105 ゲルングルン地方侵攻1
実に1か月以上ぶりにシェルダンはアスロック王国との国境付近を訪れていた。出動の命令がとうとうクリフォード、シオン両皇子からの連名で発せられたのだ。
ゆえに今回は分隊規模の従軍ではない。ルベントに駐屯している第3ブリッツ軍団のほぼ総出である。指揮はシドマル伯爵、名目上、総大将とされているクリフォードのほうは、所用で到着が遅れるという。
「弱体化しているとはいえ、一国の領土を攻めるんだからな」
国境を流れる小川、ラトラップ川。小川の向こうに広がる祖国をシェルダンは思う。この小川の向こうはもう、アスロック王国のゲルングルン地方だ。気候こそ温暖だが森深い土地で魔塔が立つ。
「隊長としてはやはり、思うところはありますか?」
副官のハンターが話しかけてきた。
かつての仲間を殺すか、あるいは逆に殺されるのか。そんなこともあるかもしれない。
「国を出て、他国の軍人となったときから、そのへんの覚悟は決めてある。心配無用だ」
シェルダンはうっすらと笑って告げる。今回は気兼ねなく、軽装歩兵の分隊長らしい任務に専念できるのだ。さらに手首に巻いたカティアからのお守りにそっと触れる。
(カティア殿、今回は何も心配をかけることなく帰還しますよ。そうしたら)
プロポーズが紆余曲折の末に上手くいった。そちらへの安堵感からかつい、浮いたことを考えてしまう。
「それだけじゃない、か」
シェルダンはポツリと呟く。浮いたことを考えてしまう理由である。
「え、どうしました?」
ハンターが聞き返してくる。口に出して言っていいことではなかった。
「なんでもない。他の連中に気合を入れさせろ。そろそろ進軍開始なんだろうからな」
国境にアスロック王国の軍勢が全く展開してこない。本来なら小川よりかなり手前にとどまって睨み合い、合戦の上、敗走させてから侵攻するものだ。
敵国の弱体化が自分に浮いたことを考えさせる、そんな余裕をもたらしているのであった。
(もはや、軍を国境に置けない祖国、か)
敵国の弱体化を分隊長の自分が口にするわけにはいかなかった。部下たちの油断を招くかもしれない。
「隊長」
考えを巡らせていると、リュッグが声をかけてくる。
森の各所から進軍の合図である赤い狼煙が上がっていた。
「行くぞ」
低い声で短く告げて、シェルダンは分隊を率いて進む。時折、木々の合間から同じ第3ブリッツ軍団、他所の軽装歩兵隊の姿が見える。黄土色の軍服だ。
ラトラップ川を超えて、アスロック王国の領土、ゲルングルン地方に足を踏み入れた。
「やはり、軍はいない、か」
シェルダンはポツリと呟く。まるで迎撃をされないというのも気味が悪い。
(今回はゲルングルン地方の魔塔付近まで制圧。さらに魔塔攻略もして、国土の安全を図るという名分だが)
人間の軍隊があらわれない。
代わりに魔物があらわれる。バットだ。
「ひいっ」
情けない声でガードナーが悲鳴を上げる。
近くにいたハンスとロウエンが二人がかりで、ガードナーに飛びかかったバットを切り倒す。
2人とも前回よりも慣れたようだ。素早い良い斬撃だった。
(まったく)
オドオドと立ち尽くすガードナーを見て、シェルダンは苦笑した。
「ちっ、ヘタレめ」
隣ではメイスンが舌打ちをしているが。
少しガードナーも成長したように感じられた。今まではただ悲鳴をあげてうずくまるところ。今回は視線をバットから離していない。実際のところ迎撃するつもりだったように見えた。
「よし、一旦ここを中心に哨戒だ」
シェルダンの指示に従い、全員が付近の警戒をして回る。本当に伏兵がいないのか。一応、安全はこまめに確認しておきたい。敵地なのだ。
「ガードナー」
シェルダンは黄色髪の部下に近寄って声をかける。
「ひいっ、すいませんっ!」
なぜだか今度は本気で悲鳴をあげられてしまう。
シェルダンは軽くスパン、と頭をはたく。さすがに失礼すぎる反応である。
「あの速度で距離を詰められるとだめか?」
