つらい記憶 2
父に唯一褒められた自慢の髪。それが切られてしまったという事実を受け入れた頃には、キヨミは一人になっていた。レイナたちがいなくなったことにすら気づかなかった。
コンクリートに散らばる切られた髪を掴むと静かに涙を流した。
それを掴んだまま向かった美容室では、丁寧に丁寧に髪を整えてもらった。
終始何か言いたそうだった美容師は、結局何も言ってこなかった。
ただ、見送りの時に「何かあればいつでも来てくださいね」と付け加えた。
その言葉は残念なことに、微塵もキヨミの心を癒さなかった。
突然髪を短く切った娘に対して、母はびっくりしていたが、「短い方が似合うんじゃない?」と笑った。
何かあったのだろうと察してわざと明るく振る舞ったのだろう。
それは容易に想像がつく。
でもその言葉は、キヨミの心を抉った。
お父さんは褒めてくれたのに、お母さんは気に入らなかったの?
傷とは厄介なもので、かけられたものが泥水だろうと消毒液だろうと真水だろうと、痛みを感じるのだ。
キヨミはその痛みにただただ耐えることしか出来なかった。
次の日の学校でも、皆口を揃えたように「短いのも似合うね」と言う。
その度に惨めな思いが湧いてきて、目頭が熱くなる。
レイナのことは怖くて見れなかったが、突き刺さるような視線は、ことあるごとに感じていた。
そしてその日を皮切りに、目に見えてイジメがはじまった。
時に教科書やノートがボロボロにされゴミ箱にすてられていた。
時に上履きや体操服がぐっしょりと濡れていた。
時に突き飛ばされ階段から落ちた。
時にトイレの最中に上から水が降ってきた。
傍目からも丸わかりの行為。なのにクラスメイトはもちろん先生も目を逸らす有様だ。
私が何をしたって言うのだろうか。
キヨミがこの世界の理不尽さを肌で感じながら、それでも学校に行き続けたのは単に他の選択肢が浮かばなかったからだ。
大きくなれば世界は開ける。仕事、家以外の世界があることを知る。
それは趣味の仲間だったり、過去関わった人たちであったり。長く生きていれば生きているほど縁は増えていく。
だが、高校生になったばかりのキヨミにはまだ学校と家しか無かった。
母は仕事で忙しかった。それを寂しく思ったこともあるし、仕事なんてやめてほしい、と思ったこともある。
でも仕事をしなければ、食べていけない。学校にも通えない。
全ては親娘二人暮らしていくためだ。
そう気付いていたからこそ、寂しさを押し込めて、出来るだけ母の負担にならないようにと努めてきた。
最低限の家事はできるようになったし、塾に通う必要もない程度には勉強も頑張った。
キヨミは母にとって手のかからない子供だった。役に立つことは少なくても、負担にならない。
それがキヨミにとって大きな負担であっても、母までいなくなったら生きてはいけないと幼心に思ったからだ。
お金に困らない生活を与えることが愛情だと信じてやまなかった母と、我慢して受け入れることが愛情だと思い続けた娘。
どちらも悪くない。
けれどすれ違った。
互いに言わなくても通じる。そう思っていた傲慢さだけは悔やまれる。
もし、母がわかりやすく愛を告げていれば。
もし、娘がわかりやすく寂しさを、捨てられる不安を、伝えていたら。
そうしていたら、いじめられている、と話せる関係を作れたかもしれない。
そうしていたら、耐える以外の選択肢を与えてもらえたかもしれない。
全てはもしもの話。死んだキヨミは生き返らないし、母が何を思っていたかすら知る術はない。