112 兄と弟〜シオンとクリフォード
ペイドランからの報告を、クリフォードは異母兄である第1皇子シオンとの対談中に受け取った。メールピジョンという高速の伝書鳩だ。値は張るが猛禽類よりも速く強く飛べる鳥であり、通信としての信頼性は高い。
『2日前にルベントでの目撃があった』との報せだ。いよいよ国境に近い。連絡を寄越す2日前、である。
「セニア殿っ」
苦しみと心配がないまぜになった声をクリフォードは溢した。
興味深げに近寄ってきたシオンにもペイドランからの報せを見せる。一読するなり、シオンの顔が険しくなった。見た目は怖いが心配しているときの顔だ。
(なぜ、我々の言うことに耳を傾けてくれないんだ)
魔塔を倒す、という聖騎士としての使命を尊重した上で、ただより良い方法を提示してきただけのつもりだった。
シオンも同様だろう。これだけ、ドレシア帝国一丸となって協力しようというのに、何が不満なのか、愛しい聖騎士セニアの態度は意固地になるばかりで。
とうとう敵国からの甘言に乗って、皇都から出奔してしまったのだ。いなくなった、との報せを受けたときの衝撃は今でも忘れられない。
動揺と混乱のあまり、ペイドランとイリスを送り出した後、なぜだかペイドランの上司カディス・ルンカークまで呼び出して意味不明の命令まで出してしまった。
「確実に保護するのなら、今からでも出奔を公表し、軍にも手配してしまうのが1番良いのだが」
珍しく、シオンが迷うような口振りで言う。
ちょうど、クリフォードはシオンとともに、セニアの出奔を公表するべきかどうかの話し合いをしていたのだった。
「アスロック王国へ、もう軍を向けてしまった後だからな。敵国と通じていて、それが故に敵国の要請を受け入れて出奔したのだと。我が国への裏切りだと取られかねない」
シオンの言葉にクリフォードは頷いた。むしろ、セニアを直接知らない人々からすれば、そちらのほうか正解だと思うだろう。
「無事に連れ戻せたとしても、それでは元のように遇することができません」
なんとか冷静さを保とうとしながらクリフォードは告げた。
労るような同情の眼差しをシオンが向けてくれる。
「あのセニア殿のことだ。やすやすと敵の手に落ちるとも思えないが」
シオンが渋い顔で言う。
そこはシオンも政治家なのだ、とクリフォードは感じた。戦闘への見方は甘い。
「アスロック王国にもゴドヴァン殿並の武芸の遣い手は何人かおります。それに罠であるならば、複数で確実に捕らえようとするでしょう。予断は許されません」
クリフォードは自分で言っていて、そう思うなら、出奔を公表すべきではないかと、自分に指摘する。だが、次の瞬間には、また戻ってきたときのことを考えてもしまう。
シオンが言うには既にゲルングルン地方の魔塔周辺にまで、先鋒の軽装歩兵軍団は展開しているのだという。第1ファルマー軍団並びに第3ブリッツ軍団の本隊も物資とともに国境を越えている。
だが、もともとドレシア帝国にとっては他国、アスロック王国にとっては自国であった土地だ。ドレシア帝国側の知らない抜け道などもまだまだ多いであろうことは想像に難くない。
「今のところは、アスロック側の軍の姿などはなく、魔物との戦闘ばかりになっているそうだ」
シオンが安心しろ、と弱々しく遠回しに告げているのだ、とクリフォードにも分かる。
それもおかしな話だ。ドレシア帝国側の知らない道を行き来して、セニアを陥れる策を巡らせていたのだろう。
「国境をもはや越えかねない以上、私も皇都を出たいのですが」
クリフォードは焦る気持ちのままに告げる。
本当はセニアが出奔してすぐに自分も追いかけたかったのだが。目立つクリフォードまで動いてしまうと、セニアの出奔が大々的に知られることとなりかねないので、シオンらに全力で止められたのであった。
「そうだな、第2ディガー軍団の準備も整った。そこと同道する形で先行しろ。ゴドヴァンとルフィナもつける」
ここに来てもまだ、シオンまでセニアの出奔を隠そうとしてくれている。
まして、ゴドヴァンやルフィナも同道させてくれようというのは、さらに心強い。
「ペイドランとイリスは更にセニア殿の足取りを追ってみるそうです」
出来れば国境を越える前に追いついて欲しいが難しいだろう。