魔術の話である。シェルダンは先のバットに対するガードナーの動きを思い返して尋ねた。
「す、すいません、ま、間に合わなくて」
ガードナーがおどおどしながら告げる。優しくしてもこの反応であることは、確かにシェルダンも腹立たしいというか苛立たしい。怒鳴りつけたいのを、グッとこらえる。
「例えば誰かに守ってもらえたら?」
とっさに剣ではなく、魔術を使おうとした。バットの勢いへの怯えが頭を真っ白にしたのだろう。また小さく素早く飛んでくる相手とでは相性も悪いが、それでも自信がある技術に頼ろうとしたのだ。
「そ、それなら、撃てます」
ガードナーが即答した。
まだ分隊の訓練でガードナーに魔術を使わせて連携の練度を上げる、という訓練は出来ずにいる。単純にガードナーの魔術の習得が間に合わなかったからだ。
「メイスン」
少し考えてから、腕利きで年長の部下をシェルダンは呼んだ。
「はい」
メイスンが近づいてきた。ちらりとガードナーを忌々しげに一瞥する。
「ガードナーの前を固めてやれ。魔術を試させてみたい。多少、厳しく接してもいい」
シェルダンはあたりへの警戒を緩めぬまま命じた。
薄暗い森の中、各所から争闘の気配が伝わってくる。
「私がですか?このヘタレのために?」
露骨にメイスンが不満そうな顔をした。早速、厳しい接し方だ。
「お前が一番、腕が立って、対応力も高い。魔術の使用にも上手く合わせられるだろう」
シェルダンは苦笑して言った。褒めちぎっている格好だ。満更でもない顔をメイスンがしている。
「え、詠唱と、じゅ、じゅ、術式の展開に、じ、時間をく、下さい。や、やりますっ、やりますのでっ」
怯えながらもガードナーが言う。
シェルダンは自分の想定以上にガードナーへの魔術教養が功を奏したのではないかと思う。ハンスやロウエンも驚いている。
「どれぐらいだ」
見るからにうんざりした口調でメイスンが尋ねる。それでも訊いてはやるのであった。
「じゅ、十秒、頂ければ」
ガードナーが即答した。恐ろしく早い。早さだけなら、かつて魔塔でみたクリフォードと同等程度ではないのか。シェルダンは聞いていて驚いてしまう。
「5秒でやれ」
魔術のことをあまり知らないメイスンが、ムスッとした顔で無茶を言う。
一応、魔術を試させることについては納得してくれたようだ。
「ひ、ひえええええ」
ガードナーが悲鳴を上げた。
バスン、とメイスンにまで頭を叩かれている。大人しく5秒で撃てるよう最善を尽くせばいいのだ。今のは、ガードナーが悪い。
少し離れている場所でニヤついているハンターが見えた。リュッグが足元で通信具を点検している。ハンスとロウエンも辺りを警戒していた。
昼間だというのに森の中は暗く、気持ちが塞いでくるようだ。
「くっそ、気が滅入るな」
ハンスのぼやきに、ロウエンが頷いている。
アスロック王国はどこも似たような環境だ。シェルダンにとっては慣れた環境であり、懐かしさすら覚えるのだが。
魔塔からあふれる瘴気が人心を暗くさせるのである。
(まぁ、あまり、戻ってきたい場所でもないか)
頭の中でシェルダンは、カティアとの新居の候補地からアスロック王国を除外した。
シェルダンは分隊を連れ回して、軍の潜んでいそうな場所から優先的に探る。大概は空振りだった。兵士の駐留していた痕跡すらない。
「敵は、どこに行ってしまったんでしょう?」
メイスンが飛来してきたバットを斬り捨てて告げる。
既に第7分隊はラトラップ川からかなりアスロック王国の内部深くへと侵入していた。頭の中で地図をシェルダンは思い浮かべる。
「1つの地方をまるごと空城にしたのなら、思い切ったものだが。まぁ、今日はあともう一箇所、近くの洞穴を探る」
シェルダンはメイスン始め隊員たちに告げる。
すでに夕方近い。敵地である中で、野営をする場所としても良い場所だ。
(一人ぐらいはひっ捕らえて思惑を聞き出したいものだが)
ただ、もうシェルダンはアスロック王国になんの期待もしていなかった。
「国境すら守れない、母国の軍、か」
呟くのであった。




