クロガザミを求めて
なんとなく会員になっていた動画配信サービスで、だらだらと追い続けていたシリーズもののドラマを観終わったその時、訳はないが死のうと思った。
いやむしろ訳がないからこそ死のうと思った。
そうと決まればあとは早い。まずは動画配信サービスを退会し、数年ぶりに部屋の大掃除をして、インターネットで調べながら、きっちりと遺書もしたためた。
なんせ私は几帳面な性格である。
窓から覗く空は、絵具でもぶちまけたかのようにどこまでも青い。少しわざとらしすぎる気もするが、死ぬにはいい日だ。これで間違っても心残りなどあるまい。
ではいざゆかんと首吊り用の縄へ手をかけた、まさにその時のことである。
『はーーーい、現場のニシズミです! 今日はクロガザミ漁の盛んな北海道重沼市の民宿へやってまいりました!』
しまった、テレビをつけたままであった。几帳面な私らしからぬ失態である。新たな人生の門出に浮き足立ってしまったのかもしれない。
ともあれ消さなくては。私はリモコンの電源ボタンへ手を伸ばしかけたが……
『えーー実はこの民宿……ご存知の方も多いのではないでしょうか!? 日本最高齢の女性、鵜渡路サチさんが経営しているのです! なんと御年百三十四歳! やはり長生きの秘訣はクロガザミなのでしょうか?』
嘘くさい笑みを浮かべたアナウンサーの男が、画面中央に鎮座まします老女へマイクを向けた。浅黒く焼けた肌の老女は、死んでいるのではないかというほどたっぷり間を空けて、その嘴じみた口をもごもご動かす。
『じゃっぺ、うがりだっきさ、くろがざみさふづるよ』
『へーっ! 生まれた時からクロガザミを食べ続けているそうです! やっぱりサチさんも好きですかクロガザミ?』
『くろがざみさじょっごくみは、ほんだぞっとぎびこやじば、じょっごく』
『……なるほど! クロガザミが獲れる時には、こーーんなに大きなタコも獲れるそうです! タコもクロガザミが好きなんですかねー』
……なんだか不思議なやり取りであった。
私には老女の言うことが異国の言語にしか聞こえないのだが、あのアナウンサーには理解できるらしい。
どうせ分からないだろうと高をくくって適当言っているのではあるまいな?
そう思ったが、老女が震える両手を大きく広げてタコの大きさらしきもの表現しているので、そういうわけでもないようだ。
それにしたって、そんなデカいタコがいるものか。
『というわけで本日はこちら、実際にクロガザミの甲羅焼きを用意してもらいました! なんでも地元漁師の皆さんが好む食べ方だそうです! 新鮮なクロガザミならではですねー、じゃあ早速、いただきましょう!』
アナウンサーが甲羅へ口をつけ、黒い味噌をずるりと啜った。カメラが寄る。
『……うん、やはり新鮮だからですかね。味噌に不思議な甘味が……』
さて、異変が起きたのはその直後だった。
アナウンサーが突然一時停止でもかけられたようにぴたりと固まったかと思うと、その嘘くさい笑顔がみるみる内に歪んでいって、般若面さながらの凄まじい形相になる。
そして――
『おええええええーっ……!!』
アナウンサーは胃袋の中身の一切合切を吐き出した。見るに堪えない液体が罅割れたアスファルトの地面をびだびだ打つ。
『ちょっ……ニシズミ君!? なにやってんの!?』
『おい! 早くスタジオに戻せ!』
『がぐうんじゃら、ずぢば』
『……えーーー、では本日のお天気のコーナーに……』
まるで何事もなかったかのように、女性アナウンサーが天気についてを解説しはじめた。今日は洗濯日和なのだそうだ。
私は首吊り用の縄を握りしめたまま、しばらく呆けてテレビの前から動けなくなってしまう。
……もしや夢でも見たのだろうか。
そもそも私は「クロガザミ」なんてもの寡聞にして聞いたことがない。
もはや死ぬどころではない。クロガザミとやらを実際に食うまでは死ねないと、そう思った。
◆◆◆
「クロガザミを食ったことがないのか?」
