103 アスロック王国からの要請2
「だから、駄目だって言ってるでしょ!」
イリスはあまりにしつこいセニアに辟易して声を荒げてしまう。ペイドランとの楽しかった1日を台無しにされた。
セニアの居室。皇城の北、クリフォードの居宅でもある尖塔の客室だ。夜、訪ねてこようとするクリフォードを制止するため、すぐ隣はイリスとシエラの居室となっている。
「たとえ、私、一人でも。聖騎士である以上、魔塔を攻略してほしいって要請は無視出来ないわ。イリス、分かって」
今日は懇願する作戦のようで、セニアが頭を下げる。
入り口付近に控えているシエラがおろおろとしていた。
また、『こっそりクリフォードやシオンに黙って皇都グルーンから隣国アスロック王国ゲルングルン地方の魔塔まで案内しろ』というのである。
「しつこい。クリフォード殿下やシオン殿下の許可がないと駄目よ」
あの2人が許可を出すわけもない。
イリスは確実に断るため、2人の名前を出した。
もし、『許可を得た』とセニアが嘘をついたなら、『書面を出せ』と言うつもりである。もっとも、さすがに聖騎士なだけあって、善良で単純なセニアには嘘をつこうという発想すらないようなのだが。
「要請を出してるのはアスロック王国よ。あの2人の許可なんて必要ない」
セニアが断固とした口調で言う。
憎たらしいのは、ルフィナの元で治療行為に励んでいるときには、『魔塔へ行こう』などとは言っていないらしいことだ。止められるのも呆れられるのも分かっていて、最初からゴドヴァンやルフィナには言わないのだ。
「あんた、クリフォード殿下の客人みたいなものよ?大体、婚約すらしてない身で勝手なことばっかり言って失礼じゃないのよ」
イリスは意図的に話をずらした。
「じゃあ、殿下と婚約したら連れてってくれるの?」
口をへの字にしてセニアが言う。
「魔塔目当ての婚約とか。あんた、殿下にとんでもなく失礼だからね」
はっきりと言い切って、正論を叩きつけてやった。
言い返せなくなったセニアがうつむいた。あまり口論が強くないセニアを論破するぐらいは簡単なことだ。
「イリス、このままではドレシア帝国とアスロック王国との戦争になるわ。止めないと。ペイドラン君みたいな若い兵士も死ぬのが戦争でしょう。魔塔を倒せば、戦争もしないでみんな幸せに」
少し考えてから、卑劣にもセニアがペイドランをダシにしてきた。
イリスは本気で怒って睨みつけてやる。許せない。
「あんたの頭はお花畑なの?今更、両方とも全部なんて無理。アスロックはあんたを殺したがってる。そうすれば全部上手くいくって思い込んでる国にノコノコと乗り込んでいくの?」
イリスは大きく息を吸った。
「あんな国、滅ぼしちゃえばいい。軍とエヴァンズ王子だけを始末すれば、民の迷惑にもならないわよ」
本気でイリスは言った。
「あなた、なんてこと言うの?生まれた国に滅びればいいだなんて」
セニアが驚いて目を見開く。とがめるような声の響きだが、驚きたいのはこっちのほうだ。
誰よりも理不尽な目にあわされたというのに。同情しつつも、イリスは心を鬼にして譲らず、主人を睨み返す。
「もういいわ、イリス。あなたなんて、人でなしよ」
人でなし。セニアとしては目一杯、なじっているつもりなのだろう。大した悪態でもなく、痛くも痒くもない。
イリスはせせら笑ってやった。
「ペイドラン君に頼むわ。いいえ、命令する。私からの命令、彼は断りづらいはずよ」
許せないことをセニアが口にした。
さすがに本当に許せない。
「セニア」
自分でも驚くぐらい、怖い声が出た。
セニアもビクっとする。
「ペッドを巻き込んだら許さない。あんたの身勝手で、独りよがりな正義に、私の大事な人、巻き込んだら絶対許さないから」
イリスははっきりとペイドランを大事だ、と本人の妹の前で宣言してしまった。
シエラが感動した顔をする。
