102 アスロック王国からの要請1
セニアがルフィナのもとで回復光の練習を始めてから、早くも1か月が過ぎた。当初2週間の予定だったが好評すぎて延びたのである。本人も真面目に取り組んでいた。
イリスは従者としての仕事もなくて手持ち無沙汰であり、ペイドランと遊び回る日々を送っている。今日は軍人のペイドランも休日なのでデートをしていた。
ペイドランにも軍務があるのだが、可能な限り自分と会おうとしてくれるのだ。
(それにしても、私、いつの間にこいつと付き合うことになったのかしら?)
いつも愛の告白まがいのことを口にしてしまうペイドランを前にして、イリスは首を傾げる。逆にこの言葉が決め手、というのもないのであった。
(ま、いっか)
イリスはつい思ってしまう。自分もなんだかんだ一緒にいて楽しいから良いのだ。ペイドランの方は自分といるといつも嬉しそうで、つい、釣られてしまうというのもあった。
今日も皇城近くにある繁華街を2人でぶらぶらしてから、屋外に据えられたテラスのあるカフェでお茶を楽しんでいる。
「全部落ち着いたらさ、一緒に東の方へ遊びに行きたいね」
齧っていた焼き菓子を飲み込んで、ペイドランが告げる。
「そうねぇ」
別に気にかかることがあって、イリスは空返事をしてやった。
「どうかした?」
すかさずペイドランが尋ねてくる。予想通りの反応につい微笑みを零しそうにイリスはなった。
「あれよ、アスロックからのセニア、様宛の要請」
イリスは卓に両肘をついて答える。行儀の悪い所作だが、今更、気にする相手でもなかった。
「セニア様に魔塔を攻略してくれってあれ?」
ペイドランもクリフォードからちょくちょく機密を聞かされている。本来は重要な機密事項だ。
周囲には誰もいない。ペイドランには、周りに人がいるかどうか、なんとなく、で分かるらしい。
「あんなの、無視の一択じゃん」
ペイドランが事もなげに言う。
散々、セニアのことを『偽聖騎士だ』・『身柄を寄越せ』などと言ってきた国だ。今更の手のひら返し。あまりに不審過ぎるのであった。
「そうよね、どう考えても罠よね」
イリスも頷いて言う。ノコノコとやってきたところを捕縛して処刑するつもりに違いない。
(ペッドが言うと確信できるから不思議)
ペイドランとこんな話をする仲になるとは、思わなかった。
図太くて、見た目によらず度胸がある。腕も確かなのだ。大の字になっているところを蹴り飛ばした、当初の印象をイリスは改めていた。
(片刃剣とか、普通の剣術は駄目だけどね)
何度も尻餅をつかせてやった。イリスは思い出して苦笑する。
だが、確かに飛刀の腕前は見事だった。ラッシュオックスの急所にビシビシ当てていたのだ。なぜ容易く当てられるのかを訊くと、本人が言うには、なんとなく当たる頃合いが分かるのだという。そこをすかさず投げるのだそうだ。
「私も、無視するのがいいと思うんだけど。本人が、ね」
イリスは苦笑して告げる。実際はかなり深刻な言い合いになっているのだ。セニアとクリフォードとの間でも同じである。
セニアにとっては、アスロック王国とドレシア帝国との戦争を自らの手で止める絶好の機会と映るらしい。一度はルフィナなどのおかげもあって落ち着いた突撃癖がまたぶり返しているのだ。
(あんなの、罠に決まってるのに。そもそもアスロックな
んて国、なくなっちゃえばいいのよ)
エヴァンズのしたセニアへの仕打ち。一緒に処刑されかけた自身の恐怖を思い出すと、何かどす黒い感情が湧き出してくる。
「シェルダン隊長がいてくれたらなぁ。セニア様のそういうの軽く抑え込んでくれるのに」
ペイドランが口惜しげに言う。
シェルダン・ビーズリー。かつてのペイドランの上司であり、自分とセニアを救ってくれた恩人の一人だ。ドレシアの魔塔最上階で、ケルベロスという魔物と刺し違えになって死んだという。
一時、イリスの憧れていた『鎖の人』だ。
「そんなに凄かったんだ、惜しいわね」
イリスは心の底から言う。セニアやクリフォードなどから聞くと、死んだがゆえに大きくなってしまったと、過大評価と感じられる部分があって。ペイドランから聞くと、また違った見え方をする。
「何か凄みがあってさ。セニア様もクリフォード殿下も下らない言い争いは出来なかったんだ。見下されるのが嫌だって思わせられる人だった」
敬意をあらわにしてペイドランが言う。
(下らないヤキモチを妬かないのも、あんたの良いところ)
心の中でペイドランを褒めつつ、イリスは照れ隠しにコーヒーを一口含む。好意を寄せる相手であるイリスが憧れていた人なのに、ペイドランの中ではシェルダンへの敬意が揺らいでいないのだ。
かえって、ペイドランの人柄の良さが感じられて、イリスは好感を抱いてしまう。
「ゴドヴァン様やルフィナ様とは違った意味で大人だったんでしょうね」
イリスは相槌を打った。
セニアのためと思って、クリフォードに言われるまま使い走りをしていた中で、ゴドヴァンやルフィナとも知り合ったのだ。当時はまだ2人のことをアスロック王国出身とは知らなかった。単に第1皇子の腹心としか思っておらず、縁が繋げてセニアの役に立ってやれると思ったのだが。
(あぁ、今、思い出しても恥ずかしい)
イリスは熱くなった顔を両手で覆った。
結局、2人とも最初からセニアやイリスのことを知っていて、そもそもそこが恥ずかしい。また、一度などは『凄いだろう』などと自慢してしまった相手のペイドランも2人の密偵であった。今となっては、とにかく恥ずかしい。
(実は私も結構な子供なんじゃ?)
