110 聖騎士捕縛1
ペイドランたちがルベントを出た頃、聖騎士セニアは禿頭の商人アンセルスとともに、国境ラトラップ川を越えて、アスロック王国に入ったところだった。
「ささっ、セニア様、こちらです」
急かすように言う、この禿頭の商人を、セニアは完全に信用したわけではなかった。
なにしろ、自分の不在を狙って、教練書を奪取した本人なのだ。あのとき、カティアが機転を利かせていなければ、死人すら出ていたかもしれない。
(どこまで、本当なのかしらね)
セニアは藪の中を進みながら思う。
アスロック王国エヴァンズからの使いだと言っていた。民が限界だと、助けてほしいと。終わったら自分の首を討ってくれて良いとも。
苦しむ民がいるなら、エヴァンズが本当に改心したのなら、戦争の前に魔塔を攻略してやるべきだ。魔塔で苦しんでいる人々に戦争を仕掛けるなど、傷に塩を塗るようなものではないか。
「本当に、教練書のことは申し訳ありませんでした」
また、何度目かも分からない謝罪をアンセルスが告げる。
最初に接触してきたときも涙ながらに侘びてきた。セニアと会うために自ら深手を腹に負ってきた覚悟が嘘だとは思えず。
(それに、私が聖騎士の知識を独占しているのは、確かに良くないって話。筋が通っているわ)
特に入門書の第一冊目は重要だから、ともアンセルスが言っていたのも正論だ。
手段以外、セニアには不満などなかった。
藪を抜けて、また藪に入る。
「今や敵国に近い情勢ですし、こちら側にもドレシア帝国の兵士がいるようですから」
アンセルスが苦笑いとともに言う。どこか小ずるさが滲んでいる。
本当にこんな人物だったろうか。もっと豪快な人物だった印象がセニアにはあった。
「エヴァンズ殿下も私に魔塔を攻略してほしいと、本当にそう仰るのですか?」
セニアは鞘に入ったままの聖剣で木の枝を掻き分けつつ尋ねた。
「ええ、民を苦しませるわけにはいかない。が、4本もの魔塔、聖騎士抜きでは攻略出来ない。セニア様を追放したのは誤りであったと」
アンセルスが前を向いたまま告げる。どこか胡散臭い。
それでも面と向かって、魔塔を攻略してほしいと言われれば聖騎士の自分に拒めるわけもなかった。
(イリスかペイドラン君が案内して助けてくれるか、クリフォード殿下やシオン殿下が私の派遣を認めて下されば、こんなことには)
信用できない人物の言いなりになっているのも、信用できる人達が助けてくれないからだ。拗ねたような思いをセニアは抱いてしまう。
(でも、イリスもみんなも怒ってるわよね。それとも心配してるかしら。言うことを聞けなくて、申し訳なかったとは思うけど)
セニアはアンセルスの禿頭を後ろから眺めて思う。魔塔を視認出来る位置まで接近したなら、アンセルスからは離れるつもりでいる。
「4本もの魔塔を抱えていますから。民が活動できる土地も限られてしまっております。生産、流通などには大きな影響が出ている、苦しい状況で」
また、アンセルスが言葉を発した。
何かを誤魔化すかのように移動中も話し続けるのだ。内容はほとんど、どれだけアスロック王国が苦しいかということに終始している。
聞けば聞くほど、セニアの罪悪感は増すばかりだ。
「飢餓に見舞われているとは聞きませんが」
ずっと黙っているわけにもいかない気がして、セニアも口を開いた。
「えぇ、そこはエヴァンズ殿下が巧妙でしたな。うまく民を移住させ、魔塔の少ない沿岸での産業を推奨したのです」
アンセルスが薄く笑って言う。エヴァンズの話をするときだけ、アンセルスの声音が硬くなる。だが、気にすれば気になる程度でしかない。
「主に漁業と開墾を為されたのです。なんとか国内で食べる分はまかなえているようですよ」
かつて婚約者だったエヴァンズの話を聞いても、セニアの方は何も思わなかった。幼い頃に国王と父の間で決められた政略結婚にすぎない。
