101 シェルダンからの求婚
言ってしまった。
自室の寝台。柔らかい枕にボフン、と顔を押し付けて、カティアは泣いた。
「ああっ、もうっ、私ったら、なんてことを」
思わず声に出してしまう。
さらには自然と涙が溢れてくる。
今日こそはおそらく、シェルダンからプロポーズされるはずだったのだ。指輪もどういうものが良いか、それとなく伝えてきて。馴染みの宝石商から、シェルダンが自分の希望どおりサファイアの指輪を購入した、ということも聞いている。
自分で使う鎖鎌はクリフォードからせしめた金貨で購入しても、婚約指輪の方はしっかり自身の貯金から買ってくれていた。シェルダンらしくて微笑ましく思う。
夕食を『ホワイトリバー』で、というのも思い出を辿るようで楽しかったのだが。
最後の最後、川のせせらぎの音、夜空のきれいな教会の前で、プロポーズをしてもらえるのだと。高鳴る胸を抑えていたところ。
(なんで、そんなところまで、再現されちゃうの?)
先客で、あのハンスも、ニーナという恋人にプロポーズをしていたのであった。
プロポーズで順番待ちをするのでは、雰囲気ぶち壊しだ。いっそハンスとニーナを詰ってやろうかという怒りを辛うじて抑え込んでいて。
さすがのシェルダンも動揺したのだろう。
「セニア様、だなんて。よりにもよって」
唯一、自分がシェルダンのことで嫉妬してしまう女性の名前を出してしまったのだ。もう、カティアも理性では、シェルダンとセニアの間に恋心など皆無なのだと分かってはいても。
間違いなく、シェルダンが自分以外で唯一、気にかけている女性なのである。
(他の言い訳なら、私、いくらでも受け入れられたのに)
枕に顔を埋めたまま、カティアは思う。
周到で慎重なシェルダンのことだ。次善の計画もしっかり用意してあって、あの一言さえカティアが受け流せていたなら、そこでしっかりとしたプロポーズをしてくれたと思う。そうすれば、ハンス達との鉢合わせも良い笑い話に過ぎなかった。
(だから、本当に、よりにもよって、なのだわ)
とっさに出てくるうわさ話など、いくらでもシェルダンの中にはあったはずなのだが、それでもセニアを出してきた、ということは印象には残っていたのだろう。
そう思うにつけて、またむしゃくしゃしてきた。
「はぁ、あの女聖騎士、本当に死なないかしら」
いつぞや酔っ払って口にしたことを、今日は素面で口に出す。
(私のバカ。いくら腹が立ったにしても、なんであんなことを)
口に出したら少しだけ冷静になれた。すると今度は、自分の発言を思い返して青ざめる。
本当にもう一度、シェルダンが魔塔上層へ上がってしまったらどうするのか。
本当にシェルダンが皇都へ行き、自分の生存を伝えるべくセニアと会ってしまったらどうするつもりなのか。
それこそ、そこをきっかけにシェルダンまでセニアに惹かれてしまったら耐えられるのか。
「グスッ」
自分で想像して勝手に辛くなってしまう。カティアは流れる涙ごと、さらに深く顔を枕に押し付けた。
しばし落ち込み続ける。
「やり直せるならやり直したい」
ポツリと呟く。
いくら腹が立つにせよ、自分で物事を荒立てて後悔するぐらいなら。最初から耐えるべきだった。後でたしなめるのでも良かったはずだ。
(シェルダン様、どうしてるかしら)
腹を立てて、自分に愛想を尽かし、今頃、皇都への荷造りを始めているかもしれない。
あの、魔塔上層で戦うときの装備だという、ポーチ付きの帯革を腰に巻いているかもしれない。
想像するだけで気持ちがズンズン下へと落ちていく。
これ以上、落ちるところはない、ぐらいに思っていたところ。
コンコン。
遠慮がちに窓ガラスを叩く音が響く。
カティアは勢いよく立ち上がって、カーテンを開ける。
申し訳無さそうに、デートのときの服装のまま、シェルダンが立っていた。
「カティア殿、尾けるような真似をして、申し訳ありませんが」
ガラスの向こうからシェルダンが言う。
尾行されたぐらい、今更どうということもない。カティアは急いでガラス窓も開けた。
