1 プロローグ〜聖騎士断罪〜
「セニア・クライン、聖騎士の名にそぐわぬ悪女めっ!私はお前との婚約を今このとき破棄するものとする!」
居並ぶ廷臣たちの眼前でアスロック王国王太子エヴァンズが高らかに叫ぶ。平素は端正な藍色の髪をした美男子であるが、人を詰る姿は眼尻を上げて、大層醜い顔となる。
直接、見ている光景ではない。
聖騎士である少女の断罪を見世物とするため、魔力による映像伝送用の水晶が王都の至るところに設置されている。一つ一つが高価なものだ。
(財政難で金がない中、よく集められたもんだ)
先祖代々、アスロック王国軍において、軽装歩兵を勤めてきた家系のシェルダン・ビーズリーも、映像を呆然と見ている一般民衆の一人である。自身は今年で21歳になる現役の軍人だ。
「聖騎士のセニア様を婚約破棄するだけではなく、こんな辱めを!なんて罰当たりな。この国はもうおしまいじゃ」
直近にいた灰色の髪をした老婆が涙を流して嘆き、地面に突っ伏す。アスロック王国には多い、自分と同じ髪色だ。
他にも周囲にいる者たちは、雑多な身分ながら、皆一様に嘆いている。膝をついて天を仰いでいる者もいれば、涙を流して地面に突っ伏し、嗚咽を漏らしている者もいた。
王都の至るところで、似たような光景が広がっていることだろう。
今も水晶には、あることないこと、概ね9割方ないことを喚いている王太子と、唇を噛んで耐え忍ぶ聖騎士セニアが映し出されている。
王太子の左腕に、栗色の髪をした、華奢で可憐な少女が縋り付いていた。我儘ばかりを言い募り、美しく着飾って贅沢をして、国庫を食い荒らす悪女だと誰もが知っている。アイシラという名の男爵令嬢だという。
「なんてことだ」
シェルダンの口からようやく出てきたのはたった一言だった。思いの外、渇き、しゃがれた声に自分でも驚く。
聖教会にも認められた聖騎士でもあり、侯爵家の令嬢でもあるセニア・クライン。貴族令嬢でありながらも聖剣をよく使いこなし、自ら率先して魔物を倒してきた。
シェルダン自身もたまたま同行した戦場で、卓越した剣技によって巨大な魔物を両断した姿を目の当たりにしている。
『水色の髪の聖女』とも呼ばれて親しまれ、民衆からの支持は王子よりもセニアのほうが高いくらいだ。ただ、貴族の中では評判が悪かったため、水晶映像の中では誰も味方がいないのだが。
(いつからこうなった?)
シェルダンは自問しながら、軍服姿のまま家路へと急ぐ。
ビーズリー家は下級の兵士であり、全く知られていない家門だが1000年以上続いている。特に攻撃魔術の素養がある、などということもなく、ただただ一世代一世代のものたちが、必死で命を繋いできた結果であった。
シェルダン自身も鍛錬を怠らず、均整の取れた筋肉質な身体に、アスロック王国には多い灰色の髪、というどこにでもよくいる軍人である。父も祖父も一族皆、軽装歩兵として生きてきた。自分もまたアスロック王国の軍人として生きていくことになんの疑問もなかった。
おかしくなったのはエヴァンズが王太子となり、国王が病気がちになってからだ。軍の腐敗が目につくようになった。
賂などがまかり通るようになり、剣をまともに振ることもできないような肥えた体の上官が今では何人もいる。今、シェルダンが着ている白い軍服も、染料を買う経費削減のためこの色になったのだ。消えた経費は腐った装備部門の軍人に着服されている、とのこと。
「ただいま戻りました」
シェルダンの家は小さな郊外の一軒家だ。十世代ほど前にようやく手に入れた土地だという。1000年以上続くと言っても、皆、下級の軽装歩兵だ。せいぜい小隊長か分隊長という者が親戚筋にはずらりと並ぶ。
「あら、シェルダン、軍務はどうしたのです?」
母のマリエルが驚いた顔をする。軍人の妻らしく姿勢が良い。背筋を美しくピッと伸ばし、手には茶器の載った盆を持っている。
(父上とお茶を楽しもうというところだったかな)
シェルダンは申し訳なく思った。今からする話は父母の心を乱すこととなる。
午後に一杯のお茶を入れて語らう、というのが父母のささやかな贅沢だ。一般市民の中にはそれすら出来ないものも多い。