「あれは絶品だ。味噌をこそいで焼いた甲羅に焼酎を入れて、呑む。これ以上に美味いものはない」
「カニ……だろう? 決まっているじゃないか」
私の少ない交友関係を駆使して「クロガザミ」なるものについて聞いて回ったところ、おおむね右のような回答が返ってきた。
彼らは当たり前のようにクロガザミに対しての意見を述べ、あまつさえ私がクロガザミを食したことがないと知ると皆一様に驚いた。なんだか異星人と対話をしている気分だった。
というか「美味い」で意見が一致しているのはどういうことか? あのアナウンサーは一口含んだだけでげえげえと胃袋を裏返していたのに……謎は深まるばかりである。
ともかくクロガザミは蟹の仲間であるらしい。
ならばスーパーマーケットにでもいけばお目にかかることができるだろう。そう思ったのだが……不思議なことに、近所のスーパーの水産売場にクロガザミは見当たらなかった。
それから町中のスーパーマーケットを回ったのだが、どこも同じだった。タラバやズワイはあれど、クロガザミなんて蟹、影も形もない。
助けを求めるように四軒目のスーパーで暇そうな若い男の店員を捕まえて、クロガザミについて尋ねてみると……
「クロガザミなら、もう渡ってしまいましたよ?」
きょとんとした顔でそんな訳の分からんことを答える。むしろどうしてそんなことも知らないのか? といった調子だった。
「渡った、とは?」
「とは、と言われましても……そうとしか言いようがありません、渡ったんです」
「その……つまり、ここにはもうクロガザミはないという解釈でよろしいんでしょうか」
「ここには、というより県内にはもうどこにもないでしょうね」
「旬を過ぎた、という話ですか?」
「いえ、旬は過ぎておりません、むしろクロガザミは今が旬といってもいいでしょう」
「は……? では何故……」
「ですから、渡ったんです。クロガザミは一つの場所には長くとどまらないんですよ、なんせワタリガニの一種なので」
私には目の前の男が何を言っているのか全く理解できなかった。
「……じゃあ次にクロガザミがこのスーパーへ入ってくるのはいつ頃ですか? それぐらいは分かるでしょう」
「さあ……考えたこともなかったな。クロガザミは気まぐれですからね、気付いたら入荷してるし、気付いたらいなくなっております」
駄目だ、この男と話していると頭がおかしくなりそうだ。
「ではこのあたりでクロガザミを使った料理を出している店はありますか」
「クロガザミを?」
店員の男がぎょっと目を剥く。
「ないない! クロガザミの料理を出すところなんて聞いたことがありません! だってクロガザミですよ! お店で食べるなんてとてもとても……お客様、もしやと思いますがクロガザミが食べたいんですか?」
「ええ、まあそうですけど……」
「へえ、珍しい方もいるのですね、でしたら北へ向かうのがよろしいかと思います」
「クロガザミは北へ、その……渡った、のですか?」
「いえ、ただなんとなく北かなぁと思っただけです」
なんといい加減な店員だ。
しかし今はそれしか頼れる情報がないのも事実。北だ、北へ向かうしかあるまい。
「クロガザミがそこまでするほどのものとは思えませんけどね。皆はあれをありがたがりますが、タラバやズワイの方がよっぽどうまいですよ」
去り際、店員の男がそんなことを言っていたが、無視した。この際味はどうでもいいのだ。
◆◆◆
スーパーマーケットを出た私は、適当なタクシーを拾って乗り込んだ。
北へ向かってくれと言うと、タクシーの運転手は少し驚いていたようだったが「クロガザミを食べに行きたい」と伝えると、一応は納得してくれた。
「なるほどクロガザミですか、確かにあれはうまいですからね、焼くのはもちろん、さっと湯通ししてポン酢につけて食うのもうまい」
タクシーの運転手は言いながらクロガザミの味を思い出しているのか、なんだかいやに楽しそうであった。
さっと湯通ししてポン酢? 蟹しゃぶのようなものだろうか?