「たとえ、セニア。あんたでも、ペッドを巻き込むつもりなら、私、戦うわよ」
必要とあらば剣を抜く。おそらくは勝てないだろうが。
イリスは覚悟の程を見せつける。ここまでセニアに強く出たのは生まれて初めてのことだ。
セニアが視線を逸らした。
「ごめんなさい。あなたの説得にペイドラン君を出すのはダメよね」
落ち込んだ声音でセニアが言う。
それでもゲルングルン地方の魔塔攻略を諦めてはいない。セニアのことは多分本人よりもイリスは分かっている。
「魔塔の攻略自体は絶対やるわけなんだから。あんたはそこに向けて集中してればいいのよ」
いつもよりも硬い声でイリスは言った。
まだペイドランをダシに使われたことが許せない。
イリスは自分の感情を持て余してもいた。今まではただ、セニアのことだけを考えていれば良かったのに。
「はぁ、とりあえずもう寝ましょ。明日も怪我人治して人助け、するんでしょ」
イリスはなにか断ち切るような気持ちで告げた。いつもならばもっと優しい言葉をかけてセニアを慰めている。
「もう、回復光は十分に使いこなせてるわ」
セニアが、意固地になってしまった。どこか拗ねたような口調である。
「早く攻撃術を」
いちいち真に受けていられない。うんざりして、イリスはセニアに背中を向けた。
「聖騎士なんでしょ。拗ねてないで真面目に最善を尽くしなさいよ。ただし、他人を巻き込まないでね」
イリスはそっけなく言って、背中を押すようにシエラを連れて、隣の自室に戻る。
「おやすみなさいませ、セニア様」
きちんと頭を下げる、お仕着せ姿のシエラが可愛い。つい、イリスは微笑んでしまう。
2人で寝間着に着替えて寝台に横たわる。
「ありがとうございます、イリスさん。お兄ちゃんのことで怒ってくれて」
申し訳無さそうにシエラが言う。
「いいのよ。あいつがセニアに使われてるの考えるだけでなんか腹立つから」
イリスは天井を見つめたまま答える。
自分に対して、無防備に好意を向けてくれるのが嬉しかった。兄も妹の方も、だ。
「お兄ちゃんのこと、大事って。私のほうが惚れそうでした」
シエラが嬉しそうに言い、寝台の上で起き上がる。
寝ようと思っていたが、イリスも体を起こした。シエラとの話は楽しいのだ。
「そりゃ、あんなにドシドシ押されればね、私もほだされちゃうわよ」
大体みんな、男どもはセニアに魅了される。歳が近いとはいえ、セニアには見向きもせず、一切グラリともせず、自分だけを見てくれるペイドランが嬉しい。
歯が浮くようなセリフの数々もかえって心地よいのであった。
「あ、そうだ。イリスさん、はい。今週号です」
シエラが花柄表紙の冊子を渡してきた。
「いいの?」
受け取ってしまうイリス。
ペイドランが発する数々の殺し文句ばりの言葉を、随所で目にする恋愛小説の雑誌だ。ややもすればペイドランがこれを見て勉強したのではないかと思うほど。
イリスにとっては数少ない娯楽であり、シエラとの共通の趣味でもある。アスロック王国では、人々がそれどころではないからか、恋愛を主題とした読み物など流行ってはいなかった。
「はい、私はもう読みました。今週号も面白かったです」
ニコニコ可愛く笑ってシエラが言う。
「内容は言わないでね。楽しみにしてるんだから」
パラパラとページをめくりながらイリスは言う。
「はい」
きれいな黒髪のシエラの頭をイリスはヨシヨシと撫でてやる。まだ13歳だがもうリュッグという恋人がいるのだ。遠距離恋愛中である。
(ペッドが、リュッグ君のこと探ったり絡んだりしてたことは黙っててあげよ。何かすんごく怒られちゃいそうだから)
クスリとイリスは笑みをこぼした。
せっかくドレシア帝国に来ることができて楽しいことも増えたのだ。少しだけセニアの生真面目さを可哀想に思う。
少しだけ、のつもりでイリスは夜ふかし読書を始めてしまい、シエラに叱られてしまうのであった。