思えば明るい時間帯に帰宅した、ということがここ数年無かったのだ。他が腐敗した分の負担や尻拭いを、シェルダン達、下級兵が支えてきたのである。
(でも、それだって)
国がまともになったその時に、軍の地盤がしっかりしていれば役に立てると信じていたからだ。そして誰もが、アスロック王国がまともな姿を取り戻すのは、セニア嬢が王太子殿下と結婚して彼の横暴を抑えることで成る、と思っていた。
(出世なんて望まない。したくもない。先祖と同じように、この国の軍人として思うまま力を尽くしたかっただけだ)
シェルダンは唇を噛みしめる。
揺らいでいる自分の方が間違っているのかもしれない。本来、軍人は余計なことを考えず、ただ命令に忠実であればいいのだから。
「ご存知ありませんか、母上。聖騎士のセニア様が、悪女として断罪され、皇太子殿下に婚約破棄されたのですよ」
努めて冷静な口調で、シェルダンは母親に知らせた。
マリエルが持っていた盆を床に落としてしまう。茶器が割れて、けたたましい音をたてる。
「なんですって!それは」
驚きのあまり口をパクパクさせて続きを言えないでいる。
茶器の割れた音につられて父も姿を見せた。
「なんだ、マリエル。騒々しい。茶器だって安くないのだよ」
父のレイダン・ビーズリーはすでに退役した軍人だ。自分がそのまま20年、老けたような風貌をしている。年々、少なくなっていく軍からの年金を嘆きながらも、妻と二人、つましくも穏やかに生きてきた。
「あ、あなた、セニア様が」
母のマリエルが過呼吸に陥っていた。夫にしだれかかりながらゼエゼエ言うばかりだ。
レイダンの困ったような眼差しが自分に向けられた。
「父上、聖騎士のセニア様が、悪女として断罪され、王太子殿下に婚約破棄されました」
母のマリエルにしたのと同じ説明を、シェルダンは繰り返した。
レイダンが妻を抱えたまま天を仰ぐ。
言葉が、すぐには出てこないようだ。
「そうか、この国も終わりだな」
レイダンの言葉は決して大袈裟ではない。
近年、魔物の出現は増える一方だ。治安は悪化して人心は乱れ、生産性も国力も落ちている。国民が負担する税も増す一方だ。歴史上、アスロック王国がここまで状況の悪かったことはない。
「私は国と心中するか、家門を残すことを優先するかで迷っております」
シェルダンは自分の心の内をレイダンに告げる。
口に出してみると、こんな国と心中するだなんて馬鹿げていると思えてきた。
他にも親戚筋のもので既に他国へ逃れている者が何人もいる。
「本音はどうしたい?」
ニヤリと笑って、シェルダンの胸中を見透かすようにレイダンが尋ねてくる。
いずれこうなると父は予測していたのだろうか。
「この王国よりも長く続いてきた家門を、私の代で途絶えさせたくありません。亡命する所存です」
今この国で、下級軍人の自分たちに、王家への忠誠心など求められてはいない。軍人としての矜持はあっても活かす場が無い以上、無理をする必要もない。
「そうか、私もマリエルもお前の足枷にはなりたくないからこの国を出よう。なに、退役はしても国境ぐらいは簡単に越えてみせる」
レイダンが笑って告げる。
母のマリエルも落ち着きを取り戻したようで、夫の言葉に頷いている。
実際、身分の低い自分たちが出国するにしても追手などかからないだろう。
「しかし、セニア様はどうされるのだろうな」
ふと思い出したように父が言う。
「濡衣とはいえ断罪されて罪人とされました。国外追放とされるのでは?」
処刑までされることはないだろうとシェルダンは思っていた。さすがにそこまで王太子も愚かではないはずだ。もし処刑となれば、暴動の1つや2つは起きるに違いない。
「まだ、お前も浅い、か。どうやらエヴァンズ殿下の歪みは尋常ではない。映像水晶まで使って見世物にしようとしたならば、処刑もまたするのではないか?」
呆れたようにレイダンが指摘する。
「そして、セニア様も処刑までは呑めまい。脱出されるだろうよ」
レイダンの言葉を受けて、シェルダンはただ恥じ入るばかりである。
「では、セニア様の脱出をお助けして、それを私の最後のご奉公としましょう」
シェルダンもニヤリと笑って父に告げた。
久しぶりに思う様、暴れてやろう。そう思った。