「お前がもし、失敗したら。セニア殿の出奔は公表せざるを得ない。その覚悟はしておいてくれ」
シオンらしくない感傷的な言い方だ。クリフォードとしては有り難い申し出だが。
「兄上?」
訝しく思い、クリフォードは首を傾げてみせる。
「いやな」
シオンが苦笑した。
「セニア殿の出奔が知られ、そこへの失意がそのまま次の魔塔の出現に繋がりそうな気がしてな。私はそれを恐れている。すまんな、ただ純粋にセニア殿を心配し、お前を応援しているわけでもないのだ」
自分では思ってもみなかった発想にクリフォードは驚いた。確かに『他国から亡命してきて、魔塔を攻略する功績をあげたほどの聖騎士が出奔してしまった』などと公表すれば民の失意は計り知れないものがある。
「いえ、私はそこまで思い至りませんでした」
恥じ入ってクリフォードは俯いた。ただセニアの身を案じるばかりで。国のことになど考えは及ばなかったのだ。
「いや、お前はそれでいい」
優しく微笑んでシオンが言う。
こういう顔も出来るのだ、とクリフォードは思った。細く、鋭く、怖いというのがシオンの人に与える印象だが、実際は深く他者のことを考えられる人物なのだ。
「私が全体を見るから、お前は伸び伸び、思う様、その強大な魔力を振るえばいいのだ」
シオンがニヤリと笑う。
クリフォードは顔を上げた。
「根はお前もセニア殿も悪人ではないからな。大きく間違うこともないと、信じている」
いくら、セニアへの恋慕に狂っていたとはいえ、自分は何という人から皇位を奪おうとしていたのだろうか。
やはりただ、恥じ入るばかりである。
有能な腹心2人を惜しげもなく助けに寄越してくれることもまた思い返せば有難すぎることだ。
「必ずセニア殿を連れて、戻ってまいります」
クリフォードは決意も新たに宣言した。
「あぁ、そうしたら、たまにはこっぴどくあの困った聖騎士殿を叱り飛ばしてやろう」
シオンが笑みを浮かべたまま告げる。
「そうすれば、我々兄弟が本気で手を組んだときの怖さを皆が知るはずだ」
やはり、少し兄の方は怖さが過ぎるかもしれない、と思い直しつつ、クリフォードは兄の前を辞した。
「殿下」
待っていてくれたらしい、ゴドヴァンとルフィナが、兄のいる南塔を出るなり駆け寄ってきた。
「申し訳ありません。私の監督下にありながら、こんなことになって」
何度目になるか分からない謝罪をルフィナが繰り返す。
この後の流れもクリフォードにはしっかり分かっている。最後には自分が怒るのだ。
「いや、むしろ、お前が無事で良かった。そんな危ねえのが出入りしてるなんてな」
斜め上の優しい慰めをゴドヴァンが発する。
いつもならツンケンと返すところ、弱っているときのルフィナは違う。
「ゴドヴァンさん」
たくましいゴドヴァンの身体に身を預けて、うっとりと見上げる。
「ルフィナ」
たじろぎつつも、愛おしげにルフィナを見下ろすゴドヴァン。
「恋人に出奔されて、傷心している私の前で、よくそんないちゃつけますね?」
額に青筋を立てて、クリフォードは怒る。
「あ、あぁ、すまねえ、殿下」
申し訳無さそうにゴドヴァンが言う。
「ごめんなさい」
あわてて身を離すところまでが、一連の流れだ。
(なぜ、毎度同じことをして、心の底から申し訳無さそうに出来るんだ?)
若干、苛立ちつつ、クリフォードは思う。この2人はとっととくっつけば良いのである。
「ペイドランとイリスの2人を追って、我々もルベントから国境へ向かいましょう」
クリフォードは様々なものを我慢しながら2人に告げる。
「わかった、急ごうぜ。セニアちゃん、今頃とっ捕まってるかもしれねぇ」
ゴドヴァンがまたも不謹慎なことを言う。
「そうねぇ、アスロックにも何人か厄介なのがいるから」
ただ、ルフィナも咎めず相槌を打つ。
ゴドヴァンもルフィナも元アスロック王国の人間だけあって、何人か思い当たる強者がいるようだ。
「えぇ、急ぎましょう」
クリフォードも言い、そのまま2人とともに、シオンの用意してくれた快速馬車へと向かう。
「それにしても、ペイドランとイリス、あの2人、少しは進展したかしら?」
またもルフィナがセニアを心配するクリフォードの前で、不謹慎なことを口走るのであった。