「でも一番いいのは茹でたクロガザミにチリソースを一滴落とす……これがもうたまらんのですよ!」
「……? は、はあ……」
想像もつかない。
……ともかく、彼の見解ではクロガザミはうまいものらしい。
「でもねお客さん、クロガザミはもう本土では食えないと思いますよ」
「えっ? それはいったい……」
「いやね、私も休日には隣県まで行って食うほどクロガザミが好きなんですが、最近ではめっきりですねえ、たいてい渡ってしまいました。もう日本に残っているかどうかすら……」
「そんな……」
運転手の言葉にくらりときた。
食えないと分かると、途端に味が気になってくる。クロガザミとはなんだ、なんなのだ。
思考の迷宮に囚われかけていたところ、運転手は「そうだ」と手を打った。
「この道を少し進んだ先に水族館があります。そこで専門家に聞いてみるのはいかがでしょう? 何か分かるかもしれません。それに水族館というぐらいです、クロガザミの一匹や二匹、余っているんではないでしょうか」
「それだ」
捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこのことである。
◆◆◆
水族館など、いったいいつ振りであろう。
まさか死ぬと決めてから水族館へ訪れることがあるとは思わなかったが、今はそれよりもクロガザミが先決である。
私は手始めに水槽の一つ一つをしらみ潰しに見て回った。しかしここでもやはり、クロガザミの「く」の字もない。あるのはせいぜい、長い脚を窮屈そうに折りたたんだタラバガニか大ぶりのキノコのような珍妙な蟹ぐらいである。
二周ほどしたところで私は白旗をあげ、水族館の館長を名乗る男に話を聞いてみることにした。
「クロガザミ、ですか……?」
男は丸ぶちメガネの奥でフレームの形に合わせるように目を丸くした。どうでもいいが、どうして私がクロガザミの名前を出すと皆似たような反応をするのだ。
「……ああいえ失礼、クロガザミに関する問い合わせは初めてなもので……そうですね、まず結論から言ってしまうと、当館にクロガザミはおりません」
「水族館にもいないのですか!?」
「ええ、おそらくどの水族館でもクロガザミは展示されていないかと……確認をとったわけではありませんが……ええ、聞いたことは……すみません」
丸メガネの館長が額の汗を拭いながらぺこりと頭を下げる。しかしこちらが聞きたいのは謝罪の言葉ではない。
「そもそもクロガザミは、その生態からして飼育するというのが、事実上不可能で……」
「それはまたどうしてです?」
「クロガザミは飼育下だと爆発しますので……」
「はっ?」
爆発? この館長は真面目くさった顔で何を言っている?
