117 ビーズリー家にて
国境付近に放置された馬車の中で、囚われていた聖騎士セニアをペイドランはイリスとともに発見した。シェルダンがハイネルを強襲した翌日であることなど、誰も知る由もない。
ちょうど第2皇子クリフォードが皇都グルーンからルベントに到着した日のことだ。縛り上げられて、猿ぐつわまではめられていた。何日放置されていたのか、ひどく衰弱もしていたのだが、生きている。
(良かった、のかな?)
首を傾げて思いつつも、ペイドランはすぐに一緒に行動していたイリスと2人で、ルベントへと運んだ。小柄な自分たちには鎧もあったので、細身のセニアとはいえ、かなりキツかった。
今はルベントにあるクリフォードの離宮で安静にしているとのこと。
「良かった、本当に良かった」
自分にすがりついて、涙を流すイリス。
見下ろす華奢な肩がとても愛おしくて、ペイドランは優しく撫でてやる。
(イリスちゃんが、安心出来たのは、良かったけどさ、でも)
だが、心中は穏やかではない。
ちょうどクリフォードから、医者の見立てでも命に別条はないようだ、と教えられたところなのだが。
「俺、セニア様も見つかったし、無事だし。一件落着したからレイダンさんのところ、行こうと思うんだ」
少しイリスが落ち着いた頃合いを見計らって、ペイドランは告げた。
「私は、セニアのこと、まだ心配だから。離宮に残るね」
涙を拭って、イリスが微笑んだ。
イリスが、レイダンのことを怖がってもいたことをペイドランは思い出す。
一人でクリフォードの離宮からレイダン・ビーズリーの家へと歩く。軍が出征しているからか人出は少ない。閑散とした通りを進んだ。
歩きながらセニアを発見したときのことを思い出す。
どこからアスロック王国に入るだろうか、と考えた結果、ドレシア帝国軍のあまり配置されていない、いわば死角のような地点を狙うだろう、とペイドランは考えた。
(で、あってた)
軍の配備が薄い場所をイリスとともに巡っていたところ、セニアの盾と鎧を発見したのである。そこでまず、イリスが大粒の涙を流した。殺された、と早とちりしたのだ。
近くには馬車もあり、馬も御者も誰もついておらず、放置されていた。不審に思って中を検めると、縛り上げられた上に、猿ぐつわまで嵌められた状態でセニア一人が転がっていたのである。
聖剣だけはどこにも見当たらなかった。アスロック王国にとうとう奪われたのだろう。
いい気味だ、と不謹慎なことを思ってしまった。
「何だよ、何も覚えてないって」
腹立たしくなってペイドランは呟いた。
なぜ転がっていたのか。馬車の中にいたのかも覚えていないという。
覚えているのは、まんまと罠にはまって、アスロック王国重装騎兵隊の騎士団長ハイネルと交戦し、敗れたところまで。
(誰かが助けてくれたんだろうけど。誰が?それにあの馬車、罠があったって、でも解除されてたから、俺もイリスちゃんも無事だった。うん、絶対、誰かが助けてくれたんだ)
ペイドランは首を横に振った。考えて分かることではない。
首を振った拍子に、懐かしいルベントの軍営が見えた。
(第7分隊のみんな、いないかな)
ちらりと考えて、ペイドランは寄り道したくなった。
「あぁ、だめだ。みんな、アスロック王国に侵攻してるよな」
がっかりして、ペイドランは自分で自分の思いつきを打ち消すこととなる。魔塔攻略にかかる、ゲルングルン地方の侵攻すらセニアのせいに思えてきた。
そう考えてみると、セニアのせいでせっかくルベントに来られたのにまったく楽しいことがない。特にハンスあたりにはイリスとのことを、たくさん相談したかったのだ。物静かなロウエンも親身になってくれるだろう。
(リュッグともシエラとのこと、あぁ、腹立つ!)