思い至ってしまうイリス。
「どうかした?」
ペイドランが心配そうに覗き込んでいた。わざわざ椅子から降りて自分のすぐ下にいる。
「な、なんでもない。ちょっと、ゴドヴァン様とルフィナ様とはほら、私、結構な恥をかいてるから」
ドキッとしてイリスはのけぞった。
青みがかった瞳に黒髪、という珍しい組み合わせに端正な顔立ち。見た目が良いペイドランに見上げられると心臓に悪い。
「そんなの、気にすることないのに。俺が密偵でこそついてたの、事実なんだから」
自分の椅子に戻りながらペイドランが言う。
「で、何か言ってたの?私、聞いてなくてごめんね」
素直に謝ってイリスは聞き直す。
「あぁ、ゴドヴァン様やルフィナ様の言うことまで、今のセニア様、聞かないから。頭が痛いねって」
ペイドランが言い直してくれた。
「確かにね。クリフォード殿下もシオン殿下も罠だから駄目だって、口を揃えて言ってるのにね。たとえ罠でも行きますって。頑固よねえ」
イリス自身もうんざりして言う。シェルダン亡き今、誰の言う事ならセニアが素直に聞き入れるというのか。
「みんな大丈夫かな?セニア様に疲れてる感じ、すごいね」
気の毒そうにペイドランが言う。
「ペッドも他人事じゃないわよ。そのうち、あんたにも案内しろって言い出すから」
イリスはニヤリと笑って言う。
心底、迷惑そうな顔をペイドランがした。
一人でも行く、とセニアが言いつつも、本当には行けない理由は実にしょうもない。
「あの娘、方向音痴だからね。誰かに案内してもらわないと、ゲルングルン地方にすら入れないのよ」
イリスは苦笑いして、数多いセニアの欠点の1つを教えてやった。
一人では行けないだけなのである。
(剣技以外、ほんとに駄目だからね)
心の中でイリスはさらに付け加えた。
「イリスちゃん、苦労してきたんだね」
優しく言ってくれるのはペイドランぐらいなものだ。
「ま、今、楽しいからいいわ」
なんとか可愛い笑顔をペイドランに見せてやろうとした。
「ぎこちない笑い方、可愛い」
どうやら失敗だ。期待していない褒め方をペイドランにされてしまう。
「それ、褒めてないからね」
じとりとした視線を、イリスはペイドランに突き刺してやる。ペイドランをあたふたとさせることには成功した。
無垢な好意を示してくれるペイドラン。
(クリフォード殿下、ペッドにひどくしたら許さないから)
一時期、散々、面倒事を押し付けてはセニアから引き離してきたクリフォードが全く用事を押し付けなくなった。
ペイドランを繋ぎ止めておくためだ、と馬鹿でも分かる。
シェルダンという人がどれほどのものだったかは分からないが、ペイドランにまで離れられたくない、という意図が見え透いていた。
(たち悪いのは、コイツ、結構、可愛いのよね)
イリスはしょげ返っているペイドランを見てクスリと笑みをこぼす。
「とりあえず、ペッド、セニア様に案内頼まれても、断らなきゃ駄目だからね」
念押しのつもりで、イリスは告げた。
「うん、そうだね。罠なのは間違いないからね」
ペイドランが頷く。
押してだめなら引いてみろ。アスロック王国の策略は陳腐で見え透いているのに、引っかかろうとするセニア。現段階ではシオンのところで却下しているという。
(本当にしつこい国)
うんざりしつつ、イリスは思う。
一度ならず二度までも、何が何でもセニアの処刑をしようというエヴァンズの悪意が気持ち悪い。出来れば二度と関わり合いになりたくなかった。
カフェを出るとペイドランに皇城まで送ってもらってしまう。いつも断るのだが、可哀相なぐらい心配してくれるのでつい甘えてしまう。
そして、セニアと言い争いになったのは、その日の夜も同じだった。
 