「いやいや、さすがに無学な俺でも嘘だと分かります。蟹が爆発するわけないでしょう。そんなオモチャみたいに……」
「いえ、本当です。クロガザミは人間の飼育下では爆発するのです。なので生きたクロガザミを展示することは不可能なんです」
「馬鹿な! どういう原理で!?」
「生き物は例外なく強いストレスを感じると体内からガスを放出するのはご存知の通りですが、クロガザミは構造上それを体内に溜め込んでしまうのです。そして人間の飼育下にあるというのはクロガザミにとってたいへんなストレスになるらしく……たいていは一時間足らずで内側から爆発します。天敵に狙われた時も同様に、爆発します」
「そんな馬鹿な話が……」
そんな馬鹿な話があるものか、と館長を怒鳴りつけようとして、慌てて口を閉ざした。
彼は専門家だ。少なくとも俺なんかよりは遥かに学のあることだろう。そんな彼を馬鹿と罵るのはとてつもなく愚かしいことだと途端に我に返ったのだ。
「もしご希望でしたら、天敵であるタコを前にしてクロガザミの爆発する瞬間を捉えた映像があります。ご覧になりますか?」
「いえ結構です。今日はありがとうございました」
館長の誘いは謹んで辞退し、水族館をあとにした。
誰が蟹の爆発するところなぞ見たいと言った。俺はクロガザミが食いたいのだ。
◆◆◆
タバコの一本でも吸わなければやっていられない。
水族館から少し離れた喫煙所へ足を運んだところ、奇妙な先客がいた。
数か月ほど山で遭難してきたのではないかと思われるほど身なりの汚い老人である。彼は震える手で短いタバコをうまそうに吸っている。
なるべく関わらないようにと少し距離を置いてタバコへ火をつけようとしたところ……
「あ、ああ、あんた、さっきクロガザミについて聞いてただろ」
いきなり話しかけられた。
面倒な、とは思いつつもクロガザミの話ならば耳を傾けなければならない。
「ええ、クロガザミを探してるんです。どうしても食いたくて」
「み、見つかりゃしないよそんなの」
男はそう言ってにたりと笑う。
欠けたノコギリみたくボロボロの歯が剥き出しになった。
「そもそも、くく、クロガザミなんてものは実在しないんだ。常識的に考えれば分かるだろう?」
「実在しない?」
「そ、そうさ、蟹が爆発するか? しないだろう、常識的に考えれば……」
言われてみれば確かにその通りである。
「なら実際にクロガザミが存在しないとして、周りの皆がクロガザミをうまいだのまずいだの言っているのはどう説明するんです?」
「い、いい、陰謀だ。国の」
「陰謀か」
老人の妄言をふっと鼻で笑う。
「ばかばかしい、じゃあ何か? あなたはが我々以外の人間は存在しない蟹を食った記憶を植え付けられているとでも言うつもりか」
「あ、あんたは話が分かるなぁ、そうだよマインドコントロールだ……」
はっ、ここまでくると少し面白くなってきた。
せっかくだから最後まで話を聞いていこう。
「く、クロガザミは……本当は存在しない……いや厳密には蟹じゃないんだ……あれはな、某国が開発した兵器だ。だから爆発するのだ……」
「兵器か、なるほど」
「そ、そうだ……あいつらは意思を持っている。自分の頭で考えて何百キロでも歩き、海をも渡り……そして爆発する。敵兵を粉々に吹っ飛ばしちまうんだ。隠れても無駄だよ、蟹だからどんな隙間にも潜り込む。レーダーにも引っかからない……」
「それは怖いな」
「日本政府は隠している。きたるべき第三次世界大戦に向けて、その切り札としての、クロガザミを……」
そんな時であった。
突然、けたたましいブレーキ音が鳴り響き、喫煙所の傍に一台の白いバンが滑り込んできた。
一体何事かと思ったら、運転席から一人の中年女性が飛び出してくる。女性は老人の姿を見るなり、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「お父さん! また病院を抜け出してこんなところに! ほら帰りますよ! お体にさわりますから……」
どうやらお迎えがきたらしい。面白い話だと思ったのだが、結末はこんなものか。
呆れたように老人を見ると……どういうわけだか彼はひどく狼狽した様子である。
「だ、誰だこの女……知らない! おれは知らないぞ!」
「はいはい、帰りますよお父さん」
「お、おれはお前の親父なんかじゃない……おい、やめろっ」