もっと皆、喜ぶ前にセニアのことを怒るべきなのだ、とペイドランは思う。
『怪我をしているから』・『弱っているから』と叱責も処罰もみんな先延ばしにしているのだ。弱っている時の方が、処罰も効果的なのに、とペイドランは思うのだが。
「もう、絶対セニア様の言うことなんか聞くもんか」
ペイドランは口に出して固く決意した。
しばらく歩いて、閑静な住宅地に出る。レイダンの家に着いた。小ぢんまりとした、きれいな木造の一軒家だ。
ドアをノックする。
「やぁ、ペイドラン君か。よく来たね」
ほほえみを浮かべて、レイダン・ビーズリーが出迎えてくれた。ひどく、疲れた顔をしている。
奥には、レイダンの妻であり、シェルダンの母マリエルの姿も見えた。マリエルの方もやはり疲れた顔をしている。時折、2人とも肩を回すような仕草をしていた。
「あの、どうしたんですか?お二人共、なんだか疲れてるみたいです」
居間に通され、ソファに腰掛けるよう促される。ペイドランは腰掛けながら尋ねた。
「いやぁ、久し振りに書き物をたくさんすると腕に来るね」
レイダンが向かいにある黒革張りの椅子に腰掛けて言う。
「ええ、私もですわ」
マリエルもお茶と菓子を載せた盆を持ってきて言う。
2人とも何を書いていたのだろうか、とペイドランは訝しく思う。
「君がここに来た、ということは無事にセニア様は見つかったのかな?」
最初から全部知っている前提でレイダンが尋ねてくる。
「はい、ただ」
うなずくもペイドランは言い淀んでしまう。どうしても手放しで喜ぶ気持ちになれない。
「うん?どうした?手足の1本でも骨が粉々になって再生できなかったのかな?」
さらりと怖いことをレイダンが尋ねてくる。このあたりはシェルダンの父親なのだと思う。隣に座るマリエルも女性ながら顔色1つ変えない。
ペイドランはブンブン、と首を横に振った。
「ご無事ですけど。詳しいこと、言えませんけど。俺、いなくなったことがそもそも気に入らないんです」
子供じみたことを言っているのではないか、と自分でも思う。だが、言える相手がいないのだ。言えそうな相手のイリスも本件についてはセニア寄りである。
気の毒そうな笑みをレイダンが浮かべた。
「君も随分、身分が上の人達に振り回されているね。可哀相に」
皮肉とはペイドランには思えなかった。身分が上の人達の、魔塔攻略に巻き込まれて、たった一人の息子を失った人の言葉だ。
気の毒なのはレイダンたちも一緒だ、とペイドランは思う。
「今、ここにいないから言っておこうと思う。あの、セニア様の従者だという、可愛らしい女の子のことだが」
言いづらそうにレイダンが切り出した。イリスのことだ。
「あの子を君にあてがっているのも、君を利用するためだよ」
そうかもしれない、とはペイドラン自身も薄々感付いてはいた。
「でも、イリスちゃんが俺と仲良くしてくれるの、嘘の気持ちとは思えないんです」
イリスの向けてくれる言葉も笑顔も、嘘をつくことが上手とは思えない人柄も、だ。
「イリスちゃん本人には、そのつもりはないだろう。だが、そこを上手く利用するのが、ああいう人たちのやり口なんだよ。君も気をつけなさい」
レイダンの言葉には、身分が高い皇族や貴族への不信感が滲み出ていた。
無理もない。一粒種のシェルダンを失うことになったのだから。ペイドランはただ頷くしかなかった。
「まったく、彼らからしたら使い捨てに出来る便利な命だとでも言うのかね。もっとシェルダンのやつにも私から言っておくのだったよ」
レイダンが後悔をにじませた口調で告げる。
「もし、特にセニア様にばかり気にかけているような様子、あるいはイリスと言う子をダシに、何かを言ってきたなら気をつけなさい。立場をはっきりさせた方が良い」