「もう一度、機会とお時間をいただけますか?」
以前にも、こっそり会いに来てくれたことはあった。通常時はいつも父母を通して会いに来るのだが。
「よろしいの?何をなさるつもりか、丸わかりですよ」
涙を拭って、カティアは笑顔を作った。自分は何を可愛くないことを言っているのか、とうんざりもしながら。
「しまった。いや、しかし、もう。私は四の五の言える立場ではありませんから」
シェルダンが真剣な顔でカティアを正面から見据えた。
「カティア殿、先程はとんだ粗相をいたしたました。申し訳ありません」
本当にいつも自分を裏切らない人だ、とカティアは思った。
やり直しをしたい今のようなときにもしっかり、もう一度来てくれる。嬉しすぎて、プロポーズなんてなくとも一緒にいたい、とカティアは思う。
「私の方こそ、取り乱して。見苦しいところを晒してしまいましたわ、ごめんなさい」
シェルダンの前では素直でいたくて、カティアも素直に謝罪する。双子の弟のカディス相手であれば『今更、どの面下げて来たの?』などと憎まれ口を叩いてしまうかもしれない。
「では、もう少しだけ、お付き合いいただいても?」
微笑んでシェルダンが言う。
「もちろんですわ」
カティアはこうして密会するときのため、備えておいた靴を手に取り、シェルダンに助けてもらいながら、窓から外へ出る。
ルベントの街、該当の灯に照らされた夜道を行く。さすがにもう、かなり遅い時間になっていて、すれ違う人もほとんどいない。
シェルダンが連れてきたのは、ルベントの中央噴水広場である。夜でもとうとうと水をたたえ、流れる音が響く。ハンスも誰も、自分たちを邪魔するものはいない。まるでシェルダンと自分のプロポーズのために整えられた舞台であるかのようだ。
(きれいな、お月様)
見守ってくれているかのような、きれいな夜空の下で、カティアはシェルダンの端正な顔を見つめる。
ふと、抱き寄せられた。自分はされるがままだ。すぐに身を離される。
そしてシェルダンが自分の前でひざまずく。
「カティア・ルンカーク殿。私、シェルダン・ビーズリーの妻となっていただけませんか?」
シェルダンの手には予想通り、白いケースに入った、サファイアの指輪がおさまっていた。
カティアは言葉を発することが出来なかった。たとえ分かってはいても、あまりに嬉しくて。
ただ黙って何度もうなずく。自然と涙が溢れてくる。今度は嬉しい涙だ。
「もちろん、その、宜しくお願い致します。こんな私ですけど」
あなたの前では素直な人間でいますから。カティアは心の中で付け加えた。
「あなたは、私にとって、最高の女性です。一生、大切にし、必ず幸せにすると誓います」
また、嬉しいことを言いながら、シェルダンが自分の左手薬指に、サファイアの指輪をはめてくれた。
そして立ち上がったシェルダンと向かい合う。
どちらからともなく、そっと唇を重ねた。
「見苦しい失態を、カティア殿の前ではもうしないことも、あわせて誓います」
唇を離し、そっとシェルダンが宣言した。
「いえ、ごめんなさい。私ももう、些細なことで心を乱しはしないようにしますから」
自分もシェルダンも完璧ではない。
これからいくらでも、難しいことや悩ましいことに直面するはずだ。
「もっともっと、幸せになれるように、2人で一緒に」
カティアは感極まってしまい、最後まで言えなかった。
全て受け入れるかのように、またシェルダンが抱きしめてくれた。
いつもお世話になります。
ちゃくちゃくとセニアとは無関係のところで人生を進めていく、シェルダンとカティアであります。もはやストーリーには何もこの二人、関係ないでしょ?という突っ込みが聞こえてきそうです。
ここは、ハンスの場面に付随する部分でしたが、さすがに、主人公とヒロインとのプロポーズ場面ですから。私のほうが感慨深くて、独立させたくてこのようにしました。
閲覧をいつもしていただき、ありがとうございます。ここまで読み進めて下さった方には大いなる感謝を。可能な限り、ご期待に応えられるよう、頭を、捻って頑張りたいと思います。




