記憶の鱗片
キヨミの父親はキヨミが小さな頃、いなくなってしまった。
死んだのか、離婚したのか、逃げたのか。それは知らない。
母親は一切父親の話をしなかったし、父親のことを口すると酷く怒った。それが原因で殴られたことも一度や二度ではない。
それでも、僅かに残っている記憶の中の父親は優しくキヨミを撫でてくれた。
『キヨミの髪はまっすぐで黒くて綺麗だな』
そういって何度も髪をすくように撫でてくれた。
だからキヨミはずっと髪を伸ばしていた。小さいうちはシャンプーもドライヤーも大変だったが、頑なに短く切ることはしなかった。小学校二年生になる頃には手入れも手慣れ、母の椿オイルを勝手に使ったりもした。
唯一父に褒めてもらった髪は自慢だった。
「どう、して…?」
鏡に映るキヨミの髪は短く切られている。
なくしてしまった記憶の中で何があったのか、途端に怖くなった。
ピシッ
頭にひび割れたような痛みが走る。
髪を思い切り引っ張られているような痛みと、溺れているような苦しみがキヨミを襲う。胸が引き裂かれたように悲鳴をあげる。
苦しげに吐き出される息はか細い。
なくした記憶は酷い痛みを伴って戻ってくるのか、それともなくした記憶自体に痛みがあるのか。
ガタッ
立っていることもままならず、キヨミは倒れ込んだ。
程なくして洗面所の扉がノックされた。
「おい、どうした!?」
「キヨミちゃん?大丈夫?」
ケースケとショウの声が聞こえて、僅かに呼吸が楽になるも、口から出るのはヒュッと喉の悲鳴。
生理的な涙が止めどなく溢れて視界が定まらない。
震えて上手く動かない手を叱咤し、扉の鍵を開ける。時を置かずして開かれた扉。
ケースケとショウの顔が近づく。焦ったように何か捲し立てているようだが、キヨミの耳には届かない。
キヨミは「助けて」と音にならない声をあげた。