119 軽装歩兵と聖騎士の従者2
イリスは落ち込む気持ちを胸に抱いたまま、セニアの滞在している部屋へと向かう。
(確かにおかしいかもね)
イリスはセニアの部屋を見て思った。
以前、ルベントに滞在していたときに使っていたのと同じ部屋だ。格子を設置して出られないようにして謹慎の罰、という雰囲気はない。前と同じ、よく片付いていて、過ごしやすい快適な部屋だ。
(そりゃ、セニアなら本気出せば簡単に壊しちゃえるんだろうけど。でも、こんなの)
どこが罰だというのか。
部屋の主である聖騎士セニア本人が背中を向けて、じっと教練書を熟読している。
「戻ったわよ」
硬い声でイリスは告げた。
セニアが顔を上げる。
「イリス、おかえり」
どこか力なく微笑んでセニアが言う。
情けない姿にイリスの苛立ちは増した。
「どうかしたの?ひどい顔」
ただならぬイリスの雰囲気をさすがに感じたのか、セニアが尋ねてくる。だが、どこか他人事のようで。
先程のペイドランの様子を見ても、何も分かっていないセニアに、腹を立てているのだとイリスは気付く。
(なんで、わかんないのよ)
イリスはキュッと唇を噛む。
ここにいないペイドランから、セニアらが自分たちなど見向きもしていない証拠を突きつけられているかのようだ。
(あんた、特別扱いされて、当たり前みたいに。悄気げて甘えて何様よ)
魔塔を攻略するためなら多少のことにも目を瞑る。その、蔑ろにされる多少のこと、というのが自分やイリスのことになる。だからペイドランは怒ってくれていたのだ。
今ならよくわかる。
「ペッドと喧嘩した。ペッドが、あんたへの処罰も、みんなの態度も甘すぎるって。でも、あたし、あんたを庇っちゃったもんだから」
イリスは自分でも怖いぐらい冷たい声で言った。
「そう」
セニアがうつむいた。侯爵令嬢であり、剣のこと以外では父親のレナートに優しくされてばかりだったから、こういうときの返し方を知らないのだ。
悪意がないことを分かってはいるが、今回ばかりはイリスも腹が立つ。
「何が『そう』、よ。あんたのせいっ!あんだけ止めたのに、あんたが敵の方を信じてついてって、罠にかかったからでしょっ!」
言っていて、ドンドン腹が立ってくる。そもそも怒るためにペイドランとの喧嘩を教えたようなものだ。
「しかも聖剣まで取られて、何が聖騎士よ、ただのバカじゃないっ。魔塔なんて、あんたが倒せるわけない!」
これだけ強く言ってもセニアからの反応が薄い。本当に情けない姿だ。見たくない。だが、イリスは続ける。
「私とペッドの命を使い捨てにしてやっと倒すんでしょ?シェルダンて人の命使って、やったみたいにさ。この前のもそうやって倒したんでしょ?」
イリスは嘲笑うような声音で告げる。
今のセニアには言い返すことも出来ない内容だ。
長く一緒にいて、セニアがそんな考え方で動いているのでないことぐらい、イリスは知っている。
(あ、だから、腹が立ってくるんだ。そんなんじゃない筈なのに、そんな風になってるから。だから、ペッド、あんなに)
多分、怒ればまだ、どうにかしてくれそうなセニアやクリフォードだから、自分もペッドも怒ってしまったのだ。
ふと、頭が冷えた。それも束の間のこととなってしまう。
「じゃあ、あなたがその細剣で、私を突き殺してくれる?」
セニアが教練書に顔を向けたまま告げる。目ではない、顔なのだ、とようやくイリスは気付いた。集中して熟読していたのではない。新しいことなど何も頭に入ってはいないのだ。
「はぁ?」
思いもよらない無責任な提案にイリスは絶句した。
「確かに私は皆に迷惑をかけて。魔塔を倒すなんて言ってるのに、実力も伴わなくて」
イリスが呆れて何も言えない間にも、さらにセニアが言葉を注ぎ足していく。聞き苦しい泣き言ばかりだ。
「シェルダン殿は命を落としたし。そのせいでカティアを不幸にした。このままじゃ、あなたたちも不幸にして。私なんていない方がいいのかも」
セニアが教練書から顔を上げる。
どこか焦点が定まっていない、うつろな眼差しだ。
確かにイリスの腰には細剣がある。
セニアが勝手に覚悟を決めて、目をつむった。
(何勝手なこと言って、覚悟してんのよ)
込み上げてくる怒りに任せて、イリスはつかつかと歩み寄った。
剣で突く代わりに、イリスはセニアの左頬を右の平手で思いっきり張ってやった。
「ふざけんじゃないわよっ!」
ものすごい音をセニアの頬が立てた。
驚きもあらわに、セニアが赤く跡のついた頬を押さえてイリスを見る。剣で刺せ、と言っておいて殴られて驚くとはどういうことなのか。
「自分で甘いと思うんなら、もっと強くなってよ!あんたしかもう、聖騎士いないのよっ!だからシェルダンて人もペッドも私も、あんたに注ぎ込んできたのよ?重荷に思うくらいなら気合を入れなさいよっ!何を腑抜けたこと言ってんのよ、バカッ!」
さっきは無理だ、などと言ったのに矛盾するが。
もういい、とイリスは思う。セニアには幻滅した。
そしてイリスは離宮の自室から荷物をまとめて出て、ルベントの町中で宿を取ることとする。シエラが何やら止めようとしていたが、ペイドランとのことも併せて説明するとわかってくれた。
(たまにはいいでしょ、休暇ぐらい)
思いつつもイリスは最近、ペイドランと遊んでばかりだったと思い直した。
ただ、退屈である。
丸一日、整えられた寝台に横たわって天井を眺めていた。
もう、ペイドランの大の字を笑えない、とイリスは思う。
(あーあ、こんなことになるんなら、ペッドと喧嘩しないで、適当に相槌打ってれば良かった)
小綺麗な宿屋で快適だ。主の中年の女性も優しい人であり、美味しい料理を出してくれる。
これで、ペイドランとルベントの観光も出来ていれば言うことなしだ。もともと気候が温暖で過ごしやすく、景観も綺麗なルベントは昔からの観光地だ。
国交が正常であった時代にはアスロック王国からも観光客が訪れていた、という。
「出てきたはいいけど、私、どうしよっかな」
イリスは口に出して呟いた。ずっとセニアのために駆け回ってきた人生である。
(困ったわね、ペッドに会いたいけど。あいつ、今、どこにいるか分からないわ)
どうしようかと悩んでいる間に2日が過ぎてしまう。
3日目、何事もなかったかのようにクリフォードから宿にいるイリスのもとに、呼び出しの使いが訪れた。
イリスは使者の面前で深くため息をつく。
(応じないわけにもいかない、わね)
多分、セニアに手を上げた件だろう。イリスの知るセニアなら言いつけることなどしないと思っていたのだが、違ったようだ。
(いいや、怒られるついでにペッドの居所でも聞き出してやろ)
イリスは身支度を整えてクリフォードの離宮へと向かうのであった。




