのかもしれんな」
防御面では劣るものの、身軽な軽装歩兵に攻撃力を持たせ、序盤戦を優位に進め、そこで生じる兵力差によって、中盤戦以降で勝利をおさめるつもりなのだろう。
エヴァンズも軍略の基礎ぐらいは当然に叩き込まれている。
「ハイネル殿、これは重要な報せでした。負傷の身を押してまで、ありがとうございます」
ワイルダーも同じ結論に至ったらしい。中腰となり、戦友でもあるハイネルを労っている。
「殿下、これはゲルングルン地方での軍事作戦も見直したほうが良いかもしれません」
身を起こして、エヴァンズのほうへと向き直ってワイルダーが言う。
ゲルングルン地方にドレシア帝国の軽装歩兵を中心とする先遣隊を誘い込んだ。隣のラルランドル地方に隠した兵団で奇襲をかけて一網打尽にする作戦だったのだが。
「そうだな。敵が脆弱である前提で立てた、機先を制する程度の意図しかない作戦だったからな。止めておくほうが得策であろう」
一方的に兵力差を縮められるなら縮めておきたかった。が、逆に手痛い反撃を喰らうようでは意味がない。作戦を読まれていた恐れすらある。
エヴァンズも頷いた。
「ええ、いずれゲルングルン地方の魔塔をドレシアが攻略できるにせよ、できないにせよ。奴らが魔塔と戦って疲弊したところを狙う。堅実な作戦に徹しましょう」
黒いローブの奥で落ち着いた風貌のワイルダーが頷いて言う。
「殿下」
ハイネルが苦しげに声を発した。
「セニアと剣を交えて確信しました」
かすれた声だ。
エヴァンズも同志からの言葉に黙って耳を傾ける。
「やはり、あの女は詐欺師です。大した実力ではありません。私にも勝てない程度の力量です。むしろ、その後の軽装歩兵たちのほうがはるかに」
ハイネルが強すぎるのだ。謙遜しているが故の物言いが日頃から多い。
ただ、それを差し引いてもセニアの腕前については話題先行、過大評価されたものである。改めて、一般兵士にも劣る、ということが立証された。
「分かった。次こそは頼む。確実に悪女セニアの息の根を止めてやろう」
処刑するよりもその場で処断するほうが確実だろうか。
考えつつエヴァンズは頷いた。
ハイネルが運ばれていく。
「どう思う?」
運ばれるハイネルを見送りながら、エヴァンズはワイルダーに問いかける。
「やはり、セニアの周りを剛の者で固めて、ドレシアは魔塔を攻略したのだと改めて確信しました」
ワイルダーが落ち着いた口調で答える。
「救ってやりたいとのことでしたが、強ければ強いほど説得は難しい。そして、侵攻までされた以上、もう。雌雄を決するよりほかないかもしれません」
発端はセニアの追放からだ。忌々しく思いつつ、エヴァンズは唇を噛んだ。
いつもお世話になります。
命からがら逃げおおせたハイネルさんを出迎えるエヴァンズさんでした。シェルダンたち本人のいないところでのやり取りであります。
強襲でのシェルダンたちサイドからの一方的な描写を、やられたハイネル側から描いてみたくてこの後日談を設けました。
また復活したハイネルさんには大活躍してほしいものです。
ここまでの読了、本当にありがとうございます。