クリフォードやゴドヴァン、ルフィナがそこまで悪辣とはペイドランも思わなかった。それでも気をつけよう、とは思う。確かに本来なら口を利くこともないぐらい、身分の違う人々なのだから。
(しかも、俺は隊長やレイダンさんみたいに器用な方じゃないし)
向いていない密偵などをしていた時期もあったが。
ふと、ペイドランは自分の人生を思う。
多分、もう両親はいない。シエラと二人きりになった。ゴドヴァンとルフィナに拾われて、感謝の気持から密偵となったのだ。
(でも、あっさり密偵じゃなくなって。切り離されて俺は自由になった)
まだ自由になったという実感もないまま、イリスと出会った。イリスを利用されるような格好で、クリフォードたちに自分を縛り付けられている。
(本当は俺もイリスちゃんも、あんな人たちから離れて好きに生きていいんだ)
ペイドランは気づいてしまう。
今回のようなことが、今後もずっと続くのだと思うとうんざりする。イリスも心配してやることないのに、と思えてきた。
ここまで思い至ってペイドランは気付かせてくれたレイダンに感謝する。
「あの、それで、忠告してくれるために、俺を呼んでくれてたんですか?」
遠慮がちにペイドランは尋ねる。
「あぁ、いや、すまない。話が横道に逸れたね。渡したいものがあって、呼び出したんだよ。取ってくるから少し待ってなさい」
まるで父親のような口調でレイダンが言い捨てて、家の奥へと引っ込んでいった。
ペイドランはマリエルと2人で居間に取り残される。
「ありかとうね、ペイドラン君」
マリエルが微笑んで言う。
「まるで、シェルダンに弟が出来たようでね。私もあの人も救われたような気持ちなのよ」
そう言われると、実の母に対するような親しみをペイドランも感じてしまう。淡い栗色の髪をした穏やかな笑顔の女性だ。
「あなたが鎖鎌を習いに来てくれて、本当に嬉しかったのよ、私もあの人も」
照れ隠しにペイドランはお茶とお菓子を少しずつつまむ。
しばらく待つと、大きな布づつみを抱えてレイダンが戻ってきた。
「これ、なんですか?」
机にドサリと置かれた布づつみ、かなりの重量がある。
レイダンが答える代わりに布を解くと5冊ほどの冊子だった。
「我が家に伝わる千年分の魔物の情報のごく一部だよ。私とマリエルで写し取って作った資料集さ」
5冊もあってごく一部。どおりでシェルダンが魔物に詳しいわけだ、とペイドランは理解した。
「これを君にあげよう。よく読んで覚えなさい。ただ、本来は門外不出だから。セニア様にもイリスちゃんにも絶対に見せては駄目だよ」
レイダンがかなり強い口調で釘を刺す。
「分かりました」
約束しつつもペイドランは別のことが気になっていた。
(俺、覚えられるかな)
勉強は苦手だ。部屋で大の字で寝ている方が良いのである。
「特にこの1冊は大事だから。次の魔塔攻略までに、必ず覚えなさい」
レイダンが一冊を持ち上げて告げる。
(あっ、一冊なら大丈夫そうだ)
ペイドランは安堵してしまい、肝心なことに気付かぬまま、ビーズリー家を後にしてしまうのであった。
いつもお世話になります。ここまで読んでくださり、恐縮です。
ペイドラン視点から、セニアの発見保護及び魔塔攻略の虎の巻を手にする、という場面でした。ペイドランだけは素直に喜べないようです。
セニアはまだまだ未熟な聖騎士ですが、極めて重要な人物なのでもっと成長してほしいな、と常々思う次第です。
素人の書いている拙く、粗さも残る文章ですが、思っていたよりも多くの方が読んでくださっているようで、そこがとても嬉しいです。
ご指摘やご意見などあれば、ぜひ感想等でおっしゃって頂ければと思います。




