104 アスロック王国からの要請3
イリスはセニアと口論をした翌日にも、
夕方、軍務を終えたペイドランと合流し、デートをした。
「おっ、2人とも可愛いな、持っていきなっ」
綿菓子を1つずつ、屋台の店主が2人にくれた。
「ありがとうございます」
子供扱いにペイドランと2人で顔を見合わせて苦笑いだ。
夕方の商店街は賑わっていて、アスロック王国などとは随分違う。夜も店や建物、街灯などで明るいのだ。
ラッシュオックスの時のお姫様抱っこを、あのときここを通ったので、実に多くの人々に見られている。恥ずかしい反面、あのとき心配してくれたことは嬉しかった。嘘ではなく、好意を寄せられているのだと。
ペイドランがさり気なく綿菓子の臭いをかぎ、安全を確かめてからイリスに渡す。
妙なところで密偵らしさを出す男だ。
「鼻で分かるの?」
イリスは微笑んで問う。なんとなく従順な犬のようだった。
「うーん、そういう動作を挟むと何か、分かるんだよね」
勘の鋭い男なのだ。それは折に触れて思わされていた。
ふと、ペイドランが足を止める。
「あいつさ」
人混みの中の一点を見据えたまま、ペイドランが告げる。
イリスは身を寄せているところだった。端正な顔立ちを至近距離で見上げてドキッとしてしまう。
「なあに?」
自分を戒めながら尋ねる。今のペイドランは真剣な顔をしており、甘い雰囲気ではなかった。
「シエラ達から教練書を奪った奴じゃないかな」
イリスも気付いた。
人混みの中、先を行く流れの中に禿頭が浮かんでいた。
いちいち人相書きまでは覚えていないが、禿頭であったことは聞いている。禿頭の元アスロック王国の御用商人アンセルスだろう。
「何か企んでるんじゃないかな?ごめんね、デート中なのに」
すまなそうに言うペイドランが愛おしい。言葉の緊迫感とは不似合いで、ついイリスは微笑んでしまう。
「いい、私も気になる。よく見つけて気付けたわね。さすがよ、ペッド」
謝罪するペイドランを、手放しでイリスは賞賛してやった。照れくさそうにペイドランが頭を掻く。
ちょうど、アスロック王国の奸計がセニアにまとわりついている時期に穏やかではない。
(呼び戻す以外にも何か罠を?)
イリスはセニアを心配していた。
あまりに強いセニアである。攫われる心配こそないものの、他ならぬセニア本人がアスロック王国へ向かいたがっているのだ。
(つまり騙されることは起こり得る)
2人で人混みの中、一定の距離を取って、禿頭のアンセルスを尾行した。貰った綿菓子がいかにも子供のデートという偽装にもなるだろう。
「あわよくば、教練書を取り戻せるといいんだけど」
ペイドランが呟く。じっと禿頭を見つめたままだ。
「セニア様はともかく、更に次の代の人が使うでしょ、あれ」
確かにペイドランの言うとおりだ、とイリスも思った。
(そういう考え方、出来るのね、あんた)
ただ、使命感に駆られた分、イリスも気持ちが先走ってしまう。多分、ペイドランも同様だ。
次第に人気のない、裏路地に誘導されていたことに気付いた時にはもう遅かった。
「やられたっ」
弾かれたようにペイドランが言う。顔を上げて油断なく辺りを見回す。イリスもとっさに警戒したことで、建物の陰からの斬撃に気づくことができた。
斬撃を避けると、更にペイドランが抱きかかえるようにして距離を取らせる。
「へぇ、いまのを避けるんだ。ただの可愛い2人の子供じゃないのね」
オレンジ色の髪をした、気の強そうな美女が剣を片手に立っている。
「禿頭のアンセルスに、剣士ミリア。教練書を奪った奴らだよ」
ペイドランが前に出て告げる。
かばわれるほど弱くない。
「ミリアのほうは、名前は知ってたわよ。私もアスロック王国にいたのよ?」
イリスも腰に帯びていた細剣を抜き放つ。貴族令嬢でありながら剣豪ということで名を馳せていた女性剣士だ。
「あんた、接近戦、苦手でしょ。私が前に出るから援護して」
剣を手に向き合っていても、ミリアの腕前は分かる。肌がヒリヒリするような緊張感をイリスは覚えた。
「うん」
戦闘ではお互いに合理的な方だ。素直にペイドランも退がる。
「でも、接近戦は苦手ってバラさないでほしかった」
謝る間もなかった。
ミリアが距離を詰めていたからだ。
「じゃあ、良い雰囲気で腹立つから、先に接近戦苦手だっていう、彼氏君の方から殺しちゃおうかしら」
速い。ミリアがイリスの横を抜けて、ペイドランに斬りかかろうとする。
「させない」
イリスも反応して、刺突を繰り出す。
「あら」
反応できたことが意外だったのか。キンッと音を立てて剣で受けたミリアが驚いた顔をする。
すぐにミリアが飛び退く。
ミリアの頭があった場所をペイドランの飛刀が過ぎる。
さらにペイドランが続けざまに飛刀を放つ。
ミリアへの追撃ではない。
「ぐっ」
「うえっ」