王宮で自分と会っても、どこか後ろめたそうな気後れを見せていて、目も合わせようとしなかったものだ。なんとなく好きになれない相手だった。
(あそこまで卑劣な人だとは思わなかったけど)
陰気なエヴァンズを構っていても誰も救えない。ただ、内政面では実に有能という話ではあったが。セニアには政治のことはよく分からなかったし、興味もなかった。
代わりに剣だけは自信があったので、聖剣を手に魔物討伐に出て回ったのだ。この手で人々の役に立てるのは、父を失った後の生き甲斐であった。
(父が死んで、陛下が病気に伏すようになってから、もっと悪くなった)
獣が通るような道をずっと歩き続けている。
瘴気が身体に纏わりついているような、懐かしい不快な感覚だ。
「この辺りもそうですが、ハイネル騎士団長や魔術師のワイルダー様がご活躍で、強力な魔物は割合に少ないのですよ」
更にアンセルスが言う。
ハイネルやワイルダーとともに何事かを企み、アイシラという男爵令嬢と親しくしていると思った時にはもう、婚約破棄されて、処刑される段取りとなっていたのだ。
(たとえ、強力な魔物と出会っても、今の私なら)
セニアは聖剣を握りしめて思う。法力の出力を増す聖剣があれば、父レナートのような光刃を自分も放てるのではないか。
(法力の出力だけなら、閃光矢にしろ、千光縛にしろ十分なはずだわ)
細かい操作が自分は苦手なだけなのだ。
「それなのに、クリフォード殿下は私に回復術ばかり」
ボソリと口に出して呟いた。認めてもらえない。まるで子供のような不満だ。
「ん?どうかされましたか」
アンセルスが足を止めた。
同時に巨木の洞からバットが5匹、襲いかかってくる。
答える手間が省けたことを感謝しつつ、セニアは聖剣で即座に斬り倒してやった。
魔物が現れたことからも、今のところはアンセルスに謀られたのではなく、アスロック王国には、きちんと入れたのだと分かる。
「さすがですな」
媚びるような笑みを浮かべてアンセルスが言う。
「あなたが私の侍女たちを騙して教練書を奪ったこと。まだ許してはいませんよ」
硬い声でセニアは告げる。油断してはいないのだ、と伝える意図をもって。
「あなたの侍女、カティア殿は聡明で騙せませんでした」
笑みを浮かべたままアンセルスが言う。
「わたしたちの、何としても教練書を、という気迫、覚悟に気付かれただけでしょう。自分から渡してくれたようなものでした」
暗に侮蔑するような声音だ。まるで、世間知らずの小娘を嘲笑うかのようですらあった。
セニアは言い返せない。たしかにアンセルスの言うとおり、身の危険を感じたカティアが譲ってしまったのである。
「脅したようなものでしょう。わたしは、許しません」
セニアは横を向いて言った。
嘲笑うような顔のままアンセルスも答えない。
無言で歩いていると、次はスケルトンが15体ほどあらわれた。
「このっ」
本来なら核骨を魔力持ちが見つけて砕くのが常道だが。
今のセニアは聖剣を手にしている。聖なる刃で切り裂かれたスケルトンは再生できない。ただの地面に転がる骨となる。
「それでも、アスロック王国を助けて下さる、と。いやはやお優しいことだ」
皮肉たっぷりにアンセルスが言う。
不意にどうしようもなく、セニアは帰りたくなった。
(大きい声で褒めてくれるゴドヴァン様も、優しく見守ってくれるルフィナ様も、私を思ってくれるクリフォード殿下も、可愛げのあるペイドラン君もいないところで、私、何してるの?)
そっけなくも心配してくれていたシェルダンももういない。
ただ、シェルダンがいたらこんな無茶をする前に止めてくれていたはずだ。
セニアはようやく冷静さを取り戻した。自分は今、とんでもなく愚かなことをしているのだと悟る。