中年の女性は暴れる老人を羽交い絞めにすると、無理やりバンまで引きずっていく。
「ああ、あんた! 騙されるんじゃない! これは陰謀、陰謀なんだ……!」
「ごめんなさいね! 父はちょっとボケが始まってまして、父の話は忘れてください!」
「おれに娘はいない! た、助けてくれ……!」
老人は抵抗むなしく車内に無理やり押し込められて、間もなくバンは発進してしまった。
バンの中にスーツ姿の若い男が複数人乗っていたのがちらりと見えたが、俺はその場から動くことができなかった。
俺には何も分からない。しかしクロガザミは食わねばならんという確かな意思だけがあった。
◆◆◆
思えば、答えははなから出ていたのだ。
どこへ行けばクロガザミが食えるかなど決まっている。
俺はすぐに飛行機のチケットをとり、その日の内に北海道へと飛んだ。
目指す先はもちろん、今朝がたのテレビで紹介されていた北海道重沼市にある民宿である。
空港から電車やタクシーを乗り継いで、ようやくくだんの町へ到着した頃、すでに日は沈みかけていた。思えばずいぶん遠いところまできたものだ。
なるほどクロガザミ漁が盛んと言われるだけあり、町にはいたるところにクロガザミののぼりがはためいていた。きっとクロガザミ以外は何もないのだろう。
そんなうら寂しい町を歩くことしばらく、ついにあの民宿を発見した。
俺はそれを見つけるなり、大慌てで駆けこんで、暇そうにしていた若い女の店員に言った。
「――クロガザミを食わせてくれ」
若い女の店員は、俺に奥の座敷で待つように言い、にこりともせず店の奥へと引っ込んでいった。
窓から覗く夕陽に染まった海を眺めながらクロガザミを待つ時間……これはまるで永遠のようにも感じられた。まるで子どものようだ。
そして待つこと数分。存外早く店員が戻ってくる。
待ちに待ったクロガザミの皿を携えて……
「クロガザミです」
淡白に言って、彼女はその皿を俺の前に置いた。
飾り気のない白い皿の上に、湯気立つ蟹がちょんと一匹乗っている。見た目は小ぶりなワタリガニとなんら変わらないように見える。
蟹、というか甲殻類はたいてい熱を加えれば赤くなるものだが、なるほどその名前にたがわずクロガザミは黒かった。甲羅の上から墨でも塗りたくったような黒さだ。
いきなり皿の上で爆発したりするのではないかと一瞬不安になったが、完全に死んでいるのでそれもないのだろう。
「すみません、ポン酢を……」
「……はい、少々お待ちください」
「ああ、ごめんなさい、もう一つ聞きたいのですが」
「なんですか?」
「あの、日本最高齢の女性……鵜渡路サチさんは、いらっしゃるんですか?」
「死にましたよ、ついさっき」
女性はやはり淡白にそれだけ言って、店の奥へ引っ込んでしまった。
……どうやらクロガザミは長生きの秘訣とはいえ、不老不死になるわけではないらしい。
いや、今はそんなことどうだっていい。目の前のクロガザミだ。しかしどうやって食べるのが正解なのか……普通の蟹と同じように食っていいのか?
俺が皿の上のクロガザミとにらみあっていると、ふいに、窓の外からぱぱぱぱぱぱっと一度に大量の爆竹でも鳴らしたような音が聞こえてきた。
驚いて振り返ると――遠くの海が爆ぜている。
爆ぜていたと表現するほかない。夕焼け色に染まった海原が、断続的にぱぱぱぱぱっ、と弾けている。そして遅れて、一本の巨大な柱のようなものが海中から姿を現した。
――足だ。あれはとてつもなく巨大なタコの足だ。となるとあそこで爆ぜているのはクロガザミの群れか?
タコの足は吸盤を収縮させ、悶えるようにうねると、やがてゆっくりと海に沈んでいく。
……タコは軟体動物である。生きている限りは際限なく大きくなる。彼もまた、鵜渡路サチのようにクロガザミを食って、長生きしたのだろうか。
ちなみに、満を持して食したクロガザミは、吐くほど不味くもなく、さりとてわざわざ北海道へ出向いてまで食うものでもなかった。
あのスーパーの店員が言っていた通り、タラバやズワイの方がよっぽどうまい。
しかしタクシーの運転手の言葉を思い出してチリソースを一滴垂らしてみたところ、なんだかすごく懐かしい味がした。
その味が私の人生の記憶のどこに引っかかったのかは、クロガザミを丸々一杯食べきってもついぞ分からなかったが、とにかくその正体が分かるまで死ぬのはやめておこうと思った。