建物の窓際や屋上から顔を出した男数人が、飛刀の刺さった箇所を押さえてうずくまる。手には弓矢などの飛び道具を持っていた。全員、急所は外している。
「あーら、彼氏君もやるじゃない」
口笛を吹いてミリアか言う。
(余裕ぶって)
イリスは距離を詰めて突きかかる。
「生け捕りに出来るやつは生け捕りにして。何を企んでるか聞き出さないと」
ペイドランが冷静な口調で言う。
「ふふっ、上にいるのはその辺で雇ったチンピラとかゴロツキよ。なあんにも、知らないわよ」
イリスの目まぐるしい突きを、難なく捌きながらミリアが言う。頭を狙うと見せて脚、わざと隙を見せて誘う、など。持てる技のすべてを用いても、引きつけるので精一杯だ。
速さには絶対の自信を持っていたのに、自分と同等ぐらいにミリアも速い。
「やるわねぇ。その刺突の繰り出し方、あなたもアスロックの出身かしら?」
対するミリアの攻撃も自分の体をかすりもしないが。どこか余裕を感じさせるのが不気味だ。
「だったら、何よ。関係ないでしょ」
イリスが話す間にも、ペイドランが片端からチンピラたちを片付けていく。ついにはミリア以外、立っている敵はいなくなった。
改めてミリアに集中して、イリスは目まぐるしい突きを放つ。
ここで飛刀を放ってくれれば。
「ちっ」
代わりに、舌打ちとともに風を切る独特の音がした。
ペイドランの放った鎖分銅がミリアを襲う。短刀を投げ尽くしたらしい。
「ぐっ」
ミリアが剣で受ける。隙が見えた。
渾身の突きをミリアの剣を持つ右手に放つ。
大きく飛び退いて、ミリアが避けた。
(これも避けるの?)
ここにきて、さらに驚異的な反応だ。ペイドランの放ったのが飛刀でも避けられていたのではないか。
驚くイリス。
「ヒヤッとしたけど。そっちの彼氏君、短剣、全部使っちゃったみたいね。20人、一人で倒しちゃったのは驚いたわ。でも、その鎖の武器はちょっとぎこちないわねぇ。お嬢ちゃんの剣も大体見切ったわ」
距離を取ったミリアが言う。
「よく喋る」
イリスは細剣で突きかかる。
中断せざるを得なかった。イリスの突きよりも速く強い、横薙ぎの斬撃をミリアが放ってきたからだ。
「くうっ」
避けられない。辛うじて細剣を縦にして受けるも、建物の外壁に叩きつけられた。背中に強烈な痛みが走る。
「だから、見切ったっていうのよ」
絶対的に優位にいると、感じさせるミリアの態度だった。チンピラを何人倒そうと、ミリア一人に自分もペイドランも勝てないのだ。
「じゃ、ちゃっちゃとお邪魔虫は始末して。アスロックへ向かおうかしら。もう、アンセルスもうまくやったでしょ」
ミリアが剣を構えて言う。
「させない」
痛みを押してイリスも細剣を構える。
(刺し違いならペッドは助かる)
ちらりと相棒を見て、イリスは覚悟を決めた。
「まだ、背中、痛いでしょう?速さが自慢みたいだけど。その速さが互角。力は私が上。おまけに手負い。諦めなさいな」
ミリアがせせら笑うように言う。
「このっ」
最後の力を振り絞って、イリスは突きを放つ。
今までで一番速いはずなのに、あえなくミリアに避けられた。
(そんなっ)
ずっと自分は遊ばれていたようなものなのか。
「ぐっ」
しかし、悲鳴をあげて剣を落としたのはミリアの方だった。
ペイドランの飛刀。右腕の上腕に突き立っている。
「くっ、そんな、使い切ったんじゃ」
血の流れる腕を押さえてミリアが呻くように言った。
「俺、そんなこと言ってません」
涼しい顔で静かに告げるペイドラン。
「ちいっ、でも、もう十分に時間は稼いだはず」
離脱しようとするミリア。
「逃がすわけには」
痛む背中を無視して、イリスは止めを刺すべく追おうとした。
ペイドランに優しく、そっと肩を押さえられる。
「イリスちゃん、深追いは危ない。あれが最後の一本だった。君も背中を痛めてる。他に仲間がいたら、やられちゃうよ。とにかくクリフォード殿下に刺客がいたこと、知らせよう」
ペイドランの言うとおりだ。
異変があると知っているのは自分とペイドランだけかもしれないのである。
イリスは気を落ち着けて、ペイドランとともに皇城へ行き、そこでセニアのいなくなったことを知るのであった。
いつもお世話になります。この場面については以上となります。
なんだかんだ、イリス視点の初めての場面でした。ペイドランの押しに陥落しているように見えますが。
そして、意外とやることなくて、一気に暇になった様子が随所に見えますが。今までは私が登場させられないぐらい忙しかったんですが。
そして久し振りにこの作品で戦闘を描いた気がします。あとでまた読み直して悶絶しそうです。
本作をここまで閲覧くださり、本当にありがとうございます。いつも書いている通り、読んで頂くだけでも本当に嬉しいです。今後とも宜しくお願い致します。




